3月も派遣者からの連絡は一切なかった。
いろいろ思うことはあるが、公的派遣への未練はない。
公的な通訳など、手話通訳の一部に過ぎない。
だから、引退と言っても、公的な「手話通訳者派遣」の舞台から下りるだけや。
さて、どのように舞台を降りるか。
資格そのものをお返ししようかと思ったが、それはやめようと思う。
派遣者側の責任者が変われば、もしかしたら、また必要とされることもあるかもしれない。
派遣者と向き合うと、感情が出てくる。
派遣者側の責任者の面前に資格者証を叩き付けて、
「じゃーな」
と背中を向けたくなる。
しかし、手話通訳者の資格とは、それこそ、私的なものではない。
個人の感情は後回しにすべきである。
思い出せ。
現場で初めて会ったろう者から、
「あなたに会えてよかった」
と言われたこと、一度や二度ではなかった。
必要としてくれる人が一人でもいるなら、自分から辞めるべきではなかろう。
いろいろ思うことはあるが、公的派遣への未練はない。
公的な通訳など、手話通訳の一部に過ぎない。
だから、引退と言っても、公的な「手話通訳者派遣」の舞台から下りるだけや。
さて、どのように舞台を降りるか。
資格そのものをお返ししようかと思ったが、それはやめようと思う。
派遣者側の責任者が変われば、もしかしたら、また必要とされることもあるかもしれない。
派遣者と向き合うと、感情が出てくる。
派遣者側の責任者の面前に資格者証を叩き付けて、
「じゃーな」
と背中を向けたくなる。
しかし、手話通訳者の資格とは、それこそ、私的なものではない。
個人の感情は後回しにすべきである。
思い出せ。
現場で初めて会ったろう者から、
「あなたに会えてよかった」
と言われたこと、一度や二度ではなかった。
必要としてくれる人が一人でもいるなら、自分から辞めるべきではなかろう。