掲載画像は何のグラフかおわかりだろうか?
これは先日ノーベル物理学賞と化学賞で日本中が沸いたときの国内のブログでの関心度を示したグラフだ。
Yahoo!ブログ検索で「キーワードの注目度」を拡大表示すると、自分が指定する複数のキーワードがどれだけ国内のブログで使われていたかを過去にさかのぼって表示させることができる。(「Googleトレンド」でも同じようなことができる。)
つまりこういうことだ。
ノーベル賞ブームはただのお祭り騒ぎに終わってしまったことがよくわかる。「理系離れ」が憂慮される昨今だが、このブームをきっかけに少しは科学や物理に関心を持つ人が増えただろうかと(少しだけ)期待していたところだ。また、もともと科学や物理学は一般の人にどれくらいの関心が持たれているかを客観的に知ることも物理系のブログを書く僕にとっては大きな関心事。
グラフには複数のキーワードがグラフ表示されるので、それぞれの比較とともにブログで引用される絶対数も判断基準にしてほしい。
また、今回の分析の母集団は「ブログを書いている人たち」なので「ブログの読者」や「ネットでの検索数」ではない。したがってインターネットにアクセスできない人たちのデータは含まれていないことに注意してほしい。
では、さっそくはじめよう。
1)アインシュタインはどれくらい有名か?
歴史上、物理学者としていちばん有名なのは間違いなくアインシュタインだろう。そして国内ではおそらく湯川秀樹だ。彼らが一般の有名人と比べて見劣りしていないか調べてみた。
アインシュタインは松田聖子と同じくらい有名だが、徳川家康よりは関心がもたれていない。湯川秀樹はアインシュタインには遠く及ばないが、今回のノーベル賞効果で一時的に関心度がアップしているのがわかる。
2)他の分野と比較してみると
医学、文学、芸術と科学、物理を比較してみた。必ずしも科学は負けていないことがわかる。物理はノーベル賞効果で一時的に関心が高まっている。けれどもその後科学や物理への関心は全くもとのレベルまで下がってしまった。。。
3)生活に関係する関心事との比較
普段の生活での関心事と科学や物理がどの程度開きがあるかを調べてみた。結婚がブログでかなり引用度が高いのには驚いたが、科学は年金よりも関心が持たれていることも意外だ。ニュースや新聞でさんざん年金問題が取り沙汰されているのにである。
年金への関心が低く出ているのは、おそらくインターネットにアクセスできない高齢者の関心度が含まれていないためかもしれない。
「政治」の線にピークがあるのは福田総理が辞任したことによるものだ。
4)他の科目との比較
科学や理科はなかなか健闘している。化学や生物、英語などをキーワードに選ぶことができないのが残念だ。というのも化学は「住友化学」のように会社名として使われることが多いし、生物や英語は授業科目以外の用途で引用されることが多いから同じ基準で比べることができないからだ。「社会」も同様なので「社会科」とした。キーワードは慎重に選ばなくては正しい評価ができない。
5)アインシュタインとニュートンの対決
徳川家康には負けてしまったアインシュタインだが、ニュートンとも互角の勝負であることがわかった。ここにガリレオも含めたかったのだが、福山雅治の「ガリレオ」の影響で平等に評価できないため、キーワードにできない事情がある。
天文学者のプトレマイオスの人気が一時的にアップしているので変だなと思って調べたら、ガンダム00の母艦が「プトレマイオス」という名前で10月17日に発売されていたためとわかった。比較対象としては不適当だったかもしれない。
6)「~理論」で比較してみた。
さすが相対性理論である。素粒子物理学の「標準理論」もノーベル賞効果で一時的にピークとなり、相対性理論を抜いているのは驚きだ。最先端理論の「超ひも理論」はまだまだ認知されていない。頑張れ!
7)量子物理学者対決!
一般にはあまり知られていない量子力学だが、この世界を理解するには必要不可欠な分野だ。この分野に貢献したのは日本では朝永振一郎が有名だが、他の量子物理学者と比べてみた。朝永先生の人気が一時的に高くなっているのは、もちろんノーベル賞効果である。量子力学は「あまり」どころか「ほとんど」一般には知られていないことがよくわかった。(超ひもよりはマシだけど。)
8)アインシュタインと福山雅治の対決!
ドラマや映画で有名な「ガリレオ」の福山雅治であるが、アインシュタインを超えられたのであろうか?結果は福山雅治の勝ちである。福山雅治のピークは映画「ガリレオ」の公開によるものでノーベル賞とは関係ない。しかし、普段は無名の南部陽一郎も福山雅治に迫る勢いで人気が出た。ノーベル賞効果恐るべしである。
9)「~好き」で比較
「趣味」という切り口で分析してみた。科学ファンは鉄道ファンより少ないようである。鉄道ファンってそんなにいるのだろうか??音楽ファンが多いのは予想どおりだが、比較のために載せておいた。
10)「~離れ」で比較
「~離れ」で比較してみた。「理系離れ」や「理科離れ」が一般の人にどれくらい心配されているかがポイントだ。ノーベル賞効果を契機に関心を持たれたようだ。しかしその「心配」も一時的なものに終わった。これらは一般用語であるにもかかわらず絶対数は「量子力学」や「超ひも理論」並に少ない。理科離れは細々と心配されているというのが実情のようだ。
「国語離れ」や「数学離れ」というのは普段耳にしない言葉なのでキーワードとしては不適当で「数学嫌い」のほうがよかったかもしれない。
「政治離れ」に関心が集中したのは福田さんの突然辞任のせいである。
11)「理科離れ」、「科学離れ」、「理系離れ」で比較
最後に「理科離れ」は「科学離れ」や「理系離れ」と言われることもある。比べてみたところ「理科離れ」という言い方がいちばん多く使われているようだ。
今日のニュースで文部科学省が基礎学力強化、科学離れを食い止めるためにノーベル賞受賞者集め懇談会を設置することを決めたが果たしてうまくいくだろうか。(読売新聞のニュース記事)先生方は(特に益川先生は)常識にとらわない自由な発想で意見をおっしゃるだろうから、常識のお手本のような文部科学省がどのように吸収し、実行できるか僕は楽しみにしている。
みなさんは、この結果を見てどのようにお感じになっただろうか?ぜひご自分でもいろいろキーワードを考えて比べてみてほしい。もちろん物理や科学と関係なく、ご自分の関心事のキーワードで試すと意外な発見があるかもしれない。
ブログ執筆のはげみになりますので、1つずつ応援クリックをお願いします。
関連ページ:
科学はゲーム「おもしろい」ノーベル賞4氏語る「理科離れ」歯止め期待
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/081011/acd0810111244003-n1.htm
理工系離れ、理科系は鳴れ、理系離れ
http://banare.rikoukei.com/
そして誰も物理を学ばなくなった
http://kaoru.txt-nifty.com/diary/2008/05/post_0426.html
子どもの理科離れをなくす会
http://www.e-kagaku.com/
調査レポート「理科離れ解消のために何が必要か
http://www.toray.co.jp/news/affil/nr070725.html
理科離れと理科教育
http://www008.upp.so-net.ne.jp/takemoto/rika_banare.htm
これは先日ノーベル物理学賞と化学賞で日本中が沸いたときの国内のブログでの関心度を示したグラフだ。
Yahoo!ブログ検索で「キーワードの注目度」を拡大表示すると、自分が指定する複数のキーワードがどれだけ国内のブログで使われていたかを過去にさかのぼって表示させることができる。(「Googleトレンド」でも同じようなことができる。)
つまりこういうことだ。
ノーベル賞ブームはただのお祭り騒ぎに終わってしまったことがよくわかる。「理系離れ」が憂慮される昨今だが、このブームをきっかけに少しは科学や物理に関心を持つ人が増えただろうかと(少しだけ)期待していたところだ。また、もともと科学や物理学は一般の人にどれくらいの関心が持たれているかを客観的に知ることも物理系のブログを書く僕にとっては大きな関心事。
グラフには複数のキーワードがグラフ表示されるので、それぞれの比較とともにブログで引用される絶対数も判断基準にしてほしい。
また、今回の分析の母集団は「ブログを書いている人たち」なので「ブログの読者」や「ネットでの検索数」ではない。したがってインターネットにアクセスできない人たちのデータは含まれていないことに注意してほしい。
では、さっそくはじめよう。
1)アインシュタインはどれくらい有名か?
歴史上、物理学者としていちばん有名なのは間違いなくアインシュタインだろう。そして国内ではおそらく湯川秀樹だ。彼らが一般の有名人と比べて見劣りしていないか調べてみた。
アインシュタインは松田聖子と同じくらい有名だが、徳川家康よりは関心がもたれていない。湯川秀樹はアインシュタインには遠く及ばないが、今回のノーベル賞効果で一時的に関心度がアップしているのがわかる。
2)他の分野と比較してみると
医学、文学、芸術と科学、物理を比較してみた。必ずしも科学は負けていないことがわかる。物理はノーベル賞効果で一時的に関心が高まっている。けれどもその後科学や物理への関心は全くもとのレベルまで下がってしまった。。。
3)生活に関係する関心事との比較
普段の生活での関心事と科学や物理がどの程度開きがあるかを調べてみた。結婚がブログでかなり引用度が高いのには驚いたが、科学は年金よりも関心が持たれていることも意外だ。ニュースや新聞でさんざん年金問題が取り沙汰されているのにである。
年金への関心が低く出ているのは、おそらくインターネットにアクセスできない高齢者の関心度が含まれていないためかもしれない。
「政治」の線にピークがあるのは福田総理が辞任したことによるものだ。
4)他の科目との比較
科学や理科はなかなか健闘している。化学や生物、英語などをキーワードに選ぶことができないのが残念だ。というのも化学は「住友化学」のように会社名として使われることが多いし、生物や英語は授業科目以外の用途で引用されることが多いから同じ基準で比べることができないからだ。「社会」も同様なので「社会科」とした。キーワードは慎重に選ばなくては正しい評価ができない。
5)アインシュタインとニュートンの対決
徳川家康には負けてしまったアインシュタインだが、ニュートンとも互角の勝負であることがわかった。ここにガリレオも含めたかったのだが、福山雅治の「ガリレオ」の影響で平等に評価できないため、キーワードにできない事情がある。
天文学者のプトレマイオスの人気が一時的にアップしているので変だなと思って調べたら、ガンダム00の母艦が「プトレマイオス」という名前で10月17日に発売されていたためとわかった。比較対象としては不適当だったかもしれない。
6)「~理論」で比較してみた。
さすが相対性理論である。素粒子物理学の「標準理論」もノーベル賞効果で一時的にピークとなり、相対性理論を抜いているのは驚きだ。最先端理論の「超ひも理論」はまだまだ認知されていない。頑張れ!
7)量子物理学者対決!
一般にはあまり知られていない量子力学だが、この世界を理解するには必要不可欠な分野だ。この分野に貢献したのは日本では朝永振一郎が有名だが、他の量子物理学者と比べてみた。朝永先生の人気が一時的に高くなっているのは、もちろんノーベル賞効果である。量子力学は「あまり」どころか「ほとんど」一般には知られていないことがよくわかった。(超ひもよりはマシだけど。)
8)アインシュタインと福山雅治の対決!
ドラマや映画で有名な「ガリレオ」の福山雅治であるが、アインシュタインを超えられたのであろうか?結果は福山雅治の勝ちである。福山雅治のピークは映画「ガリレオ」の公開によるものでノーベル賞とは関係ない。しかし、普段は無名の南部陽一郎も福山雅治に迫る勢いで人気が出た。ノーベル賞効果恐るべしである。
9)「~好き」で比較
「趣味」という切り口で分析してみた。科学ファンは鉄道ファンより少ないようである。鉄道ファンってそんなにいるのだろうか??音楽ファンが多いのは予想どおりだが、比較のために載せておいた。
10)「~離れ」で比較
「~離れ」で比較してみた。「理系離れ」や「理科離れ」が一般の人にどれくらい心配されているかがポイントだ。ノーベル賞効果を契機に関心を持たれたようだ。しかしその「心配」も一時的なものに終わった。これらは一般用語であるにもかかわらず絶対数は「量子力学」や「超ひも理論」並に少ない。理科離れは細々と心配されているというのが実情のようだ。
「国語離れ」や「数学離れ」というのは普段耳にしない言葉なのでキーワードとしては不適当で「数学嫌い」のほうがよかったかもしれない。
「政治離れ」に関心が集中したのは福田さんの突然辞任のせいである。
11)「理科離れ」、「科学離れ」、「理系離れ」で比較
最後に「理科離れ」は「科学離れ」や「理系離れ」と言われることもある。比べてみたところ「理科離れ」という言い方がいちばん多く使われているようだ。
今日のニュースで文部科学省が基礎学力強化、科学離れを食い止めるためにノーベル賞受賞者集め懇談会を設置することを決めたが果たしてうまくいくだろうか。(読売新聞のニュース記事)先生方は(特に益川先生は)常識にとらわない自由な発想で意見をおっしゃるだろうから、常識のお手本のような文部科学省がどのように吸収し、実行できるか僕は楽しみにしている。
みなさんは、この結果を見てどのようにお感じになっただろうか?ぜひご自分でもいろいろキーワードを考えて比べてみてほしい。もちろん物理や科学と関係なく、ご自分の関心事のキーワードで試すと意外な発見があるかもしれない。
ブログ執筆のはげみになりますので、1つずつ応援クリックをお願いします。
関連ページ:
科学はゲーム「おもしろい」ノーベル賞4氏語る「理科離れ」歯止め期待
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/081011/acd0810111244003-n1.htm
理工系離れ、理科系は鳴れ、理系離れ
http://banare.rikoukei.com/
そして誰も物理を学ばなくなった
http://kaoru.txt-nifty.com/diary/2008/05/post_0426.html
子どもの理科離れをなくす会
http://www.e-kagaku.com/
調査レポート「理科離れ解消のために何が必要か
http://www.toray.co.jp/news/affil/nr070725.html
理科離れと理科教育
http://www008.upp.so-net.ne.jp/takemoto/rika_banare.htm
とねさんの分析、面白いです(笑)
それにしても…
ノーベル賞人気は予想以上にあっという間で、超ひも理論への関心なんかとてつもなく低い…
このままではあの益川さんが強く危惧する「理科離れ」に何の改善も起きそうにありませんね~(泣)
同じく僕がこの状況について一番思うのは「もったいない!」ということです。
科学的視点でこの世を眺めること。
それは私達の固定された世界観を壊し、新鮮世界を見せてくれ、本当にエキサイティングで愉しい。
そして、時に自分の「生」について考えさせてくれ、とても深く、感動的。
そんな「科学でしか味わえない感覚」はたくさんあると思います。
だからそれを人々に味わってほしい!!もったいない!!
と科学愛好家の一人の僕は純粋にそう思います。
最近の世相を見ていると理科離れというより、一般の人が自分の興味を満たすために読書したり、勉強したりすることが減ってきているからだと思っています。勉強をする人は現代でもいますが、それは仕事や受験、資格試験のためであることが多く、知的関心を満たすのとは違っています。人々の関心が内的なものからモノや金などにウェイトが移ってしまっていますよね。
金融危機、円高を発端として世界中の人の生活が危機にさらされています。日本の産業を支えている多くの中小企業がこれからつぶれていくことでしょう。安いからといって安易に海外に製造拠点を求めるのではなく、国内に製造拠点を戻して「理系人」が安心して仕事できるようにしなければ、技術立国日本は消滅してしまうかもしれませんね。
「グローバル化」の名の元に日本国内では多くの大切なものが失われてしまっています。
ノーベル賞の話題、こんな一時のピークを作っただけで、消滅してしまっていたのですね。これじゃあ、まるでデルタ関数ではないですか。
私は、来年、理一の倍率が上がって、私がますます、合格できなくなると、彼らの受賞が来年だったらよかったのに、なんて思っていたのですが、杞憂かも知れませんね。
まあ、来年春は、取りあえず、放送大学卒業を目指すわけですが、出来ることなら、大学にきちんと行けたらとも思っています。
現代の若者たちと、物理を競い合いたい。そう思っています。
でも、本当に、物理が分かっている人って、少数派なんですね。とねさんの分析で、つくづくそう思います。
面白い分析をありがとうございました。
> まるでデルタ関数ですね
面白い!!そうそう、デルタ関数ですね!(笑)
> 杞憂かも知れませんね。
杞憂だったみたいですね。物理ブームが続いてほしいという期待は裏切られましたが、EROICAさんの合格にはマイナス要因にならないということで「善し」としましょう。頑張ってくださいね。
今回の分析で自分が関心を寄せている「物理学」というものが一般の人の関心ごとからどれくらい離れているか、どれだけ特殊なことなのかを正しく知るいいきっかけになりました。めげずに「ブログでの啓蒙活動」は続けるつもりですけどね。(笑)
でも、いざ自分自身を振り返ってみるとき、多くの人が興味をもっている「野球」や「ゴルフ」について
僕自身は面白さを見出せないでいます。だから人の興味は人それぞれですから、そんな風に思えば理科離れも数多くの「~離れ」のうちのひとつと割り切ることができます。
どうも「理科離れ」という言葉自体に私はひっかかってしまうんですよね。
「理科離れ」ということは、今と違い、理科離れでない、多くの人が理科に興味を持ち学習していた時代があったということですよね。それっていつのことだと思われますか?私は日本国民が「理科大好き」であった時代などないと思っています。また、日本人は基本的に理科はそこそこ好きな国民性だと思っています。
湯川秀樹がノーベル賞を取ったとき国民は沸きに沸いたでしょうね。でも、それで物理ブームが起きたのでしょうか。今とは時代が違いすぎますね。よく言われるように敗戦国だった日本にも科学の最前線に載るような研究をした人がいるのだということで、日本人はたいへん喜んだの思います。
もっと時代を遡るとアインシュタインが来日したとき、これもまたアインシュタイン/相対性理論ブームが起きました。相対性理論の意味をわかっていた人はどれくらいいたのでしょうか。まだ民主主義国家といえない日本にとっては「相対論」という言葉にインパクトがあったのではないかと思います。物理の世界でさえ、絶対というものはないのだというある種の誤解です。
ただ、やはり、このようなブーム、流行は短期間で終わってもよいので頻繁にあった方が望ましいとは考えています。国民の多くが科学に関心持つ国が悪い国になるとは考えられませんから。
関連ページ
・理工系離れ、理科系離れ、理系離れ
http://banare.rikoukei.com/
ですが、この人たち(理工系の地位向上の会)言っていることがおかしいですね。理科教室、サイエンスカフェなど無意味と言ってます。理系離れにには理系職種の待遇・給料を上げろと言っていますが、誰がそれをやるんでしょうね。このページは自分たち理系は待遇・給料が悪いと文句を言っているだけです。「向上の会」っていう名称ふざけてます。金融危機、年金制度破綻、ワーキングプアなど日本には問題がたくさんがあるのに、自分たちが何もせず、愚痴のためのHPを開いているなんてほんとお馬鹿さん。まあ、こういう人たちが理系の代表だとしたら確かに「理科離れ」は止まらないでしょうね。
「理科離れでない時代」があったかと、思い返してみると、高度成長期や原発推進の時代(僕の中学、高校時代)に理科教育が熱心に行われていたような「気がします。」うろ覚えですけど。
でも、日本国民の大半が理科や科学に関心を抱いていたことは一度もありませんね。湯川先生や朝永先生のときも、ノーベル賞祝賀ムードということだったわけですし。
「技術離れ」というのはあると思います。コストダウンのためにいろいろな技術を使う製造拠点が中国はじめアジア諸国に移ってしまったから。。。
関連ページとして紹介した「理工系離れ、理科系離れ、理系離れ」ですが、僕もこの内容には違和感を覚えました。確かに愚痴っているだけで、それをはねのけたり、問題解決しようとする意欲やエネルギーに欠けている気がします。
「でんじろう先生」のような物理実験の過度なエンターテイメント化による関心の引き方には僕は少し抵抗感がありますが、どんな方法であれ好奇心や不思議を体験し、それがきっかけになってこの道を歩き始める子供たちが増えればいいと思っています。
大抵の人は、
頭の中で理系や数学的なイメージを展開させていくことが苦手なので、
何かしら具体的なことがらと関連付けて、最初のキッカケをつくるのは、悪くないと個人的には思います。
むしろ大袈裟なぐらいでちょうどいいのではないでしょうか?