JACKな毎日!

ジャックラッセルテリア小梅・小春親子の徒然なる日常!

義父

2011-09-30 | 親子の日常
3年間、癌と戦ってきた義父が逝った ---------



常に前向きに、そして冷静に病と向き合ってきた。

・ 最近の癌治療がほとんど通院で行なわれるということ、
・ 入院はよほど体調が悪くならない限りさせてもらえないということ、
・ 抗がん剤はそれぞれの発症部位で効くモノが決まっているということ、
・ 同じ抗がん剤は二度と使えないということ、
・ 転移ガンの場合、転移部位ではなく最初に発症した部位の抗がん剤でないと
 効果がないということ。

義父の闘病で、現在の癌治療がどんなものなのか、その問題点も含め
いろいろなことを知った。
 (入院に関しては、小泉さんの医療費削減政策のせいで保険点数が改正され、
  長期入院を受け入れると病院経営がなりたたなくなったらしい。
  これは老人医療も同様。まるで患者を切り捨てるかのような心無い政策!
  おかげで地方では、患者が病の体を押して遠い病院まで通院するという事態が・・・)

幸い義父は癌の痛みも治療の副作用も少なかったため、良いと思われる治療法
があれば積極的に出向き治療を受けた。
が、最終的にはそれが災いしたか(?)非常に珍しいことらしいが
抗がん剤によって骨髄が侵され急性骨髄性白血病となったことが致命となる。

Dr.から「あとは週単位で考えておいて下さい・・・」
そう言われたにもかかわらず、1ヶ月以上先のおばあちゃん(義父の母親)の
13回忌まで義父は頑張った。



集まった義父の兄弟達と一緒に車いすでお寺にまで同行した。

義父は最後まで義父らしく、自分らしさを通した。
葬儀は皆をわずらわせないよう、最低限の人数で行うこと、
宗教色を取り除いたものにすること。

読経の代わりに好きなクラシック音楽をかけ、
弔辞の代わりに自分からのお別れの言葉を述べてもらい、
お焼香の代わりに献花をする。

なので病室では、葬儀でかける音楽をセレクトしたり、
挨拶文の文章を考えたりと、義父は最後まで忙しかった。

「最後位、俺は我がままを通すぞ!」
お義父さんは言っていたけれど、それは、後に残るものが困らないように
すべてを決めて逝ったお義父さんの優しさだったような気がする。



祭壇には、義父が作った帆船の模型が飾られた。



義父は経済的な理由で地元の大学に進んだが、本当は船乗りになりたかったそうだ。
なので、遺骨の半分は海へ散骨される。
残りの半分はどこか風の流れる樹木の下に(いずれはお義母さんと)眠りたいそうだ。

お義父さん・・・きっと犬はあまり好きではなかったですよね?
帰省時、いつも騒々しくして申し訳なかったです。
でも、犬達は父と同じニオイのする宇部のオジーチャンのこと、
好きだったような気がします。
(見ててそんな感じがしました。)



葬儀が終わった夜、小春が誰もいない方を向いて唸った。
 「お父さん、来てるのかな?」
そんな言葉に義妹が
 「お父さんさー、小春の名前ちゃんと覚えなかったから
  小春に唸られんだよ(笑)」
そんな冗談で返した。



葬儀の終わった夜だというのに、こんなにもおだやかな空気の中で
過ごせたのは、お義父さんがちゃんと「死」と向き合い、
皆でこの日の準備してきたせいの気がする。
おかげで、心の準備が少しづつ出来たような・・・
お義父さん、これもきっとお義父さんの優しさですよね?

お義父さん、お疲れ様・・・・
ゆっくり休んで下さいネ
お義母さんが寂しくないよう、見守ってあげて下さいね。