手話通訳に行く時、必ず、メモ帳と筆記具を持っていく。
タイトルに筆記と書いたが、「メモ」と表記した方が正確かもしれない。
しかし・・・
元要約筆記者だからだろうか、筆記という言葉を使いたくなる。
また、元要約筆記者として、現役の手話通訳者として、
「単なるメモちゃうで!」
と主張したいという気持ちもある(笑)
例えば、通訳現場の会話の中に、伊藤さんと伊東さんが登場したとする。
伊東と伊藤を手話で使い分けることはたやすい。
しかし、正確性を高めるため、スキを見て、メモ帳に、
「伊藤」
「伊東」
と書いておく。
そして、書いた後は、このメモを指さしする。
手話表現を省略するのではない。
手話通訳に来ているのだから。メモはあくまで、補完的に使う。
手話の読み取り、ということを、よく、考えるべきである。
手話通訳者が「伊東」と表現したのを、申請者さんが「伊藤」と読み取る、ということは、時々ある。
これを申請者さんのせいにするようなヘボ通訳者に、通訳を頼んではいけない。
また、通訳者自身が、自分では「伊藤」と表現したつもりで、実際には「伊東」と表していることだってある。
こういう俺のやり方を見て、地元の主流派手話通訳者たちは、
「たいしは技術不足だから、メモ帳を持ち歩いている」
と笑う。
勝手に笑っていればよい。
タイトルに筆記と書いたが、「メモ」と表記した方が正確かもしれない。
しかし・・・
元要約筆記者だからだろうか、筆記という言葉を使いたくなる。
また、元要約筆記者として、現役の手話通訳者として、
「単なるメモちゃうで!」
と主張したいという気持ちもある(笑)
例えば、通訳現場の会話の中に、伊藤さんと伊東さんが登場したとする。
伊東と伊藤を手話で使い分けることはたやすい。
しかし、正確性を高めるため、スキを見て、メモ帳に、
「伊藤」
「伊東」
と書いておく。
そして、書いた後は、このメモを指さしする。
手話表現を省略するのではない。
手話通訳に来ているのだから。メモはあくまで、補完的に使う。
手話の読み取り、ということを、よく、考えるべきである。
手話通訳者が「伊東」と表現したのを、申請者さんが「伊藤」と読み取る、ということは、時々ある。
これを申請者さんのせいにするようなヘボ通訳者に、通訳を頼んではいけない。
また、通訳者自身が、自分では「伊藤」と表現したつもりで、実際には「伊東」と表していることだってある。
こういう俺のやり方を見て、地元の主流派手話通訳者たちは、
「たいしは技術不足だから、メモ帳を持ち歩いている」
と笑う。
勝手に笑っていればよい。