「モモ(単行本): ミヒャエル・エンデ」(文庫版)(愛蔵版)(Kindle版)
内容紹介:
時間におわれ、おちつきを失って人間本来の生き方を忘れてしまった現代の人々。このように人間たちから時間を奪っているのは、実は時間泥棒の一味のしわざなのだ。ふしぎな少女モモは、時間をとりもどしに「時間の国」へゆく。そこには「時間の花」が輝くように花ひらいていた。時間の真の意味を問う異色のファンタジー。
原書:1973年刊行、316ページ。(参考ページ:http://michaelende.de/momo)
日本語版単行本:1976年9月24日刊行、360ページ。
日本語版文庫本:2005年6月16日刊行、409ページ。
著者について:
ミヒャエル・エンデ: ウィキペディアの記事
1929‐1995。南ドイツのガルミッシュに生まれる。父は、画家のエトガー・エンデ。高等学校で演劇を学んだのち、ミュンヘンの劇場で舞台監督をつとめ、映画評論なども執筆する。1960年に『ジム・ボタンの機関車大旅行』を出版、翌年、ドイツ児童図書賞を受賞。1970年にイタリアへ移住し、『モモ』『はてしない物語』などの作品を発表。1985年にドイツにもどり、1995年8月、シュトゥットガルトの病院で逝去。
ミヒャエル・エンデの著作: 書籍版 Kindle版
翻訳者について:
大島かおり: ウィキペディアの記事
1931年東京生まれ。翻訳家。東京女子大学英米文学科卒業。英語教師を10年間勤めたのち、ドイツに渡る。帰国後、翻訳家に。ミヒャエル・エンデのモモをはじめ、ナチス、ハンナ・アーレント、アドリエンヌ・リッチ、ノーマ・フィールドなど、プロテスタント左派、フェミニズムの立場からのドイツ語からの翻訳が多いが、英語の翻訳も行う。2018年没。
日本テレビで放送中の「35歳の少女」で取り上げられていた児童書だ。このドラマは自転車での事故で植物状態になった主人公の10歳の少女、望美(柴咲コウ)が25年後に意識を回復したという設定。身体は35歳でも心と知識は10歳のままである。このドラマは母親(鈴木保奈美)との衝突と仲直りを繰り返しながら失った25年間を取り戻していくという話である。事故に遭う前にクラスメイトの結人(坂口健太郎)から借りていたのがミヒャエル・エンデの『モモ』だった。時間泥棒がテーマの本なのでドラマで取り上げられたのは、そのためである。25年ぶりに35歳の結人と再会した望美は、借りっぱなしになっていた本を返すことになる。(ドラマの動画: YouTubeで検索、TVerで検索)
本書は児童書だが、侮ってはいけない。大人でもギクッとされられるメッセージがたくさん見つかるのだ。自分ではあたり前の日常だと思っていても、本来はそうではなかったはずと気づかされるのである。この本でエンデが伝えているのは「豊かな時間とは何か?」ということである。日々、忙しい生活をしている中で、以前にはもっていた気持ちのゆとり、他人に対する想像力が失われていく。本当にそれでよいのですか?精神的に豊かな時間を過ごせていますか?という問いかけなのである。ページをめくるたびに心に刺さる言葉を読むことになる。
ドイツ語版の原書が刊行されたのは1973年。日本で新幹線が開業したのは1964年、マクドナルド1号店が銀座にオープンしたのは1971年のことである。これらが象徴しているのはスピード化と効率化の社会だ。東京⇔大阪間の日帰り出張が可能になり、ファーストフード店で急いで食事をする生活は「豊か」なのだろうか?忙しさが私たちからゆとりを奪っていった。それは日本だけでなく、海外でも同じことである。
1987年に社会人になった僕は、当時のMS-DOSパソコンや新しいプログラミング言語を見て「これからますます便利になり、面倒なことはコンピュータに任せる時代になる。人々はより多くの自由時間がもてて、豊かな生活が送れるようになるだろう。」と想像していた。もちろん、現実はそうならなかった。西暦2000年を過ぎてから、世の中が変化するスピードはさらに加速している。今では海外とリアルタイムでオンライン会議ができるようになった。その結果、私たちは経済的に、そして精神的にも豊かになっただろうか?大半の人にとっての現実は、まったくそう言い切れない。
もう一度「豊かさとは何か?」を問いただすために、とてもよいきっかけを与えてくれる読書になった。
さて、本書には「灰色の男」と呼ばれるビジネスマン風の男たちが登場する。彼らが人々から「あなたの時間を貯蓄して、後になったら利子を付けて返してあげるから、もっと効率的な生活をしなさい」と人々から時間を奪ってしまう悪の集団なのだ。灰色の男たちは、次のように言って人々の心をそそのかす。
「人生でだいじなことはひとつしかない」男はつづけました。「それは、なにかに成功すること、ひとかどのものになること、たくさんのものを手に入れることだ。ほかの人より成功し、えらくなり、金もちになった人間には、そのほかのもの --- 友情だの、愛だの、名誉だの、そんなものはなにもかも、ひとりでにあつまってくるものだ。きみはさっき、友だちがすきだと言ったね。ひとつそのことを、冷静に考えてみようじゃないか。」
この魅力的に聞こえる申し出を断れずに時間を奪われた人々は、これまでのように精神的なゆとりをもった生活ができなくなり、日々効率ばかりを考えて生きることを強いられるようになってしまう。主人公の女の子モモはそのような状態に陥った友達を助けるために、最終的には灰色の男たちと闘うことになる。
子どもたちも例外ではない。灰色の男たちは街じゅうの子どもたちを施設に閉じ込め、社会の役に立つ有能な一員になるよう教育を始める。灰色の男たちに感化されてしまった大人たちはそれに文句を言わないどころか、次のように言い始めてしまう。
「子どもは将来の人的資源だ。これからはジェット機とコンピューターの時代になる。こういう機械をぜんぶつかいこなせるようにするには、大量の専門技術者や専門労働者が必要ですぞ。ところがわれわれは、子どもたちを明日のこういう世界のために教育するどころか、あいもかわらず貴重な時間のほとんどを役にもたたない遊びに浪費させるままにしている。このようなことは、われわれの文明にとっての恥辱、将来の人類にたいする犯罪ですぞ!」
物語上は「灰色の男たち」は敵であるが、実をいうと彼らは人間の心の隙が生じさせる亡霊のようなものだということをエンデは伝えていることに気がつく。私たちの心には、知らない間に灰色の男たちが住み着いてしまっているのではないだろうか?忙しい、忙しいと言って、友達や家族とのコミュニケーションをおろそかにしていないだろうか?自分自身を振り返るためにじっくり考えたり思ったりすることを放棄していないだろうか?SNSばかりしていて、ふと気がつくと1日が終わってしまっているのではないだろうか?本書を読んでいると、そのような気づきの瞬間が何度も訪れる。
新型コロナウィルスが流行して、私たちの生活様式は一変した。ファーストフード店やデリバリー・サービスが重宝されるようになり、先日も地元の商店街に唐揚げ専門のチェーン店がオープンしていたことを思い出した。唐揚げは好物であるが、毎日食べるものではない。これは食生活が豊かになったと言えるのだろうか?ふとそんなことを考えた。チェーン店を運営している会社にとってみれば、1品料理の専門店にしたほうが経費がかからず合理的である。
この店から少し離れたところには、数年前から営業している唐揚げ専門の個人商店があり、チェーン店ができたことで経営が脅かされている。この商店ではニンニク味、塩味、レモン味など5種類の唐揚げを買うことができる。けれども、新しくできたチェーン店の唐揚げは1種類しかない。これも効率を極限まで追求しただけの話で、消費者から豊かな食生活をもたらすものではないと思ったのだ。これはほんの一例だ。さまざまな外食産業のチェーン店が進出することで、もともと商店街にあった個性豊かな店が次々とつぶれていった。社会の効率化の陰で、生活の豊かさと多様性が失われていったのだと思う。
資本主義の社会に生きているのだから、もちろん仕事をするのは大切である。効率化をして最大限の利益を追求すべきだ。ある程度の忙しさは当然のことである。けれども、それが行き過ぎていないだろうかということをエンデは伝えていると思うのだ。時間に追われ過ぎると、丁寧な仕事はできなくなり、早く終わらせることだけを考えるようになってしまう。
時間がテーマであるから物語の中には、時間が止まったり逆行したりする場面がでてくる。これは先日紹介した映画『TENET テネット』のような話。また、他人の時間を奪ったり、貯蓄したり、まして利子をつけて増やしたりするのは物理学的にはもちろん不可能である。そもそもミクロの世界では時間はもともと存在していないのだということが昨年紹介した「時間は存在しない: カルロ・ロヴェッリ」に書かれていたことを思い出した。
この物語は1986年に映画化された。映画のことは後に書かせていただくが、本では物語が終わった後に、映画では本編の前で描かれる列車の中の場面がある。客席に向かい合って座っているのは一人の老紳士と、もうひとりはミヒャエル・エンデ自身だ。この物語は、エンデがこの老紳士から聞いたという設定で始まっているのだ。そしてこの老紳士は、最後にこう付け加えた。
「わたしはいまの話を、」とその人は言いました。「過去におこったことのように話しましたね。」でもそれを将来おこることとしてお話ししてもよかったんですよ。わたしにとっては、どちらでもそう大きなちがいはありません。」
その将来が「今」なのではないかと思わせるには十分だ。先日紹介した映画『この空の花 -長岡花火物語(2011)』の「まだ戦争には間に合いますか?」を思い出した。豊かな心を取り戻すために、私たちはまだ間に合うのだろうか?効率化を目指して進んできたのは過去のことであり、これからそれに抗って本当の意味での豊かさを取り戻すことはできるのだろうか?そのようなことを僕は思わずにはいられなかった。
ところで、この本はブームになっていて、僕が読むことになったきっかけのドラマ以前に売れ始めていたそうだ。文庫版はベストセラーだということがAmazonのサイトを見るとわかる。『鬼滅の刃』の大ブレイクの影で、『モモ』ブームが起きているのである。その理由は、このニュースの動画をご覧いただくとわかる。
コロナでなぜ人気?児童文学の名作 ミヒャエル・エンデ(著)「モモ」
(by 2020.9.23(水)NHK「おはよう日本」) 再生時間:5分18秒
子供向けの本だと決めつけずに、ぜひお読みいただきたい。
日本語版、ドイツ語版、英語版、フランス語版
日本語版は以下の3つの装丁のものが買えるほか、Kindle版でも読むことができる。
「モモ(単行本): ミヒャエル・エンデ」(文庫版)(愛蔵版)(Kindle版)
日本語版の章立てはこのページで確認いただける。
原作のドイツ語版は、日本のAmazonから購入できる。
「Momo (German, Hardcover): Michael Ende」
「Momo (German, Paperback 1): Michael Ende」
「Momo (German, Paperback 2): Michael Ende」(Kindle版)
英語版とフランス語版は、これである。Kindle化はされていない。表紙が気に入らないという人がいると思う。どちらの言語も表紙が違うものを数種類見つけたが、オリジナルのドイツ語版の表紙の絵を活かしたものは見つからなかった。
「Momo (English, Paperback): Michael Ende」
「Momo (French, Paperback): Michael Ende」
『モモ』のオフィシャル・ウェブサイト
ドイツ語のページは読めないが、眺めているだけでも楽しいので載せておく。
Momo | Michael Ende | Offizielle Webseite
http://michaelende.de/momo
ドイツ語(German):
http://michaelende.de/buch/momo
英語(English):
http://michaelende.de/en/book/momo-0
〈特集〉ミヒャエル・エンデ『モモ』(岩波書店)
https://www.iwanami.co.jp/news/n35725.html
映画
1986年に映画化された。映画の冒頭のシーンには、ミヒャエル・エンデ本人が出演している。日本語字幕付きのDVDは販売されていたが、新品のものは購入できず、中古のものが2万円以上でしか買えない状態だ。また、Amazon.co.jpからは、その後発売されたDVDとBlue-rayは定価で購入できるが、音声がドイツ語で日本語字幕はない。(英語とスペイン語の字幕のBlue-ray、そしてイタリア語の字幕のDVDはある。)であるから、DVDやBlue-ray、有料のネット配信サービスでは、日本語で楽しめるものは購入できない状態なのだ。
予告編はドイツ語のものを観ることができる。
予告編(ドイツ語)
どうしてもご覧になりたい方は、ここから検索されるとよい。
ニコニコ動画: 日本語吹き替えの動画を検索する
YouTube: 英語音声の動画を検索する
ちなみに、モモを演じた子役「ラドスト・ボーケル(Radost Bokel)」は現在45歳。ウィキペディアの記事や画像検索で確認することができる。
ラジオドラマ
この配役で1985年にラジオドラマ化されている。
ラジオドラマ資源:1985年 放送データ
http://mezala.la.coocan.jp/radiodrama/rd1985.html
ミヒャエル・エンデ:原作,大島かおり:翻訳,石山透:脚色,神谷重徳:音楽.
篠遠哲夫:効果,佐々木幹夫:技術,斎明寺以玖子:演出.(NHK東京)
出演:宮城まり子,森繁久彌,大路三千緒,三津田健,橋爪功,高木均,大塚国夫,斎藤晴彦,三谷昇,立川光貴,杉本幸二,益富信孝,金田明夫,山路和弘,今井和子,伊藤幸子,仲谷昇,坂本長利,高山真紀,杉浦悦子,宮寺知子,池田誠,敷屋綾;山崎努(na).
初放送:1985-03-23{FMドラマスペシャル}, 再放送:1985-10-26/1986-12-27/1995-09-03 {FMドラマスペシャル:ミヒャエル・エンデ追悼}.
ステレオ 90分
YouTube: ラジオドラマを検索する
NHK 100分de名著
今年の8月にNHK 100分de名著で『モモ』が取り上げられた。NHKオンデマンドで観ることができる。NHKのページでは、女優の「のんさん」による、心のこもった朗読を聞くことができる。
NHK 100分de名著で『モモ』
https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/100_momo/index.html
4回にわたって放送された番組は、NHKオンデマンドで観ることができる。
100分de名著 ミヒャエル・エンデ“モモ”
https://www.nhk-ondemand.jp/program/P202000205700000/
YouTube: 番組を検索する
番組のテキストはこちら。
「NHK 100分 de 名著 ミヒャエル・エンデ『モモ』」(Kindle版)
ミヒャエル・エンデがNHKの番組に出演
アナログ放送だった時代に、ミヒャエル・エンデはNHK教育テレビ(現在のEテレ)の番組に出演した。これが放送されたのは1986年8月25日で「世界の児童文学者に聞く」という番組タイトルだった。この番組は2009年に「ETV50もう一度見たい教育テレビ〜教養番組アンコール〜」として再放送された。
ミヒャエル・エンデ NHK教育
ミヒャエル・エンデが話したこと(「世界の児童文学者に聞く ミヒャエル・エンデ」)
https://kuribou.hatenablog.com/entries/2009/10/29
関連記事:
これまでに読んだ児童書の紹介記事を載せておこう。
「はてしない物語: ミヒャエル・エンデ」、「不思議の国のアリス・オリジナル(全2巻): ルイス・キャロル」
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/7cb3511763c1d6d8f2b3a46e3f06354b
「エルマーのぼうけん」シリーズ: ルース・S・ガネット
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/d7e850de5b1469a8a99e88d00e177699
「エルマーのぼうけん」をかいた女性 ルース・S・ガネット
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/d56fcd12712435bf63fe7bbc29e94ba0
不思議の国のアリス、鏡の国のアリス
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/3201f911d2f060ad956148609139a6a4
宮沢賢治童話集(岩波書店、1963年)
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/c194c863cb8b8c84dd76ab3298679a54
だれも知らない小さな国: 佐藤さとる、村上勉
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/9297ca496ec1f4069614e2452b28a8ef
だれもが知ってる小さな国(コロボックル物語):有川浩、村上勉
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/ca8ad5b02a398bbafad942587907bc92
トムは真夜中の庭で : フィリパ・ピアス
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/a8f1223f0242059f6d3a9abe61c26e85
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時間におわれ、おちつきを失って人間本来の生き方を忘れてしまった現代の人々。このように人間たちから時間を奪っているのは、実は時間泥棒の一味のしわざなのだ。ふしぎな少女モモは、時間をとりもどしに「時間の国」へゆく。そこには「時間の花」が輝くように花ひらいていた。時間の真の意味を問う異色のファンタジー。
原書:1973年刊行、316ページ。(参考ページ:http://michaelende.de/momo)
日本語版単行本:1976年9月24日刊行、360ページ。
日本語版文庫本:2005年6月16日刊行、409ページ。
著者について:
ミヒャエル・エンデ: ウィキペディアの記事
1929‐1995。南ドイツのガルミッシュに生まれる。父は、画家のエトガー・エンデ。高等学校で演劇を学んだのち、ミュンヘンの劇場で舞台監督をつとめ、映画評論なども執筆する。1960年に『ジム・ボタンの機関車大旅行』を出版、翌年、ドイツ児童図書賞を受賞。1970年にイタリアへ移住し、『モモ』『はてしない物語』などの作品を発表。1985年にドイツにもどり、1995年8月、シュトゥットガルトの病院で逝去。
ミヒャエル・エンデの著作: 書籍版 Kindle版
翻訳者について:
大島かおり: ウィキペディアの記事
1931年東京生まれ。翻訳家。東京女子大学英米文学科卒業。英語教師を10年間勤めたのち、ドイツに渡る。帰国後、翻訳家に。ミヒャエル・エンデのモモをはじめ、ナチス、ハンナ・アーレント、アドリエンヌ・リッチ、ノーマ・フィールドなど、プロテスタント左派、フェミニズムの立場からのドイツ語からの翻訳が多いが、英語の翻訳も行う。2018年没。
日本テレビで放送中の「35歳の少女」で取り上げられていた児童書だ。このドラマは自転車での事故で植物状態になった主人公の10歳の少女、望美(柴咲コウ)が25年後に意識を回復したという設定。身体は35歳でも心と知識は10歳のままである。このドラマは母親(鈴木保奈美)との衝突と仲直りを繰り返しながら失った25年間を取り戻していくという話である。事故に遭う前にクラスメイトの結人(坂口健太郎)から借りていたのがミヒャエル・エンデの『モモ』だった。時間泥棒がテーマの本なのでドラマで取り上げられたのは、そのためである。25年ぶりに35歳の結人と再会した望美は、借りっぱなしになっていた本を返すことになる。(ドラマの動画: YouTubeで検索、TVerで検索)
本書は児童書だが、侮ってはいけない。大人でもギクッとされられるメッセージがたくさん見つかるのだ。自分ではあたり前の日常だと思っていても、本来はそうではなかったはずと気づかされるのである。この本でエンデが伝えているのは「豊かな時間とは何か?」ということである。日々、忙しい生活をしている中で、以前にはもっていた気持ちのゆとり、他人に対する想像力が失われていく。本当にそれでよいのですか?精神的に豊かな時間を過ごせていますか?という問いかけなのである。ページをめくるたびに心に刺さる言葉を読むことになる。
ドイツ語版の原書が刊行されたのは1973年。日本で新幹線が開業したのは1964年、マクドナルド1号店が銀座にオープンしたのは1971年のことである。これらが象徴しているのはスピード化と効率化の社会だ。東京⇔大阪間の日帰り出張が可能になり、ファーストフード店で急いで食事をする生活は「豊か」なのだろうか?忙しさが私たちからゆとりを奪っていった。それは日本だけでなく、海外でも同じことである。
1987年に社会人になった僕は、当時のMS-DOSパソコンや新しいプログラミング言語を見て「これからますます便利になり、面倒なことはコンピュータに任せる時代になる。人々はより多くの自由時間がもてて、豊かな生活が送れるようになるだろう。」と想像していた。もちろん、現実はそうならなかった。西暦2000年を過ぎてから、世の中が変化するスピードはさらに加速している。今では海外とリアルタイムでオンライン会議ができるようになった。その結果、私たちは経済的に、そして精神的にも豊かになっただろうか?大半の人にとっての現実は、まったくそう言い切れない。
もう一度「豊かさとは何か?」を問いただすために、とてもよいきっかけを与えてくれる読書になった。
さて、本書には「灰色の男」と呼ばれるビジネスマン風の男たちが登場する。彼らが人々から「あなたの時間を貯蓄して、後になったら利子を付けて返してあげるから、もっと効率的な生活をしなさい」と人々から時間を奪ってしまう悪の集団なのだ。灰色の男たちは、次のように言って人々の心をそそのかす。
「人生でだいじなことはひとつしかない」男はつづけました。「それは、なにかに成功すること、ひとかどのものになること、たくさんのものを手に入れることだ。ほかの人より成功し、えらくなり、金もちになった人間には、そのほかのもの --- 友情だの、愛だの、名誉だの、そんなものはなにもかも、ひとりでにあつまってくるものだ。きみはさっき、友だちがすきだと言ったね。ひとつそのことを、冷静に考えてみようじゃないか。」
この魅力的に聞こえる申し出を断れずに時間を奪われた人々は、これまでのように精神的なゆとりをもった生活ができなくなり、日々効率ばかりを考えて生きることを強いられるようになってしまう。主人公の女の子モモはそのような状態に陥った友達を助けるために、最終的には灰色の男たちと闘うことになる。
子どもたちも例外ではない。灰色の男たちは街じゅうの子どもたちを施設に閉じ込め、社会の役に立つ有能な一員になるよう教育を始める。灰色の男たちに感化されてしまった大人たちはそれに文句を言わないどころか、次のように言い始めてしまう。
「子どもは将来の人的資源だ。これからはジェット機とコンピューターの時代になる。こういう機械をぜんぶつかいこなせるようにするには、大量の専門技術者や専門労働者が必要ですぞ。ところがわれわれは、子どもたちを明日のこういう世界のために教育するどころか、あいもかわらず貴重な時間のほとんどを役にもたたない遊びに浪費させるままにしている。このようなことは、われわれの文明にとっての恥辱、将来の人類にたいする犯罪ですぞ!」
物語上は「灰色の男たち」は敵であるが、実をいうと彼らは人間の心の隙が生じさせる亡霊のようなものだということをエンデは伝えていることに気がつく。私たちの心には、知らない間に灰色の男たちが住み着いてしまっているのではないだろうか?忙しい、忙しいと言って、友達や家族とのコミュニケーションをおろそかにしていないだろうか?自分自身を振り返るためにじっくり考えたり思ったりすることを放棄していないだろうか?SNSばかりしていて、ふと気がつくと1日が終わってしまっているのではないだろうか?本書を読んでいると、そのような気づきの瞬間が何度も訪れる。
新型コロナウィルスが流行して、私たちの生活様式は一変した。ファーストフード店やデリバリー・サービスが重宝されるようになり、先日も地元の商店街に唐揚げ専門のチェーン店がオープンしていたことを思い出した。唐揚げは好物であるが、毎日食べるものではない。これは食生活が豊かになったと言えるのだろうか?ふとそんなことを考えた。チェーン店を運営している会社にとってみれば、1品料理の専門店にしたほうが経費がかからず合理的である。
この店から少し離れたところには、数年前から営業している唐揚げ専門の個人商店があり、チェーン店ができたことで経営が脅かされている。この商店ではニンニク味、塩味、レモン味など5種類の唐揚げを買うことができる。けれども、新しくできたチェーン店の唐揚げは1種類しかない。これも効率を極限まで追求しただけの話で、消費者から豊かな食生活をもたらすものではないと思ったのだ。これはほんの一例だ。さまざまな外食産業のチェーン店が進出することで、もともと商店街にあった個性豊かな店が次々とつぶれていった。社会の効率化の陰で、生活の豊かさと多様性が失われていったのだと思う。
資本主義の社会に生きているのだから、もちろん仕事をするのは大切である。効率化をして最大限の利益を追求すべきだ。ある程度の忙しさは当然のことである。けれども、それが行き過ぎていないだろうかということをエンデは伝えていると思うのだ。時間に追われ過ぎると、丁寧な仕事はできなくなり、早く終わらせることだけを考えるようになってしまう。
時間がテーマであるから物語の中には、時間が止まったり逆行したりする場面がでてくる。これは先日紹介した映画『TENET テネット』のような話。また、他人の時間を奪ったり、貯蓄したり、まして利子をつけて増やしたりするのは物理学的にはもちろん不可能である。そもそもミクロの世界では時間はもともと存在していないのだということが昨年紹介した「時間は存在しない: カルロ・ロヴェッリ」に書かれていたことを思い出した。
この物語は1986年に映画化された。映画のことは後に書かせていただくが、本では物語が終わった後に、映画では本編の前で描かれる列車の中の場面がある。客席に向かい合って座っているのは一人の老紳士と、もうひとりはミヒャエル・エンデ自身だ。この物語は、エンデがこの老紳士から聞いたという設定で始まっているのだ。そしてこの老紳士は、最後にこう付け加えた。
「わたしはいまの話を、」とその人は言いました。「過去におこったことのように話しましたね。」でもそれを将来おこることとしてお話ししてもよかったんですよ。わたしにとっては、どちらでもそう大きなちがいはありません。」
その将来が「今」なのではないかと思わせるには十分だ。先日紹介した映画『この空の花 -長岡花火物語(2011)』の「まだ戦争には間に合いますか?」を思い出した。豊かな心を取り戻すために、私たちはまだ間に合うのだろうか?効率化を目指して進んできたのは過去のことであり、これからそれに抗って本当の意味での豊かさを取り戻すことはできるのだろうか?そのようなことを僕は思わずにはいられなかった。
ところで、この本はブームになっていて、僕が読むことになったきっかけのドラマ以前に売れ始めていたそうだ。文庫版はベストセラーだということがAmazonのサイトを見るとわかる。『鬼滅の刃』の大ブレイクの影で、『モモ』ブームが起きているのである。その理由は、このニュースの動画をご覧いただくとわかる。
コロナでなぜ人気?児童文学の名作 ミヒャエル・エンデ(著)「モモ」
(by 2020.9.23(水)NHK「おはよう日本」) 再生時間:5分18秒
子供向けの本だと決めつけずに、ぜひお読みいただきたい。
日本語版、ドイツ語版、英語版、フランス語版
日本語版は以下の3つの装丁のものが買えるほか、Kindle版でも読むことができる。
「モモ(単行本): ミヒャエル・エンデ」(文庫版)(愛蔵版)(Kindle版)
日本語版の章立てはこのページで確認いただける。
原作のドイツ語版は、日本のAmazonから購入できる。
「Momo (German, Hardcover): Michael Ende」
「Momo (German, Paperback 1): Michael Ende」
「Momo (German, Paperback 2): Michael Ende」(Kindle版)
英語版とフランス語版は、これである。Kindle化はされていない。表紙が気に入らないという人がいると思う。どちらの言語も表紙が違うものを数種類見つけたが、オリジナルのドイツ語版の表紙の絵を活かしたものは見つからなかった。
「Momo (English, Paperback): Michael Ende」
「Momo (French, Paperback): Michael Ende」
『モモ』のオフィシャル・ウェブサイト
ドイツ語のページは読めないが、眺めているだけでも楽しいので載せておく。
Momo | Michael Ende | Offizielle Webseite
http://michaelende.de/momo
ドイツ語(German):
http://michaelende.de/buch/momo
英語(English):
http://michaelende.de/en/book/momo-0
〈特集〉ミヒャエル・エンデ『モモ』(岩波書店)
https://www.iwanami.co.jp/news/n35725.html
映画
1986年に映画化された。映画の冒頭のシーンには、ミヒャエル・エンデ本人が出演している。日本語字幕付きのDVDは販売されていたが、新品のものは購入できず、中古のものが2万円以上でしか買えない状態だ。また、Amazon.co.jpからは、その後発売されたDVDとBlue-rayは定価で購入できるが、音声がドイツ語で日本語字幕はない。(英語とスペイン語の字幕のBlue-ray、そしてイタリア語の字幕のDVDはある。)であるから、DVDやBlue-ray、有料のネット配信サービスでは、日本語で楽しめるものは購入できない状態なのだ。
予告編はドイツ語のものを観ることができる。
予告編(ドイツ語)
どうしてもご覧になりたい方は、ここから検索されるとよい。
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ちなみに、モモを演じた子役「ラドスト・ボーケル(Radost Bokel)」は現在45歳。ウィキペディアの記事や画像検索で確認することができる。
ラジオドラマ
この配役で1985年にラジオドラマ化されている。
ラジオドラマ資源:1985年 放送データ
http://mezala.la.coocan.jp/radiodrama/rd1985.html
ミヒャエル・エンデ:原作,大島かおり:翻訳,石山透:脚色,神谷重徳:音楽.
篠遠哲夫:効果,佐々木幹夫:技術,斎明寺以玖子:演出.(NHK東京)
出演:宮城まり子,森繁久彌,大路三千緒,三津田健,橋爪功,高木均,大塚国夫,斎藤晴彦,三谷昇,立川光貴,杉本幸二,益富信孝,金田明夫,山路和弘,今井和子,伊藤幸子,仲谷昇,坂本長利,高山真紀,杉浦悦子,宮寺知子,池田誠,敷屋綾;山崎努(na).
初放送:1985-03-23{FMドラマスペシャル}, 再放送:1985-10-26/1986-12-27/1995-09-03 {FMドラマスペシャル:ミヒャエル・エンデ追悼}.
ステレオ 90分
YouTube: ラジオドラマを検索する
NHK 100分de名著
今年の8月にNHK 100分de名著で『モモ』が取り上げられた。NHKオンデマンドで観ることができる。NHKのページでは、女優の「のんさん」による、心のこもった朗読を聞くことができる。
NHK 100分de名著で『モモ』
https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/100_momo/index.html
4回にわたって放送された番組は、NHKオンデマンドで観ることができる。
100分de名著 ミヒャエル・エンデ“モモ”
https://www.nhk-ondemand.jp/program/P202000205700000/
YouTube: 番組を検索する
番組のテキストはこちら。
「NHK 100分 de 名著 ミヒャエル・エンデ『モモ』」(Kindle版)
ミヒャエル・エンデがNHKの番組に出演
アナログ放送だった時代に、ミヒャエル・エンデはNHK教育テレビ(現在のEテレ)の番組に出演した。これが放送されたのは1986年8月25日で「世界の児童文学者に聞く」という番組タイトルだった。この番組は2009年に「ETV50もう一度見たい教育テレビ〜教養番組アンコール〜」として再放送された。
ミヒャエル・エンデ NHK教育
ミヒャエル・エンデが話したこと(「世界の児童文学者に聞く ミヒャエル・エンデ」)
https://kuribou.hatenablog.com/entries/2009/10/29
関連記事:
これまでに読んだ児童書の紹介記事を載せておこう。
「はてしない物語: ミヒャエル・エンデ」、「不思議の国のアリス・オリジナル(全2巻): ルイス・キャロル」
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/7cb3511763c1d6d8f2b3a46e3f06354b
「エルマーのぼうけん」シリーズ: ルース・S・ガネット
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/d7e850de5b1469a8a99e88d00e177699
「エルマーのぼうけん」をかいた女性 ルース・S・ガネット
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/d56fcd12712435bf63fe7bbc29e94ba0
不思議の国のアリス、鏡の国のアリス
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/3201f911d2f060ad956148609139a6a4
宮沢賢治童話集(岩波書店、1963年)
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/c194c863cb8b8c84dd76ab3298679a54
だれも知らない小さな国: 佐藤さとる、村上勉
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/9297ca496ec1f4069614e2452b28a8ef
だれもが知ってる小さな国(コロボックル物語):有川浩、村上勉
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/ca8ad5b02a398bbafad942587907bc92
トムは真夜中の庭で : フィリパ・ピアス
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/a8f1223f0242059f6d3a9abe61c26e85
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