新編 辺境の物語 第二巻 カッセルとシュロス 中編 20話
第十二章【月光軍団、屈する】①
月光軍団のトリルはマギーと一緒に食堂の床を磨いていた。他にもメイドが二人、掃除を手伝っている。
メイドのうち一人はローズ騎士団専属のレモンだ。レモンは騎士団の宿舎からワインの瓶を運んできて、そのまま掃除に加わった。ミユウというメイドは、しばらく前にシュロスの城砦に採用されたばかりだった。ところが、ローラに気に入られたとかで騎士団の仕事もしている。落ち目の月光軍団より騎士団に取り入った方が得策だというのだろう。それでなくても、ミユウはどこか怪しい雰囲気がある。仕事中に姿が見えなくなったり、そうかと思えば兵舎の奥まで立ち入ったりしている。カッセル守備隊が送り込んだスパイではないかと思ったくらいだ。本人はあちこち旅して酒場で踊っていたというが、トリルはその話を信用していない。
とはいえ、ミユウは自分たちを立てて、どんな仕事も二つ返事でやってくれている。メイドだから当たり前だが。
それより、カッセルに連れて行かれてしまったパテリアはどうしているだろう。フィデスさんとともに捕虜になって、辛い仕打ちを受けてはいないだろうか。いつも三人で捕虜に一緒にいたから、パテリアがいないのは寂しい。
そうだ、パテリアは必ず帰ってくる。その日までマギーと二人で頑張って待っていよう。ローズ騎士団なんかに負けるものか・・・
「ミユウちゃん、籠を持っていこう」
トリルは気を取り直して腰を上げた。
「はーい」
トリルが呼び掛けるとミユウは積み重ねられた十個ほどの籠を軽々と抱えあげた。小柄なのに力持ちだ。
「えー、半分持つよ」
「大丈夫です、先輩は休んでいてください」
「えらい」
持ち上げた籠に隠れるようにしてミユウが奥の部屋に入っていった。
州都軍務部の監察官スミレ・アルタクインはその後もずっとシュロスに留まっていた。
ローラに痛め付けられた文官のフラーベルは回復したものの、連日、騎士団からの命令に追われっぱなしの状態だった。スミレは経理や書類の作成などを手伝っていたが、騎士団の文官のニコレット・モントゥーが執務室に顔を出してあれこれ指示を出してくる。ニコレットはフラーベルを自分の配下に置いたつもりでいるのだ。ローラと違い乱暴ではないのがせめてもの救いだった。
ところが、騎士団の命令で執務室からも閉め出されてしまった。仕方なく月光軍団の隊員と一緒に食堂で働いていた。スミレは遅い食事をすませ、使った皿を洗って調理場の片隅に腰を下ろした。
そこへ、メイド姿のミユウが大きな籠を幾つも抱えてやってきた。
「どう、もう慣れた?」
「はい、レモンさんやトリルちゃんがいろいろと教えてくれるので」
ミユウは籠を置くとスミレの隣に膝をついた。
「ご報告があります、フィデスさんの件ですが」
ミユウの表情が一変して眼光が鋭くなった。
カッセル守備隊に捕虜になっていた副隊長のフィデス・ステンマルクとその部下のパテリアが帰還したことについて、スミレはすでにミユウから報告を受けていた。二人は月光軍団の隊員と再会することが叶わず、ローズ騎士団の手に落ちてしまったのだった。騎士団にフィデスを奪われたのは返す返すも失敗だった。何もかもが後手に回っている状態だ。
「申し訳ありません、戻って来たことに気付くのが遅れ、騎士団に身柄を拘束されてしまいました」
月光軍団のフィデスを奪われたのはミユウの責任ではない。
「カッセルから無事に帰ってきたというのに・・・」
捕虜にされた者は拷問や奴隷扱いは当たり前だが、潜入したミユウの報告によると、その二人は待遇が良かったという。フィデスは捕虜になっていたときにはカッセル守備隊の内情を見聞きしていたはずだ。監獄に入れるよりもそれを聞き出す方が得策であろう。
もう一人の捕虜になっていたパテリアという隊員も心配だ。トリルやマギーが知ったなら会わせてくれと言い出すだろう。
「これ、夕方の郵便馬車で届きました」
ミユウがポケットから取り出したのは州都の軍務部からの手紙だった。先日スミレが送った報告書への返事だろう。
「フラーベルさんの執務室で手紙の仕分けをしていて見つけたので、コッソリ抜いておきました」
「さすがだわ。騎士団のニコレットという隊員から事務を執る部屋に入るなと言われてね。手紙の中に知られては困ることが書いてあるかもしれないと心配だった」
「本来の任務は隠しておいた方がいいでしょう」
「ああ、この状況では深入りしすぎると危険だ」
「そういえば、騎士団の文官のニコレットさん、あの人、フラーベルさんに気があるみたいです。廊下でベタベタしているのを見てしまいました」
「フラーベルさんとニコレットが・・・」
「ニコレットさんは利用価値があるかもしれません」
「それはいいが・・・微妙な問題に深入りしないように」
ミユウまたメイドの顔に戻り食堂へと戻っていった。すぐに大きな笑い声が上がった。レモンたちとうまくやっているようだった。
東部州都軍務部スミレの部下ミユウがローズ騎士団に潜入した。メイドとして潜り込むことができたのだ。どんな手段を使ったかは分からないが見込んだだけのことはある。
さっそく軍務部からの手紙を抜き取ってスミレに渡してくれた。手紙には監察任務について、騎士団に知られたくない秘密事項も書かれていた。これが騎士団に見られていたらと思うとゾッとした。拷問どころではすまされないだろう。
月光軍団のフラーベルと騎士団の文官ニコレットが急接近しているという一件、ミユウの言う通り、騎士団を切り崩す手掛かりになるかもしれない。
*****
どうして、こんなことになってしまったのだろう・・・
月光軍団の文官フラーベルは次から次へと起こる事態に茫然自失になっていた。
執務室の机の上には書類が積み重なっている。これでも少しは片付いた方だ。ローズ騎士団のニコレットが事務を手伝ってくれている。命令ばかりだった初めの頃とは大きな変わりようだ。
それはうれしいのだが、ニコレットから特別の関係になるように迫られていた。最初のうちは跪けとか脚を舐めろと言われた。それが、最近では乱暴なことはされず優しく接してくれていた。人気のない廊下で手をつないだり、食事中に顔を寄せ合って食べたりした。そして、昨夜はついに抱きしめられた。
「ナンリさんを助けてあげたいでしょ。だったら、あなたしだいよ、わかってるわよね」
いい香りのする吐息が耳にかかり、しなやかな指が胸をまさぐる。
ナンリを監獄から出してくれるのなら・・・フラーベルは目を閉じニコレットの腕に抱かれた。
「フラーベルのこと気に入っちゃった」
ニコレットの顔がすぐ目の前にあった・・・
・・・ノックの音で我に返った。
「どうぞ、開いてるわ」
入ってきたのは新しく雇ったメイドだった。城砦のメイドに採用されたが、すぐにローズ騎士団の目に留まり、副団長の身の回りの世話をしているらしい。スミレから、騎士団の手先か、さもなければ守備隊のスパイかもしれないと忠告された。
メイドが持ってきたのは郵便馬車で届いた手紙の束だった。慣れた手つきで手紙を仕分けている。念のためフラーベルが点検したが、間違いはたった一点だけで、他の手紙は正しい部署宛てに区分けしてあった。教えてもいないのに良くできるなと感心した。
フラーベルは手紙をローズ騎士団の元へ届けてもらいたいと頼んだ。今はすべての手紙を騎士団が検閲しているのだ。
メイドが部屋を出て行った後で、そういえばまだ名前を聞いていなかったことに気付いた。名前を聞いたかもしれないが忙しくて忘れてしまった。
執務室を出たメイドのミユウは手紙の束から目的の一通を取り出すと内ポケットに押し込んだ。それから何食わぬ顔で階段を下りた。
*****
スミレ・アルタクインは図書室に籠った。
ローズ騎士団はシュロスの城砦に居座り続けている。副団長のローラはカッセル守備隊と戦うことを選んだのだ。
騎士団は山賊に襲われ、ずぶ濡れでシュロスへたどり着いた。そのまま王宮へ戻れば恥を晒して逃げ帰ったと揶揄される。守備隊と戦うのは、その屈辱を晴らすためだ。守備隊に勝利すれば堂々と王宮に引き上げられる。その時には監獄に入っているナンリやフィデスが解放される可能性もあるだろう。
スミレはフィデス・ステンマルクに関する隊員記録を広げた。
フィデスはカッセル守備隊との戦いでは、当初は留守部隊として騎士団の接待の準備にあたっていた。それが直前になって出陣を言い渡され、部下のナンリとともに戦場に赴いたと記されてある。どうやら予備兵力だったようだ。フィデスは戦いの初期には守備隊の副隊長補佐や指揮官を捕虜にした。後に奪還されてしまうのだが大きな功績を挙げていたのだ。
スミレは若い隊員のトリルの話を思い出した。ナンリは守備隊の指揮官たちを捕らえ、それを自分たちの手柄にしてくれたとのことだった。この件には上官のフィデスも関与していた。初陣の若い隊員を引き立てようとしていたのだ。それが、捕虜になり、勤めを終えて帰ってみれば、騎士団のビビアン・ローラによって処罰されたのでは気の毒でならない。
副隊長という立場上、軍事裁判で責任を問われるのは当然だが、厳しくても降格処分で済むのではないかと思われた。フィデスはナンリと力を合わせ月光軍団を立て直す人物だったはずだ。しかし、ローズ騎士団が部隊長のナンリを投獄したりフィデスを拘束したのは、結果的に戦力を大幅に減少させるだけだ。
スミレは捕虜の二人がカッセルから帰還したことはトリルたちには話していない。フィデスに会いたいと騒げば騎士団の魔の手が伸びてくるだろう。
ミユウの報告では、フィデスはカッセル守備隊のエルダと親密な関係だったそうだ。
その時の様子をミユウはこう語った・・・
『司令官を暗殺するべきだったでしょうか』
監獄で前隊長の仲間が襲いかかったとき、ミユウは思わず司令官のエルダを救った。
『その後、偵察員であることをエルダに見破られました。殺されると覚悟したのですが、フィデスさんに引き合わせてくれて、城砦から追放されただけですみました。何だかお互いに助け合ったみたいでした』
『捕虜の無事を確認する方が大事だった。エルダを助けた選択は間違っていないよ』
『ありがとうございます』
『ミユウ、お前、もしかしたらエルダに気に入られたのかもしれないな』
<作者より>
本日もお読みくださり、ありがとうございます。
これでようやく全体の三分の一までくることができました。