2013年4月7日から今日までに歩いた累積距離
2013年3月8日に始めた夜のウォーキング。ナイキのランニングアプリで歩いた距離を記録始めたのは300Km歩いた1か月後からだった。今日、累積メーターが8000Kmを超えたので記事として記録しておこう。
累積メータが7000Kmに到達したのは今年の2月3日なので1000Km歩くのに6カ月半かかっている。月あたり154Kmのペース。
というより、歩くペースが一定になってきたことに驚いている。過去の記録はこれだ。
累積5000Km達成: 2016年2月1日
累積6000Km達成: 2016年7月15日
累積7000Km達成: 2017年2月3日
累積8000Km達成: 2017年7月16日
見事に2000Km/年のペースで歩いていたことになる。日本全国を歩測し尽くした伊能忠敬並みの安定感!
この数年は脂肪燃焼というより、むしろ健康維持のためという目的に切り替えている。サボる日もあるが、継続が何より大事だ。
関連記事:
1日人間ドック(2010年)
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ウォーキングと夜桜(2013年3月):
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夜のウォーキング、三軒茶屋へ(2013年3月27日)
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夜のウォーキングのその後(2013年6月6日)
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夜のウォーキング、その後2(2013年7月1日)
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夜のウォーキング、その後3(2013年8月27日)
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1日人間ドックとウォーキング(2014年4月2日)
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/630184969180751eecfdfcfeb6ff54c0
夜のウォーキング、その後4(累積3000Km): 2014年11月15日
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/6e55742ebae984371eed25cc70de75bb
夜のウォーキング、その後5(累積4000Km): 2015年5月27日
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/31b8bd0070d5d2853a7515efc7ac0e2e
夜のウォーキング、その後6(累積5000Km): 2016年2月1日
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/20cde6adec555ae73da5ab19156ae257
夜のウォーキング、その後7(累積6000Km): 2016年7月15日
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/1c78ee3fbdf5077b17b69596746ebe63
夜のウォーキング、その後8(累積7000Km): 2017年2月3日
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/1b73972a971a66c79eac24535750f931
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① 『遺伝子DNAは誰が作ったのか』
地球上の全ての生命に遺伝子DNAが組み込まれていますが、1mとか2mとかの長さがあり、4種の塩基配列は複雑精巧なもので、自己修復機能まで有します。
こんなものが自然や偶然に出来るわけが有りません。作ったのは「遠い未来の人間」です。
② 『物質(原子)は誰が作ったのか』
地球上の物質(原子)は百余り有りますが、陽子・中性子・電子の3者で構成され、それ以外の構成は存在しないし、規則性とか法則性に支配されています。
中性子は中性子線を内包し、特定の物質(原子)もα線とかβ線などを放射して崩壊し、電子は電荷を内包しています。
こんな複雑な物が自然や偶然で出来るわけが有りません。原子を作ったのは「遠い未来の人間」です。
(uクォークとかdクォークとか中性子のβ崩壊で発生する陽子や電子ニュートリノなどの難しい話ではなく、単に『こんなもの(原子)が自然や偶然に出来上がるものか』ということを、お尋ねしております。)
③ 宇宙の始まりが無機であったとしても、進化の途上で有機(生命とか生活機能)が生まれ、さらに彼らが多様な進化を遂げたうえで、人間や様々なものが作り出された可能性は否定されるものでしょうか。
④ 『今の世界は虚構であり、私たちは人工的に作られた肉体を使って、人工的に作られた「場」で生活をしているのであり、本当の自分は「DNAや原子を合成する科学を持った遠い未来」(真実の世界)にいます。』という発想は、(無限回の問答は抜きにして)、成り立つでしょうか。
(平行宇宙だとか重畳宇宙だとか「メビウスの輪」だとかの難しい解釈ではなく、もっとシンプルで単純な答えが見つからないものでしょうか)。
現代の科学で解明されている事がらを前提として、ご質問に回答させていただきます。
① まだ解明されていませんので、お答えできません。
② まだ解明されていませんので、お答えできません。
③ そのような進化の道筋は肯定されています。
④ 科学としては回答不能なご質問です。なぜなら物理的実在(肉体)から離れた「本当の自分」は今のところ科学の研究対象ではないからです。
〇〇はありえません..ということを主張する際には、科学的な根拠が必要です。そして上でおっしゃっている内容では、科学的根拠が展開されておらず、「ありえない」との主張に科学的事実で説明されていません。いきなりそれが自明であるかのように「ありえない」と主張されています。少なくとも私の知識と経験では、論理が飛躍して、科学的な議論になっていないのです。
なお科学的事実とは、多くの科学者により「今は正しいだろう」と合意が得られている事柄を指します。
話は戻って、科学的でない議論に対しては、科学的にコメントをしたくても、それはできません。
誤解を避けるために申し上げますが、議論の内容については一切申しておりません。議論の進め方について申し上げています。
よく見かけるのが、科学的事実ではなく希望的主観、感情的主観が話の重要なところに紛れこんでいて、そのまま話が進んでいるケースです。今回のお話もこれに相当すると、私は思います。
結論が出ていない事柄は保留しておき、既に合意が得られている事柄で論理を組み立てるのが科学的な考え方です。
新しい結論に至るために、新たに考えた新しい概念や主張を提示したい時は、なおさら主張の部分以外は科学的事実のみで論理展開をしなければなりません。
新しい概念や主張から導かれる新しい結論は、観測や実験により実証される必要があります。実証されるまでは仮説あり、まだ科学的事実ではありません。実証されない限り依然として疑問のままです。
観測や実験により誤りだと認められれば、それを事実として受け入れるのが科学的考え方です。
このように、考え方や理論を反証することが出来るのが科学です。反証できなければ科学では無いとする考え方は、現在科学の世界では広く受け入れられています。
神の存在は反証できません。従って科学で神の存在を議論できません。一方で、神学や宗教として人々は神の存在を受入れ、心の拠り所にしています。
敬虔なクリスチャンが科学者であることは矛盾しないのです。科学的事実として受け入れられていること以外を排除せず可能性として認めるのも科学的考え方です。
幽霊を科学的に説明できないとします。しかし幽霊の存在を否定しないのが科学的な考え方だと私は理解しています。存在を科学的に実証できなくとも、存在の可能性を積極的に否定しないのが科学です。常に可能性は残しておけます。
つまり、科学者が個人的心情として家族の幽霊の存在を信じても科学者として破綻せず、全く問題ありません。その存在を否定するのも、思想信条の自由の範疇です。科学は寛容だと思うし、そうあるべきだと思います。
一方で科学的な議論は厳密です。科学的事実で組み立てることをルールとして厳しく要求します。
ある事柄が、科学的な議論で解明・説明できない場合、この事柄を疑問として頭や心の中に大切にしまっておくことができます。いつか解明したいという思いがあっても、現在の科学のレベルで事実として解明できなければ、疑問のままです。しかし否定する必要はなく、誰も否定する権利は無いと私は思います。
しかし、科学的に理解できないことを認めず、無理にでも論理を組み立てるのは、科学の世界では厳に慎むべきです。科学のルールには厳密に従う必要がります。
哲学であったり宗教であったり、ジンクスであったり、そういった世界で思考するのも自由です。しかし、科学的事実で構築できない議論を科学の世界に持ち込むのは間違っています。
上でおっしゃっているものは、科学的考え方では無いと思います。なので、科学の話としてこれ以上同じ議論を持ちかけるのはご遠慮いただきたい。科学のルールに合わないからです。
お話の内容を否定するつもりは毛頭ありません。単に趣味にあうかどうか、同じ感覚を持っているかどうかの問題で、他人が批判するものではないし、議論は自由だと思います。
まったくおっしゃるとおりだと思います。科学的な議論で解明・説明できないこと、現在の科学では解明されいないことは否定すべきではなく、「お答えできません。」と回答するのがよいですね。