ごきげん練習帳 〜自分トリセツの作り方〜

自分と人生を楽しむための”セルフ・コーチング”ノート

本音と建前のズレ

2013年06月25日 | ●セルフコーチング

 

 

このところ、実はずっと苦しかったんです

何が苦しいのか、自分でもよくわからなかったのですが、

自分の中が分裂して、ひとつにまとまらず、

エネルギーが漏れに漏れて、疲弊していく感じでした

 

それが、今日、

なぜそうなのか、ちょっとわかったようで、

久しぶりにスッキリしました

 

何がわかったのか。

それは、私自身が本音と建前の間で

迷い、揺れに揺れていた、ということです。

 

先日、「本音は建前をだまし続けられない」

と書きました(こちら)。

そこには気づいたものの、で、どうするのか、

具体的には見えなかったので、

苦しさは続いていました。

 

今も、見えたわけではないのです。

ただ、自分の本音を、もっともっとしっかり認めること、

そこからだ、ということが、

肚落ちした感じなのです。

 

自分が思っている本音は、決してきれいごとではありません。

それを認めたくない自分がいます。

それで、他人だけでなく、自分まで

だまそうとしている自分がいました。

でも、そんな状態、心にも身体にも

いいわけがありません。

 

かといって、本音と建前を、

本当に一致させられるほど

自分は強くもなんでもありません。

 

本音一本化するにしても

建前一本化するにしても、

どちらもラクなことではありません。

 

そもそも、本音と建前とがひとつになったとすれば、

「建前」という言葉は消えてなくなりますね。

 

 

で。

思ったのは、

本音を本音としてもっと積極的に認識する

ということです。

今までは、醜い本音を見たくなくて、

本音がどういうものなのかすら、

認識して、いえ、しようとしていませんでした。

 

そこで、自分の本音は何なのか、

それをまずはじっくり自分に聞いてみる。

仕事のことをどう思っているのか。

本当は何がしたいのか。

家族についてどう思うのか。

お金についてどう思うのか。

健康や運動についてどう思うのか。

人との関係についてどう思うのか。

・・・・

 

これまでにも、さんざん考えてきたように思います。

けれども、

醜い本音を見たくなくて、きれいな建前ばかりを

考えてきたのだと思います。

 

だから、

実は、本当はどうしたいのか、

それが明確にならなかったのではないか。

 

今さらながら、そう思います。

 

 

本音と建前があるのが人間。

それをまず、自分に認めてあげよう。

そうしなければ、本音と建前を近づけることもできない。

 

建前は、ある意味「理想」です。

「建前」と言うと悪いもののように考えられがちですが、

建前もないと、物事も世の中も、

よい方に向かってはいかないのだと思います。

 

だから、大いに持ったらいいのだと思います。

「理想」「夢」「建前」。

 

けれど、それを実現していくためには

現状をきちんと把握しなくては、

そのギャップをどう埋めていったらいいのかも

わからない。

その現状の把握が、言ってみれば

「本音」の把握なのかもしれません。

 

本音がどうか、現状がどうか、ということがわかれば、

また逆に、

「具体的、計測可能、実現可能、現実的」な目標を

「期限付き」で設定することが、

可能になるのかもしれません。

 

 

自分を認めるとは、

自分の醜い部分を認める、ということ。 

そして、醜い部分も、きれいな部分も

すべてあわせて自分だということを

認めるということ。


頭ではわかっているはず、

そしてこれまでにも体感してきたはず、

人にだって話してきたはずなのに、

やっぱり、わかっていなかった私。


何度も何度も体感して、

頭と身体が一致するようになるんでしょうか。。。


これから、積極的に、

自分の醜い本音を上げていこうと思うと、

なんだか、ワクワクしてきました。


私って、変?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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