見果てぬ夢

様々な土地をゆっくりと歩き、そこに暮らす人たちに出会い、風景の中に立てば、何か見えてくるものがあるかもしれない。

竹富島と信州との関わり

2009-01-04 21:25:58 | 離島の風景
石垣島の離島ターミナルから高速船でわずか10分の竹富島へ渡った。

人口250人余りの小さな竹富島の人々が、不自由を覚悟で昔ながらのまち並を残すと決意したのが1986年。
みんなで「竹富島憲章」を制定したのだ。
懸命に守ってきたその昔ながらの集落形態は、国の「町並み保存地区」の指定を受け、今では全国でも有数の観光地となっている。
当時、年間9万人程度だった観光客が40万人を越え、Uターン、Iターンで島の人口も15年連続増加、存続が危ぶまれていた保育所も安定してきた。人口は340人まで増えた。







「赤瓦屋根の家々、サンゴの石垣、白砂の道、屋根の上のシーサー、原色の花々が咲き、美しい沖縄の原風景に触れることができる島。島をゆっくりと巡れば、生活の中に生きづく伝統と文化を実感する。
平坦な島をのんびりと歩くのもいいし、サイクリングで島中をまわるのもいい。また水牛車にゆられながら、集落をまわるのもこの島ならでは。」

と、竹富町観光協会が郷愁をそそる謳い文句で誘うその風景が、現実となって目の前に広がった。

本土復帰後の沖縄に押し寄せてきたリゾート開発の波を察知し、自分たちの島を守るべく動きはじめたのが竹富島公民館。
方針を打ち出そうと公民館では、三つの集落の例会で話し合い、「憲章制定委員会」で検討、公民館議会で検証し、1986年の公民館総会で島民の総意として満場一致で決議採択した。



憲章で明示されている「保全優先の基本理念」の5項目は、
1「売らない」2「壊さない」3「汚さない」4「乱さない」5「生かす」。

「市民憲章」は決して珍しくはない。全国の多数の地方自治体が掲げている。
しかし、竹富島の憲章は、理念が明確だったため、島外企業の侵入を阻止できたのだろう。
民主的手順を踏んだと言っても憲章を知らない島民ももちろんいる。その啓発のために、教育委員会主催の各種学習講座で取り上げる等の努力も重ねてきた。




珊瑚礁が隆起した竹富島には山も川もなく、地下水を汲み上げていた。
今は、石垣島から地下水道で水を送っている。


珊瑚の土台、珊瑚の石垣、珊瑚の石畳。珊瑚尽くしの島。
古い家を保全して住むには、観光客が見ることのできない苦労も多い。
家の建て替え、新築には、様々なルールに則ることが求められているという。




昔は、家を建た残りの瓦と建材で造ったというシーサー。今は、姿態も材料も個性的なシーサーが増えている。





ところで、この誇るべき竹富島の市民憲章は、長野県妻籠宿の「妻籠宿を守る住民憲章」をモデルにしてつくられたものだった。
竹富島民が、妻籠宿へ出かけ、学び、住民からアドバイスを受けながらつくったのだ。

そして実は、
竹富島では、現在、13ヘクタール規模のリゾート開発問題が起っている。
2010年に開業を目指している同問題が島の人たちに戸惑いを与えているのは、その開発を計画している事業者が、これまで竹富島憲章の制定や町並み保存の中心となって尽くしてきた島の有力者だという現実である。

そうせざるを得ないという複雑な土地の所有地課題を背景とするこの開発問題に、門外漢の立場で賛否を語ることはできない。
興味深いのは、この開発に関わっているのが、軽井沢の星野リゾートだという点である。
彼を最期の救世主に頼った観光地復興の話はいくつも聞いている。
だが、この竹富島は島民の努力の憲章がために、上昇気流に乗っている場。
開発の盾となっていた市民憲章のもと、憲章を尊重した開発がどう進められるのか、星野さんの腕を信じたい。

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