昨夜11時からEテレで放送された「ETV特集「忘れられた“ひろしま”~8万8千人が演じた“あの日”~」」を見て衝撃を受けた。
終戦後わずか8年後に撮影されたにもかかわらず、その後「忘れられてしまった映画」を紹介する番組である。映画の本編は8月17日午前0時(16日深夜)にEテレで放送されるそうだ。ぜひご覧いただきたい。
僕が昨夜見たETV特集は8月15日午前0時(14日深夜)に再放送される。
ETV特集「忘れられた“ひろしま”~8万8千人が演じた“あの日”~」
https://www4.nhk.or.jp/etv21c/x/2019-08-10/31/32791/2259675/
【被爆者たちが出演】上映中止にされた超大作映画『ひろしま』とは【ETV特集×NHK1.5ch】
YouTubeで紹介を見てみる
日本映画史上、最大級の規模で撮影された映画「ひろしま」。被爆者を含む8万8千人が参加。原爆投下直後の街の様子を徹底的に再現している。時代に翻弄された映画の物語。
番組内容:
原爆投下から8年後。広島で空前絶後の映画が製作された。タイトルは「ひろしま」。撮影に参加した人の数は8万8千人。日本映画史上、最大級のスケールを誇る。原爆投下直後の広島で何があったのか?被爆者たちが自ら演じて再現している。この映画は、ベルリン映画祭で入賞。国際的な評価を受けた。しかし今、この映画の存在はほとんど知られていない。いったいなぜか?そこには、時代に翻弄された映画の知られざる事情があった。
忘れられた映画「ひろしま」の知られざる事情に迫るドキュメンタリー放送、本編も
https://natalie.mu/eiga/news/342581
映画本編の予告編はYouTubeにアップされている。本編は1時間47分ある。
映画「ひろしま」予告編_修正版(ムシカ)
晩年のアインシュタイン博士と過ごし、アインシュタインの伝記「神は老獪にして…」を書いたパイス博士(プリンストン高等研究所)、そして若き日にマンハッタン計画に参加したファインマン博士(カリフォルニア工科大学)らがこの映画を1953年8月15日に観て述べた感想が、この予告編の字幕で紹介されている。(予告編再生開始から4分30秒後あたりから。字幕では「プリンストン高設研究所」、「カリフォルニア大学」と誤訳されている。正しくは「プリンストン高等研究所」、「カリフォルニア工科大学」だ。)アメリカ人科学者の感想を紹介した字幕部分の出典元は映画『ひろしま』助監督の熊井啓氏の制作日記である。
後日追記: 映画を観終わった。僕の感想はツイートしておいたのでこのリンクからお読みいただきたい。
映画「ひろしま(1953)」はDVDで見ることができる。購入される方は「独立プロ名画特選 ひろしま [DVD]」からお買い求めいただきたい。
「独立プロ名画特選 ひろしま [DVD]」
映画「ひろしま(1953)」はYouTubeビデオやPrime Videoからも見れるようになった。
映画「ひろしま」(YouTubeムービー)(Prime Video)
その後、カラー化、精細化され、無料で全編が見れるようになった。
ひろしま / Hiroshima (1953) [カラー化 映画 フル / Colorized, Full Movie]
関連動画として、こちらも見ておきたい。
被爆前の街並み鮮明に 広島原爆資料館が動画公開
原爆投下 10秒の衝撃 (1998年)
広島19450806 その日、きのこ雲の下で何が起きていたのか
ヒロシマ 世界を変えたあの日 前編
ヒロシマ 世界を変えたあの日 後編
映画「ひろしま」は広島で被爆した子供たちの体験記を集めた「原爆の子(1951)」をきっかけに、映画化して後世に伝えようという願いから全国に支援を募って制作された映画だという。
「原爆の子―広島の少年少女のうったえ (1951年) 」
「原爆の子―広島の少年少女のうったえ〈上〉 (岩波文庫)」(Kindle版)
「原爆の子―広島の少年少女のうったえ〈下〉 (岩波文庫) 」(Kindle版)
映画「ひろしま」は、関川秀雄が原爆体験者の手記「原爆の子」をもとに監督した作品。原爆投下から8年後の広島で製作され、8万人を超える市民が撮影に参加した。実際の映像も使用されており、原子爆弾の恐怖や広島の惨状、市民の苦しみが、原爆症に苦しむ高校生みち子の姿を通して描かれている。「原爆投下直後の広島で何があったか」を被爆者たちが自ら演じて再現し、ベルリン国際映画祭で長編劇映画賞を獲得するなど国際的にも高い評価を受けた。出演したのは岡田英次、月丘夢路、神田隆、山田五十鈴、加藤嘉、利根はる恵ら。
オバマ大統領が広島を訪問したのは2016年5月のことだ。歴史的な名演説を振り返ってみたい。
Full Speech Obama in Hiroshima(英語、日本語入り字幕)
オバマ大統領の広島スピーチ全文 「核保有国は、恐怖の論理から逃れるべきだ」
https://www.huffingtonpost.jp/2016/05/27/obama-begins-visit-to-hiroshima_n_10160172.html
関連ドラマ、映画:
映画 「この世界の片隅に」 ロケ地探訪
はだしのゲン(1983)英語字幕
はだしのゲン(1983)英語字幕
はだしのゲン(1983)英語吹き替え
関連記事:
原子爆弾 1938~1950年: ジム・バゴット
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/0d741fd4e77316eaf05aef8daf865cd6
核兵器: 多田将
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/fe84c7cd15d1b8ff7ed14de1fa356504
地獄の日本兵―ニューギニア戦線の真相:飯田進
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/ac46ac40b155a4ef430bd92074db2a5b
映画『花筐/HANAGATAMI(2017)』大林宣彦監督
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/27b0f30d3c8eace1f73a348a18be447c
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現在は東アジア情勢が複雑で、全てが上手くいっている訳ではありません。これからの安全保障がどうなるのか不安な面もありますが、今現在、武力衝突で街が破壊されることがないのは幸せなことかも知れません。
核廃絶への道が遠のいてしまった様な、最近の米ロ間の駆け引きも残念です。広島・長崎をもう一度思い起こして欲しいものです。
コメントありがとうございます。
平和な大正時代が終わり、昭和に入ってすぐに雲行きがおかしくなり、たった20年で壊滅的な結末を迎えたことを思うと20年というのは、世の中が劇的に変わるのに十分な期間だとわかります。
幸いオライトイラオさんや僕は戦争のない時代を生きてこられましたが、過去に起きた悲しい現実を直視して、これから迎える時代に活かしていきたいですね。
私の両親は、幼い時に戦争を体験しており、学童疎開も経験している。義理の父は実際に砲兵隊として戦地へ行っており、義理の母は学徒動員で工場勤務を経験している。
米軍の戦闘機が機銃掃射で狙ってくる中、母と友達が一緒に走って逃げた。戦闘機が居なくなってふと後ろを振り返ると、友達が撃ち殺されていた...
B29がやってきて空襲警報が鳴らされた。家族全員が防空壕へ避難。焼夷弾がどーん、どーんと落ちてくるのだそうだ。B29が飛び去ってから家に戻ると丸焼けになっていた...
戦地では、気合いで重い大砲を動かすのだそうだ。敵の艦砲射撃を避けながら、上陸してくる米兵をどれだけ殺せるかが大切だった。そんな父も南方から満州へ転属、終戦直後になんとか日本に戻れたが、生きていたこと自体が奇跡だった。一緒に逃げていた軍属や民間の家族の多くが、中国兵や朝鮮兵に無抵抗のまま残虐に殺された....
日本の兵隊さんは、命令が出なければ一切軍事行動に移らなかった、大陸では軍服を着ようが着ていまいが、手当たり次第に撃ってくる、切りつけてくるのだそうだ。
どれも、私が何度も親から聞かされた物語のごく一部です。どれもこれも、非戦闘員を無差別に殺している実態なのです。
両親は言っていました。悪いのは一部の政治家と軍人だ。殆どの日本人は家族のために出来ることをしていた。それは悪いことではない。だから私たちは何も反省することは無い。反省すべきは政治家や無差別攻撃をした米国人、中国人・朝鮮人だ。
これは実際に聞かされた戦争体験者である親からの生の声です。そして学校の教育に???マークを沢山頭の中に作りながら育ちました。
丸腰の日本人が、大陸から帰国しようとしている時に沢山殺されました。武器は必要なのでしょう。但し正しく使えれば、の話ですけど...
戦えるという姿勢を保たなければ、無残に殺されてしまう、これが私が親から伝えられたことです。
コメントありがとうございました。
僕の祖父は40代で東京電力の社員。戦争中は電柱や配電盤など工事の仕事を続けていました。父は当時10歳で学童疎開ですね。戻ってきたときには東京大空襲で家がなくなっていました。
日本全域で行われた空襲、そして広島と長崎の原爆は、無差別におこなわれた民間人への大量殺戮です。当時でさえ国際法違反でした。
今夜、映画ひろしま(1953)が放送されますが、心して観たいと思います。
確かに想像をはるかに超えるものでしたが、現実はこれ以上なんでしょう。。勝っても負けても戦争に正義なんか無いですね。
「絨毯爆撃(無差別爆撃)」の Wikipedia 記述を見ると、ナチス・ドイツによるゲルニカ爆撃、それに続く日本の重慶爆撃から始まったようです。連合国側というかアメリカもドレスデン爆撃や日本本土空襲をやって、絨毯爆撃ではないけれど最大のものは広島長崎への原爆投下でしょう。民間人が多数犠牲になりました。どうにもやり切れない気持ちですが、戦場で逝った兵士も職業軍人より赤紙で徴兵された人が多いと想像されます。これらの人々は元々は民間人です。。
決して専守防衛の自衛隊を否定する気はないのですが、戦争状態に持ち込まない努力が必要と思います。
「戦争で北方領土を取り返す」ような発言を軽々しくするような国会議員を認めるわけにはいきません。
現実は映画以上だったと思います。映像にできないほど惨たらしい光景だったでしょうし、着ているものもほとんど焼け落ちていたことでしょう。撮影は女子学生や女優が協力していますから、このあたりの表現には限界があります。
日本の重慶爆撃の件ですが、こちらもやりきれません。次のように考えている人がいるようですから、これは現代でも情報戦ということになるのでしょうか。
東京大空襲と重慶爆撃の違い
http://agora-web.jp/archives/1651303.html
> 専守防衛の自衛隊を否定する気はないのですが、戦争状態に持ち込まない努力が必要と思います。
おっしゃるとおりだと思います。でも「専守防衛」といっても「盾」だけでは守り切れず、結局「矛」を使うことになるのだと思います。
> 「戦争で北方領土を取り返す」ような発言を軽々しくするような国会議員を認めるわけにはいきません。
いまだに国会議員続けていますね。はやく引きずりおろしたいです。
「ビキニ環礁海底に眠る恐竜が水爆実験の影響で目を覚まし日本を襲う」という筋で、丁度東京大空襲でのB29の爆撃ルートとゴジラの襲撃ルートが同じだったり、東京を焦土にして放射能汚染をまき散らすなど、終戦から10年も経っていない時代には我々が感じる以上に恐怖だったと思います。
「ひろしま」と「ゴジラ」に通底するものは「反核」であり「反戦」でした。そういう気持ちで見るとゴジラはエンターテイメントを超えるものがあります。
音楽はゴジラっぽいなと思っていました。同じ方が担当されたのですね。
ゴジラ(1954)は今年初めて観ましたが、単なる娯楽作品としてしか認識できていませんでした。そうですよねこの時代に撮影されたということは、戦争を想起させていたことでしょう。B29の爆撃ルートをゴジラがたどっていたということも知りませんでした。教えていただきありがとうございました。