香湧水(澤口 宏行)

近況や意見、呼びかけ、個人の研究成果など。

聖書の親しみ ルカによる福音書から

2014年11月12日 11時45分14秒 | Weblog
こんにちは。

昨日は、疲れたのと、時間が、なくて、更新できませんでした。

いろいろなことを、思い出しながらも、司法にも関係していたから、

郵政職員時代には、たいへん伸びたのだと感じています。

これからも、何らかの形で、全てを、復活し、さらに、

新しい力を、現すようにしたいと思います。

ただ、収入が、心配です。

私が、いい加減だったのではなく、日本の社会の発達が、

いつも着いて来ていなかったのでした。

その場、その場を、全力で、頑張りますが、収入が、心配です。

では、いつものように、少しだけ、祈ります。

もちろん、カルメル会の祈祷書「祈りの友」も、日課として、

頑張ていますから、教皇フランシスコ一世様も、ご安心くださり、

同時に、私のように苦しい立場でも、カトリック教会に、なんとか

繋がって、生きている者も、いることを、ご理解ください。

教皇フランシスコ一世様、私は、子供の時から合わせて、社会を、

より、深く、理解するために苦しみ、複数回の洗礼を、

受けたばかりではなく、(多分その中には、洗礼名が、フランシスコ

であったことも、多いと思います。フランシスコの頃、私のこの様な

自己学習に、協力してくれていた伯父が、自動車事故で、亡くなった

ので自動車事故・・私は、小学校の一年生か二年生でしたが、

先日の韓国訪問の時に、教皇様の親族が、自動車事故で、

亡くなったのは、余りにも、その時に、似ていると思いました。

私は、小学校の一年生か二年生でしたが、母の兄でしたので、

教会は、その後、あまり、まじめには、行きませんでしたし、

郡山ザベリオ学園にも、通う気持ちは、なくなりました。

子供だったのですね。

しかし、何度か、天皇陛下が、皇太子さまであった頃、

ご一緒に、上智大学の公開講座か、神学講座を、同じ教室で、

授業を受けました。それだけが、私の心の支えであったし、

その後の、社会での頑張りと主のお恵みでした。

教皇様に、おかれましても、事故のお苦しみのお気持ちを、

写真から、うかがい知ることが、できました。

亡くなったのは、やはり、しっかりと主と人々に、仕えようとした

教皇様のお心によるものと信じられました。)



バプテスト派や、ものみの塔、その他、なども含んで、います。

短い時間でしたが、何が違うのか?本当に、よく考えましたし、

日本の創価学会や仏教のお寺、日本神道なども含めて、

本当に、よく考えましたが、どこでも重要なのは、

幸せな人生を、おくる事です。

それでも、カトリック教会は、巨大であるがゆえに、他人には、

厳しく、ろくな準備もなく、何らかの教会での働きを求めます。

しかし、信仰とは、あらゆる問題が、含まれていますから

決して、そんなに早く、成長できませんし、正しい心で、

最も大切な仕事である神と人に仕える事は、簡単に、

心の準備は、できません。そして、身の振る舞いも

普通は、十分に、慎重に、おこなっていますから、教会の

振る舞い方が、重要なのに、全くの、最悪のコミュニケーション

に対する知識で、自己主張します。そのため、一般社会での、

コミュニケーションの教育や指導もかなり、困ったものに

なりやすいです。長い文章になりましたので、終わります。




  

  ✝ 私たちの父であり、神である主よ。

心からあなたに感謝します。

今日も、あなたは、私を、生かしてくださいました。

願わくは、このまま、私の全てを、お使いください。

願わくは、郵便の仕事を、祝福してください。

この仕事が、一日も早く、この世界に、平和を、

もたらすことが、できますよう私を、助け、諭し、

教え、導いてください。

また願わくは、一日も早く、私に家庭を、

お与えください。私の真の助け手である妻を、

知ることが出来るように、いつも、

私と、ともに、とどまってください。

私の口を、制し、正しい言葉を、お与えください。

私も、私の全ての、思い、言葉、行いを、お捧げ致します。

いつも、この世界を、正しく治める力と知恵と知識と

勇気と愛と慈しみを、お与えください。

すべてのお恵みによって、それらを、正しく維持できるように

助けてください。

私に、あなたのお力を、示し、日々の学習・研究もまた、

助け導いてください。

全てに感謝を捧げ、私たちの主、イエス・キリストの

御名によって、心から、お祈りいたします。

アーメン。

Francisco Xavier Hiroyuki Sawaguti.

****ルカによる福音書から****

  イエスの命名

 割礼を施すべき八日目になったとき、

受胎の前にみ使いが告げたとおり、幼子はイエスと

名づけられた。

  イエスの奉献

 さて、モーセの律法に定められた、彼らの清めの

日数が満ちると、両親は幼子を主にささげるために、

エルサレムへ連れて行った。

これは主の律法に、「はじめて生まれる男の子はみな、

主に聖別された者である」と書き記されているからであり、

また主の律法の述べられているところに従って、

山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽を犠牲として

ささげるためであった。


*****以上、本日の転記終わり******