「統計力学の形成:稲葉 肇」
内容紹介:
アナロジーから基礎づけへ ——。時間的に可逆であるミクロな多数の要素と、不可逆なマクロとを関係づける、統計力学。マクスウェルやボルツマンによる気体運動論との差異を踏まえつつ、その歴史と意義を丹念に追跡。アンサンブル概念はいかに誕生・発展し、フォン・ノイマンによる量子統計に到ったか?
2021年9月24日刊行、378ページ。
著者について:
稲葉 肇(いなば はじめ)
ホームページ: https://hinaba.org/
愛知県に生まれる(1985年)。京都大学文学部卒業(2007年)、京都大学大学院文学研究科博士後期課程研究指導認定退学(2012年)、京都大学博士(文学)取得(2015年)、明治大学政治経済学部専任講師(2018年、現在に至る)。
訳 書:
ヘリガ・カーオ『20世紀物理学史――理論・実験・社会』(共訳、名古屋大学出版会、2015年)
理数系書籍のレビュー記事は本書で474冊目。
僕が統計力学を集中して学んでいたのは2008年から2009年にかけてのことで10年以上も経っている。そろそろ記憶をリフレッシュする時期ではないかと思っていたところに本書が刊行されたことを知った。ただし、これは統計力学史、物理学史の本だから統計力学そのものを学べるわけではない。とはいえ、この分野がどのように誕生し、発展していったかはとても興味深いし、おそらくこの本以外では知ることができない。
マックスウェル分布からボルツマン原理など、気体分子運動論から統計力学の入口あたりまででよければ「高校数学でわかるボルツマンの原理:竹内淳」でざっくり知ることができる。しかし、これだけでは物足りないし、その先が知りたいのだ。そしてボルツマンが、そしてギブス、アインシュタイン、プランク、 フォン・ノイマン、トルマンなどがどのような貢献をしたのか、古典統計力学から量子統計力学に至る過程、当初は気体だけ、平衡系だけが範疇だった理論がどのようにして扱う領域を拡大していったかを知りたかった。ゴムの弾性も統計力学を使って説明することができ、久保亮五先生の「ゴム弾性(初版復刻版)」(Kindle版)(紹介記事)として学ぶことができる。そして近年では統計力学の人工知能(AI)への応用がさかんに研究されているという。
このような発展史は教科書からでは読み取ることはできない。どの分野でもそうなのだが、教科書は科学者たちが積み重ね、培ってきた理論を時系列とは関係なく、理論的整合性と学びやすさを重視する形でまとめているからだ。ページ数にも制限があるため、科学史的な記述はほとんど省略されている。
このような勇み足で読み始めたのだが、第5章あたりまではかなり難しく、やっと第6章、第7章あたりから読んでよかったと思えるようになった。読み進めるうちにわかりやすくなるとはいえ、統計力学の標準的な教科書で学んだことがない人には無理があるだろう。「分配関数って何?」という方は、まず教科書や「ゼロから学ぶ統計力学:加藤 岳生」(Kindle版)のような副読本、広江克彦さんによるサイト「EMANの統計力学」、YouTubeの動画などで学んでほしい。
章立ては次のとおりである。
序 章
第1章 気体運動論の困難からアンサンブルへ
第2章 「力学的アナロジー」とアンサンブル
第3章 ギブス『統計力学の基礎的諸原理』
第4章 『諸原理』への応答
第5章 古典統計力学の諸相
第6章 状態和と分配関数
第7章 量子統計の時代におけるアンサンブル
終 章
まず、著者による本書の紹介文を読むのがいちばんだ。
著者による本書の紹介ページ
https://allreviews.jp/review/5779
ミクロの世界とマクロの世界を結びつけるのが統計力学である。気体分子運動論という「力学」に端を発した理論は、分子の集合体をアンサンブルと見なす「確率」、「統計」をベースのものにしたアンサンブルの理論に変遷していき、ミクロとマクロが結び付けられるようになる。しかし、その結び付け方や、そこに前提される条件、概念の理解にはいくつかの選択肢があり、科学者それぞれの「学説」として発表される。現代では明らかにされていることであっても、当時は試行錯誤で、考察が不十分だったり、他の学者から批判されながら、少しずつ洗練され、後の時代の科学者に引き継がれていった。
このようなわけで、第5章あたりまで僕は読み解くのに相当苦労した。初期の統計力学の本としてはボルツマンの『気体論の講義(1896-1898)』(日本語版)やギブスが亡くなる前年に著した『統計力学の基礎的諸原理(1902)』(本書では『諸原理』として略記)を中心に学説を数式を引用しながら紹介している。数式は原著からの引用であるが、教科書のように導出過程が示されているわけではないから「イメージ」として理解するのがよさそうだ。正しく理解するためには原著を読む必要がある。
1905年の奇跡の年に、アインシュタインはブラウン運動についての論文を発表し、原子の存在を理論的に証明した。この論文は「アインシュタイン選集(1)」や「アインシュタイン論文選: 「奇跡の年」の5論文 (ちくま学芸文庫) 」で読むことができる。しかし、本書で紹介されているのは、この論文が発表される前に書かれた「統計的三部作」と呼ばれる論文だ。
アインシュタインの統計的三部作
- 熱平衡と熱力学第二法則の運動論(1902)
- 熱力学の基礎に関する一理論(1903)
- 熱の一般分子論について(1904)
そして第6章「状態和と分配関数」では、プランクによる黒体輻射の法則、デバイとプランクの状態和、ダーウィンとファウラーの分配関数などが解説され「状態和」、「分配関数」という統計力学では重要な概念が誕生したことが紹介される。そして古典統計力学を量子統計力学へと進化させるきっかけとなったのがプランクによる『熱輻射論講義』で、第5版まで改訂された。日本語版は「熱輻射論講義 (岩波文庫 青 949-1) 」として読むことができる。ただし、これは初版の日本語訳であることに注意していただきたい。
第7章「量子統計の時代におけるアンサンブル」は、量子力学の発見により、古典統計力学はどのように変わったかが解説される。量子統計の理論化に大きな役割を果たしたのがフォン・ノイマンによる理論であり名著「量子力学の数学的基礎(1932)」としてまとめられた。日本語版は「量子力学の数学的基礎: J.v.ノイマン」として読むことができる。
この章ではまた統計力学を物理化学にまで適用範囲を広げた「トルマンの統計力学(1938)」が解説されている。トルマンの統計力学はギブスの統計力学を継承していて、古典統計力学で培われた原理、本質は量子統計力学でも生きていることを確認することができる。
そして「終章」が僕にはとてもありがたかった、第1章から第7章を手短かに総括してくれているからだ。あまりにも詳細な解説を読み続けると「詳細を忘れながら進む」ことになり、学説どうしの違いや発展の仕方が漠然としたものになる。キーポイントだけおさらいしてくれることで、落ちこぼれた読者は救われ、本書の価値をようやく理解できるようになるのだ。「終章」を最初に読み、第1章から第7章を読んでからもう一度「終章」をお読みになるとよいだろう。
全部読み終わると、整理された形で書かれている標準的な統計力学の教科書を読み直してみたくなる。そのような気持ちが生まれれば、本書を読んだ価値があったのだと言えよう。
関連ページ:
統計力学の発展に貢献した物理学者はドイツ人やドイツ語を母国語としていることが多い。けれども本書で取り上げられた名著や論文のいくつかは、英語で読むことができる。代表的なものを紹介しておこう。科学史上の名著ばかりである。
1859年9月21日にマックスウェルが発表した気体の動力学的理論の論文では、個々の粒子の速度分布はマクスウェル分布に従う事が示された。(解説)
On the Dynamical Theory of Gases (1859): 閲覧 PDFファイル PDFファイル
ボルツマンの「気体論の講義」の英語版はこちら。
Lectures on Gas Theory (1896-1898): 閲覧 PDFファイル
ウィラード・ギブスが亡くなる前年に著した1902年の著書『統計力学の基礎的諸原理』はこちら。本書ではいちばん多くページが割かれている。
Elementary Principles in Statistical Mechanics (1902): 閲覧 PDFファイル
プランクによる著作は4つ読むことができる。『熱輻射論講義(The theory of heat radiation)』は第2版のみ閲覧可能で、第4版を無料で閲覧できるページを見つけることはできなかった。(参考ページ「教科書の書き手としてのプランク——Hoffmann 2013」)
On the Law of Distribution of Energy in the Normal Spectrum (1901): PDFファイル
Treatise on Thermodynamics (1903): 閲覧 PDFファイル
The theory of heat radiation 2e (1914): 閲覧 PDFファイル
Eight Lectures on Theoretical Physics (1915): 閲覧 PDFファイル
そして「トルマンの統計力学」はここから読むことができる。
The Principles Of Statistical Mechanics Tolman Oxford At The Clarendon Press 1938: 閲覧 PDFファイル
関連記事:
統計力学〈1〉(田崎 晴明著)
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/617948cd72bf22f297e999a40f63743b
統計力学〈2〉(田崎 晴明著)
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/bb7189e7f9437ef342757a9199863e8a
統計力学: 長岡洋介著
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/3f80a41160ab4579f41b47da4194376c
統計力学を学ぶ人のために: 芦田正巳著
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/ff7a54088c9ea6fd8d6a3b2ab88c9263
高校数学でわかるボルツマンの原理:竹内淳
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/649fcef45c24e55bbd08613caea97065
力学の誕生―オイラーと「力」概念の革新―: 有賀暢迪
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/39015937594a6282316377ae34a6a240
古典力学の形成―ニュートンからラグランジュへ:山本義隆
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/e808487b7e9d668967f703396e32d80a
古典力学の形成: 山本義隆―続きの話
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/b5904a574fd4c4e276da496bd2c1821b
マッハ力学―力学の批判的発展史:伏見譲訳
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/b283e623ad8c112556fc107f4c422b4b
熱学思想の史的展開〈1〉:山本義隆
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/d1b18caf10c0e9a10baff20434eb9ffc
熱学思想の史的展開〈2〉:山本義隆
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/f852e9510c040c23ae18c4da6df2dcbf
熱学思想の史的展開〈3〉:山本義隆
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/c4f5c84e9854ddd2e60a1300044c9efc
「統計力学の形成:稲葉 肇」
序 章
0-1 統計力学の歴史とギブス
0-2 統計力学の歴史の問題系
0-2-1 科学史および物理学史一般に関して
0-2-2 統計力学の学説史に関して
0-2-3 ギブスの『諸原理』に関して
0-3 本書の概要
第1章 気体運動論の困難からアンサンブルへ
1-1 マクスウェルの気体運動論
1-1-1 「気体の動力学的理論の例示」前史
1-1-2 「例示」の速度分布則と粘性係数
1-1-3 粘性係数と逆5乗則
——「気体の動力学的理論について」
1-2 アンサンブル概念の萌芽
1-2-1 ボルツマンの気体運動論概説
1-2-2 多原子分子気体の運動論的考察
1-2-3 多原子分子気体のアンサンブル的考察
1-3 マクスウェルの「統計的方法」とアンサンブル
1-3-1 マクスウェルの「統計的方法」
1-3-2 マクスウェルのアンサンブル理論
1-3-3 ボルツマンによる検討
第2章 「力学的アナロジー」とアンサンブル
2-1 循環座標
2-1-1 循環座標の導入
2-1-2 J・J・トムソンの循環座標
——「速度座標」
2-1-3 J・J・トムソンによる熱力学の力学への還元
2-2 ヘルムホルツの「単循環系」
2-2-1 力学還元主義の仮説化
2-2-2 「単循環系」の理論
2-2-3 「力学的アナロジー」とは何か
2-3 ボルツマンの「総体」の理論
2-3-1 若きボルツマンの周期系の力学
2-3-2 「総体」
—— ボルツマンのアンサンブル概念
2-3-3 「総体」の洗練とその後
2-3-4 ボルツマンの「像」の理論
第3章 ギブス『統計力学の基礎的諸原理』
3-1 ギブスの経歴と初期の熱力学研究
3-1-1 ギブスの経歴
3-1-2 ギブスの熱力学研究
——「不均質な物質の平衡について」
3-2 『諸原理』への道
3-2-1 気体運動論および統計力学に関するギブスの発言
3-2-2 イェール大学での講義
3-3 『諸原理』のアンサンブル理論と「熱力学的アナロジー」
3-3-1 『諸原理』における統計力学の特徴づけ
3-3-2 ギブスのアンサンブル概念
3-3-3 基礎づけに関する見解
3-3-4 「熱力学的アナロジー」:関係式のあいだの対応関係
3-3-5 「熱力学的アナロジー」:操作のあいだの対応関係
第4章 『諸原理』への応答
4-1 英国からの反応
4-1-1 バーバリーからの書簡
4-1-2 バムステッドの擁護
4-2 ドイツ語圏からの反応
4-2-1 ボルツマンの評価
4-2-2 プランクの批判
4-2-3 ツェルメロの批判
4-2-4 エーレンフェスト夫妻の批判
4-3 オランダ人たちによる擁護と拡充
4-3-1 ローレンツによる一般性の強調と統計的基礎
4-3-2 オルンシュタインによる具体的な問題への適用
4-3-3 デバイの金属電子論
第5章 古典統計力学の諸相
5-1 『諸原理』以外のアンサンブル理論
5-1-1 ボルツマンの『気体論講義』
5-1-2 アインシュタインの統計的三部作
5-2 統計力学の基礎的概念の洗練
—— パウル・ヘルツとオルンシュタイン
5-2-1 ヘルツの「時間アンサンブル」
5-2-2 オルンシュタインの「時間アンサンブル」と「等価な系」
5-2-3 ミクロとマクロ
5-3 エーレンフェスト夫妻の「概念的基礎」
5-3-1 エルゴード性と H 定理の理解
5-3-2 ギブスの統計力学の位置づけ
第6章 状態和と分配関数
6-1 状態和前史
6-1-1 プランクによる黒体輻射の法則の導出
——『熱輻射論講義』初版
6-1-2 ポワンカレの Φ 関数とプランクの状態積分
6-1-3 熱力学的特性関数の重要性
6-2 デバイとプランクの状態和
6-2-1 デバイの状態和
6-2-2 プランクの量子理想気体研究
6-2-3 プランク『熱輻射論講義』第2版と第4版
6-3 ダーウィンとファウラーの分配関数
6-3-1 分配関数の導入過程
6-3-2 統計力学と熱力学の関係
6-3-3 分配関数と状態和
第7章 量子統計の時代におけるアンサンブル
7-1 フォン・ノイマンの量子統計力学
—— 測定とアンサンブル
7-1-1 『数学的基礎』に到るまで
7-1-2 『数学的基礎』におけるアンサンブル
7-2 フォン・ノイマンのエルゴード定理
7-2-1 量子エルゴード定理におけるミクロとマクロ
7-2-2 平均エルゴード定理
7-3 トルマンの統計力学
7-3-1 物理化学から統計力学へ
7-3-2 ギブスの統計力学の継承
7-3-3 統計力学の任務とアプリオリ等確率の仮説
7-3-4 エルゴード仮説批判
終 章
参考文献
あとがき
索 引
内容紹介:
アナロジーから基礎づけへ ——。時間的に可逆であるミクロな多数の要素と、不可逆なマクロとを関係づける、統計力学。マクスウェルやボルツマンによる気体運動論との差異を踏まえつつ、その歴史と意義を丹念に追跡。アンサンブル概念はいかに誕生・発展し、フォン・ノイマンによる量子統計に到ったか?
2021年9月24日刊行、378ページ。
著者について:
稲葉 肇(いなば はじめ)
ホームページ: https://hinaba.org/
愛知県に生まれる(1985年)。京都大学文学部卒業(2007年)、京都大学大学院文学研究科博士後期課程研究指導認定退学(2012年)、京都大学博士(文学)取得(2015年)、明治大学政治経済学部専任講師(2018年、現在に至る)。
訳 書:
ヘリガ・カーオ『20世紀物理学史――理論・実験・社会』(共訳、名古屋大学出版会、2015年)
理数系書籍のレビュー記事は本書で474冊目。
僕が統計力学を集中して学んでいたのは2008年から2009年にかけてのことで10年以上も経っている。そろそろ記憶をリフレッシュする時期ではないかと思っていたところに本書が刊行されたことを知った。ただし、これは統計力学史、物理学史の本だから統計力学そのものを学べるわけではない。とはいえ、この分野がどのように誕生し、発展していったかはとても興味深いし、おそらくこの本以外では知ることができない。
マックスウェル分布からボルツマン原理など、気体分子運動論から統計力学の入口あたりまででよければ「高校数学でわかるボルツマンの原理:竹内淳」でざっくり知ることができる。しかし、これだけでは物足りないし、その先が知りたいのだ。そしてボルツマンが、そしてギブス、アインシュタイン、プランク、 フォン・ノイマン、トルマンなどがどのような貢献をしたのか、古典統計力学から量子統計力学に至る過程、当初は気体だけ、平衡系だけが範疇だった理論がどのようにして扱う領域を拡大していったかを知りたかった。ゴムの弾性も統計力学を使って説明することができ、久保亮五先生の「ゴム弾性(初版復刻版)」(Kindle版)(紹介記事)として学ぶことができる。そして近年では統計力学の人工知能(AI)への応用がさかんに研究されているという。
このような発展史は教科書からでは読み取ることはできない。どの分野でもそうなのだが、教科書は科学者たちが積み重ね、培ってきた理論を時系列とは関係なく、理論的整合性と学びやすさを重視する形でまとめているからだ。ページ数にも制限があるため、科学史的な記述はほとんど省略されている。
このような勇み足で読み始めたのだが、第5章あたりまではかなり難しく、やっと第6章、第7章あたりから読んでよかったと思えるようになった。読み進めるうちにわかりやすくなるとはいえ、統計力学の標準的な教科書で学んだことがない人には無理があるだろう。「分配関数って何?」という方は、まず教科書や「ゼロから学ぶ統計力学:加藤 岳生」(Kindle版)のような副読本、広江克彦さんによるサイト「EMANの統計力学」、YouTubeの動画などで学んでほしい。
章立ては次のとおりである。
序 章
第1章 気体運動論の困難からアンサンブルへ
第2章 「力学的アナロジー」とアンサンブル
第3章 ギブス『統計力学の基礎的諸原理』
第4章 『諸原理』への応答
第5章 古典統計力学の諸相
第6章 状態和と分配関数
第7章 量子統計の時代におけるアンサンブル
終 章
まず、著者による本書の紹介文を読むのがいちばんだ。
著者による本書の紹介ページ
https://allreviews.jp/review/5779
ミクロの世界とマクロの世界を結びつけるのが統計力学である。気体分子運動論という「力学」に端を発した理論は、分子の集合体をアンサンブルと見なす「確率」、「統計」をベースのものにしたアンサンブルの理論に変遷していき、ミクロとマクロが結び付けられるようになる。しかし、その結び付け方や、そこに前提される条件、概念の理解にはいくつかの選択肢があり、科学者それぞれの「学説」として発表される。現代では明らかにされていることであっても、当時は試行錯誤で、考察が不十分だったり、他の学者から批判されながら、少しずつ洗練され、後の時代の科学者に引き継がれていった。
このようなわけで、第5章あたりまで僕は読み解くのに相当苦労した。初期の統計力学の本としてはボルツマンの『気体論の講義(1896-1898)』(日本語版)やギブスが亡くなる前年に著した『統計力学の基礎的諸原理(1902)』(本書では『諸原理』として略記)を中心に学説を数式を引用しながら紹介している。数式は原著からの引用であるが、教科書のように導出過程が示されているわけではないから「イメージ」として理解するのがよさそうだ。正しく理解するためには原著を読む必要がある。
1905年の奇跡の年に、アインシュタインはブラウン運動についての論文を発表し、原子の存在を理論的に証明した。この論文は「アインシュタイン選集(1)」や「アインシュタイン論文選: 「奇跡の年」の5論文 (ちくま学芸文庫) 」で読むことができる。しかし、本書で紹介されているのは、この論文が発表される前に書かれた「統計的三部作」と呼ばれる論文だ。
アインシュタインの統計的三部作
- 熱平衡と熱力学第二法則の運動論(1902)
- 熱力学の基礎に関する一理論(1903)
- 熱の一般分子論について(1904)
そして第6章「状態和と分配関数」では、プランクによる黒体輻射の法則、デバイとプランクの状態和、ダーウィンとファウラーの分配関数などが解説され「状態和」、「分配関数」という統計力学では重要な概念が誕生したことが紹介される。そして古典統計力学を量子統計力学へと進化させるきっかけとなったのがプランクによる『熱輻射論講義』で、第5版まで改訂された。日本語版は「熱輻射論講義 (岩波文庫 青 949-1) 」として読むことができる。ただし、これは初版の日本語訳であることに注意していただきたい。
第7章「量子統計の時代におけるアンサンブル」は、量子力学の発見により、古典統計力学はどのように変わったかが解説される。量子統計の理論化に大きな役割を果たしたのがフォン・ノイマンによる理論であり名著「量子力学の数学的基礎(1932)」としてまとめられた。日本語版は「量子力学の数学的基礎: J.v.ノイマン」として読むことができる。
この章ではまた統計力学を物理化学にまで適用範囲を広げた「トルマンの統計力学(1938)」が解説されている。トルマンの統計力学はギブスの統計力学を継承していて、古典統計力学で培われた原理、本質は量子統計力学でも生きていることを確認することができる。
そして「終章」が僕にはとてもありがたかった、第1章から第7章を手短かに総括してくれているからだ。あまりにも詳細な解説を読み続けると「詳細を忘れながら進む」ことになり、学説どうしの違いや発展の仕方が漠然としたものになる。キーポイントだけおさらいしてくれることで、落ちこぼれた読者は救われ、本書の価値をようやく理解できるようになるのだ。「終章」を最初に読み、第1章から第7章を読んでからもう一度「終章」をお読みになるとよいだろう。
全部読み終わると、整理された形で書かれている標準的な統計力学の教科書を読み直してみたくなる。そのような気持ちが生まれれば、本書を読んだ価値があったのだと言えよう。
関連ページ:
統計力学の発展に貢献した物理学者はドイツ人やドイツ語を母国語としていることが多い。けれども本書で取り上げられた名著や論文のいくつかは、英語で読むことができる。代表的なものを紹介しておこう。科学史上の名著ばかりである。
1859年9月21日にマックスウェルが発表した気体の動力学的理論の論文では、個々の粒子の速度分布はマクスウェル分布に従う事が示された。(解説)
On the Dynamical Theory of Gases (1859): 閲覧 PDFファイル PDFファイル
ボルツマンの「気体論の講義」の英語版はこちら。
Lectures on Gas Theory (1896-1898): 閲覧 PDFファイル
ウィラード・ギブスが亡くなる前年に著した1902年の著書『統計力学の基礎的諸原理』はこちら。本書ではいちばん多くページが割かれている。
Elementary Principles in Statistical Mechanics (1902): 閲覧 PDFファイル
プランクによる著作は4つ読むことができる。『熱輻射論講義(The theory of heat radiation)』は第2版のみ閲覧可能で、第4版を無料で閲覧できるページを見つけることはできなかった。(参考ページ「教科書の書き手としてのプランク——Hoffmann 2013」)
On the Law of Distribution of Energy in the Normal Spectrum (1901): PDFファイル
Treatise on Thermodynamics (1903): 閲覧 PDFファイル
The theory of heat radiation 2e (1914): 閲覧 PDFファイル
Eight Lectures on Theoretical Physics (1915): 閲覧 PDFファイル
そして「トルマンの統計力学」はここから読むことができる。
The Principles Of Statistical Mechanics Tolman Oxford At The Clarendon Press 1938: 閲覧 PDFファイル
関連記事:
統計力学〈1〉(田崎 晴明著)
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統計力学〈2〉(田崎 晴明著)
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統計力学: 長岡洋介著
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高校数学でわかるボルツマンの原理:竹内淳
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力学の誕生―オイラーと「力」概念の革新―: 有賀暢迪
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マッハ力学―力学の批判的発展史:伏見譲訳
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熱学思想の史的展開〈2〉:山本義隆
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「統計力学の形成:稲葉 肇」
序 章
0-1 統計力学の歴史とギブス
0-2 統計力学の歴史の問題系
0-2-1 科学史および物理学史一般に関して
0-2-2 統計力学の学説史に関して
0-2-3 ギブスの『諸原理』に関して
0-3 本書の概要
第1章 気体運動論の困難からアンサンブルへ
1-1 マクスウェルの気体運動論
1-1-1 「気体の動力学的理論の例示」前史
1-1-2 「例示」の速度分布則と粘性係数
1-1-3 粘性係数と逆5乗則
——「気体の動力学的理論について」
1-2 アンサンブル概念の萌芽
1-2-1 ボルツマンの気体運動論概説
1-2-2 多原子分子気体の運動論的考察
1-2-3 多原子分子気体のアンサンブル的考察
1-3 マクスウェルの「統計的方法」とアンサンブル
1-3-1 マクスウェルの「統計的方法」
1-3-2 マクスウェルのアンサンブル理論
1-3-3 ボルツマンによる検討
第2章 「力学的アナロジー」とアンサンブル
2-1 循環座標
2-1-1 循環座標の導入
2-1-2 J・J・トムソンの循環座標
——「速度座標」
2-1-3 J・J・トムソンによる熱力学の力学への還元
2-2 ヘルムホルツの「単循環系」
2-2-1 力学還元主義の仮説化
2-2-2 「単循環系」の理論
2-2-3 「力学的アナロジー」とは何か
2-3 ボルツマンの「総体」の理論
2-3-1 若きボルツマンの周期系の力学
2-3-2 「総体」
—— ボルツマンのアンサンブル概念
2-3-3 「総体」の洗練とその後
2-3-4 ボルツマンの「像」の理論
第3章 ギブス『統計力学の基礎的諸原理』
3-1 ギブスの経歴と初期の熱力学研究
3-1-1 ギブスの経歴
3-1-2 ギブスの熱力学研究
——「不均質な物質の平衡について」
3-2 『諸原理』への道
3-2-1 気体運動論および統計力学に関するギブスの発言
3-2-2 イェール大学での講義
3-3 『諸原理』のアンサンブル理論と「熱力学的アナロジー」
3-3-1 『諸原理』における統計力学の特徴づけ
3-3-2 ギブスのアンサンブル概念
3-3-3 基礎づけに関する見解
3-3-4 「熱力学的アナロジー」:関係式のあいだの対応関係
3-3-5 「熱力学的アナロジー」:操作のあいだの対応関係
第4章 『諸原理』への応答
4-1 英国からの反応
4-1-1 バーバリーからの書簡
4-1-2 バムステッドの擁護
4-2 ドイツ語圏からの反応
4-2-1 ボルツマンの評価
4-2-2 プランクの批判
4-2-3 ツェルメロの批判
4-2-4 エーレンフェスト夫妻の批判
4-3 オランダ人たちによる擁護と拡充
4-3-1 ローレンツによる一般性の強調と統計的基礎
4-3-2 オルンシュタインによる具体的な問題への適用
4-3-3 デバイの金属電子論
第5章 古典統計力学の諸相
5-1 『諸原理』以外のアンサンブル理論
5-1-1 ボルツマンの『気体論講義』
5-1-2 アインシュタインの統計的三部作
5-2 統計力学の基礎的概念の洗練
—— パウル・ヘルツとオルンシュタイン
5-2-1 ヘルツの「時間アンサンブル」
5-2-2 オルンシュタインの「時間アンサンブル」と「等価な系」
5-2-3 ミクロとマクロ
5-3 エーレンフェスト夫妻の「概念的基礎」
5-3-1 エルゴード性と H 定理の理解
5-3-2 ギブスの統計力学の位置づけ
第6章 状態和と分配関数
6-1 状態和前史
6-1-1 プランクによる黒体輻射の法則の導出
——『熱輻射論講義』初版
6-1-2 ポワンカレの Φ 関数とプランクの状態積分
6-1-3 熱力学的特性関数の重要性
6-2 デバイとプランクの状態和
6-2-1 デバイの状態和
6-2-2 プランクの量子理想気体研究
6-2-3 プランク『熱輻射論講義』第2版と第4版
6-3 ダーウィンとファウラーの分配関数
6-3-1 分配関数の導入過程
6-3-2 統計力学と熱力学の関係
6-3-3 分配関数と状態和
第7章 量子統計の時代におけるアンサンブル
7-1 フォン・ノイマンの量子統計力学
—— 測定とアンサンブル
7-1-1 『数学的基礎』に到るまで
7-1-2 『数学的基礎』におけるアンサンブル
7-2 フォン・ノイマンのエルゴード定理
7-2-1 量子エルゴード定理におけるミクロとマクロ
7-2-2 平均エルゴード定理
7-3 トルマンの統計力学
7-3-1 物理化学から統計力学へ
7-3-2 ギブスの統計力学の継承
7-3-3 統計力学の任務とアプリオリ等確率の仮説
7-3-4 エルゴード仮説批判
終 章
参考文献
あとがき
索 引