しまぬきが気になりだしたのは、ずいぶん昔
丹波布伝承館で伝習生の2年目に入った頃のことでした。
訳あって、康子先生が退任され、指導者がいない状態の時、
自分たちで勉強、研修してくださいとのこと・・・・。
私は、前の年康子先生のお宅で見せて貰った「天保年間の縞帳」や
康子先生達と訪れた、東京の日本民藝館で触れた
柳宗悦氏が集めた、多くの「古い丹波布」が、復興後の丹波布とは
雰囲気が違うことが気になり、
当時の町役場の助役に「復興前の布を勉強したい」と伝えた。
返事は「自分でやってください。」・・役場は復興後の丹波布を
伝承するだけなんだ・・・今の私一人では、とうてい無理・・
結局、2年目は、何にも勉強らしいものは出来ずに、
それでも、卒業展の作品は問屋さんに買って貰って、
自分で織った着物と帯で修了式に参加しすることができた。
その後は、紡いで染めて織って、染めて織って、染めて織って。
昨年病気で座れなくなるまでは、それなりに織っていた。
それなりにと言うことは、進歩は・・あやしい。
病気で家にいると、夫が織機を作る為、集めた資料があった。
その中の『上村六郎染色著作集 六』を読んでいて、
「青垣町では、現在は丹波布を復興して、或る程度売り出している。
この標本は、その後復興された丹波布ではなくて、私蔵している
昔のもっとも美しい丹波布を 小谷次男君に特に頼んで昔通りの
美しい感じのものに、そのまま復元してもらったものである。
記してもって感謝の意を表したい。」
という文章を見つけた!
上村氏も復興前の「もっとも美しい丹波布」(しまぬき)と
復興後の丹波布の違いを感じておられたのだ!
これを見つけて、私のしまぬき熱が再び上がってきた。
そこら中の資料を探し、聞き。いつか、(しまぬき)を
昔の人のように、紡いで、染めて、織ってみたいと思っている。
丹波布伝承館で伝習生の2年目に入った頃のことでした。
訳あって、康子先生が退任され、指導者がいない状態の時、
自分たちで勉強、研修してくださいとのこと・・・・。
私は、前の年康子先生のお宅で見せて貰った「天保年間の縞帳」や
康子先生達と訪れた、東京の日本民藝館で触れた
柳宗悦氏が集めた、多くの「古い丹波布」が、復興後の丹波布とは
雰囲気が違うことが気になり、
当時の町役場の助役に「復興前の布を勉強したい」と伝えた。
返事は「自分でやってください。」・・役場は復興後の丹波布を
伝承するだけなんだ・・・今の私一人では、とうてい無理・・
結局、2年目は、何にも勉強らしいものは出来ずに、
それでも、卒業展の作品は問屋さんに買って貰って、
自分で織った着物と帯で修了式に参加しすることができた。
その後は、紡いで染めて織って、染めて織って、染めて織って。
昨年病気で座れなくなるまでは、それなりに織っていた。
それなりにと言うことは、進歩は・・あやしい。
病気で家にいると、夫が織機を作る為、集めた資料があった。
その中の『上村六郎染色著作集 六』を読んでいて、
「青垣町では、現在は丹波布を復興して、或る程度売り出している。
この標本は、その後復興された丹波布ではなくて、私蔵している
昔のもっとも美しい丹波布を 小谷次男君に特に頼んで昔通りの
美しい感じのものに、そのまま復元してもらったものである。
記してもって感謝の意を表したい。」
という文章を見つけた!
上村氏も復興前の「もっとも美しい丹波布」(しまぬき)と
復興後の丹波布の違いを感じておられたのだ!
これを見つけて、私のしまぬき熱が再び上がってきた。
そこら中の資料を探し、聞き。いつか、(しまぬき)を
昔の人のように、紡いで、染めて、織ってみたいと思っている。