突然ですが、私がこれまでに
「今まででいちばん嬉しかった瞬間は?」みたいなことを聞かれて
いつも思い出すのは、
大学生になって、高校時代の友人たちと
オペラを上演した時のことでした。
何か目的があったわけでもなく、
ただ、自分たちがやりたいからやった、というそれだけ。
赤字を出すわけにはいかなかったので、
そこは考えて、組織づくりに時間をかけ、
設立趣意書なんかも作って配ったりしてました・・・
赤字は出さなかったけれど、儲けなくてもよかったし、
自由になる時間があったし・・・
状況や気持ち、そんな一切合切を含めて、
「若かったなあ」と思います。
だから、できた。
ただ、その時の気持ちを知ってしまうと、
それが自分の100%状態のように思えて、
そうじゃないと生きてる気がしない、
みたいに思ってしまっていたんですね。 どっか・・・
でも現実の毎日は、そうしたスペシャルな瞬間の連続
というわけにもいきませんから、
スペシャルな、麻薬のような時にまためぐり合えることを夢見つつ、
毎日を送っている。
なので、ふだんの毎日は、あまりにも色あせて見える、
正直、そんな感じを持っていたかもしれません。
でね。
その瞬間て何だったのか、ってことを、
ふと、思ったんですね。
そうすると、その時、
その「100%生きてる!」みたいに感じられた瞬間は、
自分の体を使って、魂の喜びを感じている、
そんな瞬間だったのではないか、と思うのです。
多くの場合、考えているだけで、体は
たとえば椅子に座りっぱなしだったりします。
そして、思考だけが過去や未来に飛んでいます。
でも、体は使ってないんです。
せいぜいPCを打つ指先くらい。
逆のほうがいいですね。
たとえばスポーツしている時。
体がどんどん動いています。
もちろん思考も使ったりするのですが、
思考が追い出されて、体とマインドというのか、感覚だけになると、
プレイがうまくいきます。
会心のワンショット、キックなどのときのことは、
選手はよく覚えていなかったりします。
そんな瞬間を「ゾーン」なんて言いますね。
結局、体を使うことで、体という五感装置を通して、
痛みやつらさ、あるいは快感を感じることができ、
そうした快・不快を感じることができるから、
喜怒哀楽などの感情を、感じることができる。
たぶん、快か不快、ポジティブかネガティブ、
どちらかだけしか知らないと、もう片方も知ることができません。
そして、生きている喜びを知る。
だから、
生きている喜びを知る瞬間というのは、
体も、心も、魂も、すべてが一致しているんじゃないかな、
そう思います。
それを「今にいる」という表現で表したりしますね。
なので、今にいることができれば、
日々、いつでも、「生きている喜び」を感じることができる、
そういうことになりますね。
さて、今日も「今」に精一杯、全力投球しよっと