
「時:渡辺慧」
内容(「BOOK」データベースより)
時間の不可逆性はなぜ生じるのか?ド・ブロイ、ハイゼンベルク、ボーアに、師事・親交した量子力学の輝ける巨星による「時間論」の金字塔。
著者について
渡辺慧(わたなべさとし):1910-1993年。東京帝国大学理学部卒。渡欧してド・ブロイ、ハイゼンベルク、ニールス・ボーアらに師事・親交した世界的理論物理学者。著書に『時間の歴史』『知るということ』他がある。
理数系書籍のレビュー記事は本書で199冊目。
ひとつ前のレビュー記事でも少し触れたが、このところ僕はずっと「熱力学的なエントロピー」と「情報エントロピー」の関連性にこだわっている。不可逆な計算を行うと情報によってエントロピーが増大し、エネルギーが生成される。この2つのエントロピーは同一のものと見なしてよいのだろうか?(不可逆な計算によってエントロピーが増大することについては「ファインマン計算機科学:ファインマン, A.ヘイ, R.アレン」という記事を参照。)
エントロピー増大則は熱力学第2法則のことで、数ある物理法則のうちこの法則だけが時間が過去から未来の一方向にしか流れないという現象の唯一のよりどころとなっているそうだ。「時間の矢」のことである。過去は決定しているのに未来は決定していないということも時間の流れに沿った自然現象の不可逆性を示している。不可逆性とは「覆水盆に返らず。」のように元に戻せない性質のことだ。
今年は古い電卓を集めはじめたことがきっかけで、その計算過程や電子回路のことに興味を持ってその方面の本を読み、また計算機自体への興味から情報理論の本を読んだばかりだ。それぞれの本の内容にもおおいに関心がある。これらの本を読んでいくうち、自然にエントロピーや現象の不可逆性の問題の周辺をさまよっていた。というよりむしろ気になっているこれらの問題を意識して読む本を選んできたのである。
「情報をエネルギーに変換する技術」とは
http://j-net21.smrj.go.jp/develop/digital/entry/001-20110323-01.html
情報エントロピー(EMANの統計力学)
http://eman-physics.net/statistic/info.html
*本書を買ったときのこと
今日紹介する「時:渡辺慧」は地元の書店で見つけたものだ。金色の帯がとにかく目立っている。おまけに「時間論の金字塔」という文字も目をひいた。まさに「金ずくし」。

「時間の不可逆性はなぜ生じるのか?」とか「ド・ブロイ、ハイゼンベルク、ボーアに、師事・親交した量子力学の輝ける巨星による時間論の金字塔」とかすごいことが書いてある。これは買うしかない。
小さい文字で「理論的僥倖と呼ぶべき読書体験であり、まさに天啓にうたれたような感動であった。」と解説を担当された大澤真幸という先生による添え書きがある。
読めたとしても手書きではきっと書けず、漢字検定に出題されそうなこの「僥倖」という言葉は「ぎょうこう」と読む。「思いがけない幸い」とか「偶然に得る幸運」という意味だ。
僕はこれまでの人生の読書で「天啓にうたれた」ことがない。解説を書いた先生は影響を受けやすいタイプなのかな?という考えが頭をよぎった。いや、僕のほうが感受性が鈍いから天啓が素通りしてしまっていたのに違いない。きっとそうだ。
そういうわけで、この金色の帯と天啓のことが気になり本書を購入したのだ。
天啓:(1)天の導き、(2)天が真理を人間に示すこと。天の啓示
(広辞苑第六版)
*時間論の本について
「時間論」をテーマにした本は当たり外れが多い。すごく気に入るかうけつけないかのどちらかだ。これまで僕が読んだことのあるのは3冊で、次の2冊は良かった。
「よくわかる最新時間論の基本と仕組み:竹内薫」
「時間の物理学―その非対称性 (1979年)」
残り1冊は書名も出したくないほどうけつけなかったし、その本は半分くらいで投げ出した。
*本書が書かれた背景、対象読者
今日とりあげた「時:渡辺慧」は時間論の初期の名著とされ、戦後間もない1948年に出版された本の「再復刻版」だ。(復刻版は1974年。)量子力学をその黎明期にフランスで研究された渡辺慧先生による本である。(先生のご経歴はウィキペディアの記事を参照。)
本書は縦書きで書かれた一般向けの本である。数式も若干挿入されているので、数学や物理に馴染んでいない方には読めない章もある。
文体や内容に古臭さはほとんど感じなかった。ただ2つだけ時代のギャップを感じた点がある。先生がこの本の対象読者を「一般知識人」と表現していたことと、哲学や哲学者についての話題が多かったことだ。
昨今「知識人」という言葉はほとんど耳にしない。日常会話やテレビでこの言葉が使われていたのは僕が中学生くらいの頃までだったと思う。それはおそらく「知識階級」というイメージに結びつきやすく、「非知識人=頭の悪い人」ということになり、社会の風潮が変化し、差別用語が禁止されていく中で淘汰されていったものだと僕は考えている。
けれども戦後3年しかたっていない混乱期、ほとんどの国民は貧乏で生活のために時間に追われていた。ゆっくり読書できるような立場にあった人は金銭的にも時間的にも余裕のあった階級の人たち=知識人なのだったと思う。
哲学や哲学者についても、最近の日常生活では耳にしない。哲学者を多く輩出したフランスでは今でも「哲学カフェ」なる活動が活発に行われている。「日本の哲学カフェ」は各地で開催されているものの、そこで議論されるテーマは日常的な事柄がほとんどのようだ。
学生がカントやサルトル、ショーペンハウエルを論じていたのは全共闘の世代くらいまでだったと思う。とはいってもそういう学生は少数派だったろうけど。本書の後半で取り上げられるのはフランスの哲学者ベルクソンである。
*本書の内容と感想
「時間論」で取り上げられる時間にはいろいろなものがある。物理的時間のほか精神・心理的時間、生物学的時間、観念・哲学的時間、宗教・思想に基づく時間など。それらをすべて取り扱うとややこしくなって読めたものではない。
本書の章立ては次のとおり。(詳細目次はこの記事のいちばん下を参照。)
第1章:時間と生活
第2章:時間と自然観
第3章:時間の起源と機能
第4章:空間の左右と時間の前後
第5章:時間と現象
第6章:物理的時間についての対話
第7章:可逆、不可逆性の問題
第8章:量子力学における可逆性
第9章:輪廻と微小輪廻
第10章:ベルクソンの創造的進化と時間
第11章:相対性理論とベルクソン
第12章:時間と信仰 - 進化する宗教
第13章:永遠について
僕が関心をもっているのは物理的な時間についてだけなので、第4章から第8章までが興味に沿う内容だ。第1章から第3章は文化的、社会的、歴史的なことがらを先生の視点から叙述されたものなのでお人柄やフランスでの生活のことを知ることができてよかった。
本は最後まで読みきったが、第9章以降は僕の関心を引くものではなかった。特殊相対論や一般相対論が時間の矢や不可逆性と関係ないことは本書を読む前から知っていたので、ベルクソンがいかに偉大な哲学者だとしても相対論と哲学による時間の考察は僕には意味をなさないものだった。
むしろそれよりブラックホールの表面のように一般相対論が破綻する極限的な状況で、情報やエントロピー、エネルギーがどうなるのかということのほうが重要だと思う。ブラックホールの2次元の表面は、その外の3次元の物体の情報をすべて記録できることが理論的に導かれているからだ。(このことは「重力とは何か アインシュタインから超弦理論へ、宇宙の謎に迫る:大栗博司」という本に書かれている。)
渡辺先生の研究成果の核心部分は第6章から第7章にかけて書かれている。その骨子は次のようなものだ。ひとことで言えば「測定者が測定することによって波動関数が収縮し、エントロピーが増大する。」ということなのだそうだ。
量子力学の波動関数は時間について対称的、つまり量子現象は可逆的なのだが、波動関数の収縮という現象は不可逆なものである。エントロピーの増大と不可逆性はここで示される。この部分の説明はとても長く、細かい手順を含んでいるので要点だけ取り上げて紹介することはできない。詳しく知りたい方は本書を読んでいただきたい。
そして後半では物理的な時間の流れとは別に先生が「我の流れ」と表現している時間の流れが測定者の中にあるということが説明される。測定は2回行うことによって測定者の「我の流れ」の2つの時刻と、物理的な2つの時刻との対応付けがなされる。このとき「我の流れ」のほうの時刻の前後関係は過去、未来の順に保持され、これを測定者は時間の流れ、「光の矢」だと認識する。
前半の「測定者が測定することによって波動関数が収縮し、エントロピーが増大する。」の部分は数式を使って解説されているので説明は長いものの物理学に馴染んでいる方にとってはわかりやすい。確かに筋道のとおった説明で、よく理解できた。ただし詳細な式の導出手順は示されておらず、1935年に先生がフランス語でお書きになった論文を参照せよと書かれているのだ。
ただ「量子力学の観測問題」は解決されているわけではないので、この部分はどうなのかな?という気もする。測定者(観測者)居眠りして測定をさぼっていたらどうなるのだろう?という疑問にも本書は答えてくれなかった。(ニールス・ボーアが言った「だれも見ていないときの月は、存在しない」ということと同様の疑問。)この「観測問題」さえ解決すれば前半の部分は成り立つのだろう。
後半の「我の流れ」は数式で表現できるはずもなく、文章だけの解説になるので信じるか信じないかのどちらかになってしまっている。
少なくとも前半までで量子力学を使ったエントロピー増大則は示せるのだから、この部分だけでも理解しておきたい。でもそんな昔に書かれた論文が手に入るわけでもないし。。。と思いつつ探してみたら見つかった。
その論文というのは「Le deuxieme theoreme de la thermodynamique et la mecanique ondulatoire (1935)」というもので、日本語に訳せば「熱力学第2法則と波動力学」というタイトルだ。この論文でエントロピー増大則が量子力学によって詳しく導出されているのだという。
エントロピーは熱力学的な物理量なのだが、古典統計力学を使って導出することができる。ただその「増大則」については「原理」として認めなければいけないので、量子力学で証明できるのなら意味のあることだ。
参考:
熱力学におけるエントロピー
http://eman-physics.net/thermo/entropy.html
統計力学におけるエントロピー
http://eman-physics.net/statistic/entropy.html
これがその論文だ。(クリックで拡大)
「Le deuxieme theoreme de la thermodynamique et la mecanique ondulatoire (1935)」

このページによれば各地の大学や理化学研究所、日仏会館の図書館に所蔵されているようだ。
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA30400726
フランスのアマゾンでも古書で1冊販売されている。(ここをクリック)ただ古書だとフランス在住でないと購入することができない。(2016年4月に追記:この記事を書いた時点では134ユーロで古書が出品されていたのだが、その後どなたかがお買い求めになったことを確認した。)
幸いフランス語ができるし、93ページほどの本のようなので、いつか日仏会館で借りて読んでみたいと思う。(外に持ちだしたり、コピーしてもいいのかな?)
ということで今回も天啓は僕を素通りしてしまったようだが、一歩前進への手がかりを得た気もするので、意味のある読書となったのだと思いたい。そして本書と渡辺先生の1935年の論文の価値は「量子力学の観測問題」の今後の成り行きに大きく左右されることだろう。
最後に本題とは関係ないが、本書は戦後まもなく書かれた本であるにもかかわらず、はっとされられた一文があった。
第1章の西洋と日本の社会を比較している文脈の中で「現代的議会政治下では、後者(すなわち日本)はしばしば小政党分立のための不安定になやむ。」と先生はお書きになっているのだ。
来月16日の衆院選の結果がどうあれ、小政党分立は避けられず「決められない政治」は続くに違いないし、この国は再び元気を取り戻せるのかと思ってしまう。どの政党の主張が正しいかということ以前に、この国の議会制民主主義のあり方を根本的に見直さなくてはならないと思った。
============================================
2012年11月28日に追記:
ウィキペディアの「マクスウェルの悪魔」の項目の中に以下の記述を見つけた。これによると今日では渡辺先生による本書や1935年の論文の説とは若干異なる主張がされている。(下記引用の赤文字部分)
つまり「行なった観測結果を「忘れる」」とは「量子消しゴム実験」で確認されている内容だ。
量子消しゴム実験やってみた
http://d.hatena.ne.jp/rikunora/20111015/p1
現在の解釈と異なるとはいえ、1935年の時点で「観測」と「エントロピー増大」の関連性に気づいていた渡辺先生の洞察力には驚かされる。
----- 引用ここから ------------------------
レオン・ブリユアン (Leon Brillouin) とデニス・ガボールは1951年、それぞれ独立に悪魔を光による観測に置き換えて物理的解析を行ない、その観測の過程で相応するエントロピーの増大が起こることを示した。 これによって、観測には最低限必要なエネルギー散逸が伴うのだという主張が、長らくマクスウェルの悪魔に死を宣告するものだと考えられてきた。
ところが、悪魔は完全には葬りさられていないことが明らかになった。 1973年、IBM のチャールズ・ベネット (Charles Bennett) は、熱力学的に可逆な(元に戻すことができる)観測が可能であり、こうした観測においてはブリユアンらが指摘したようなエントロピーの増大が必要ないことを示したのである。
これに先立つ1961年、同じく IBM の研究者であったロルフ・ランダウアー (Rolf Landauer) によって、コンピュータにおける記憶の消去が、ブリユアンの主張した観測によるエントロピーの増大と同程度のエントロピー増大を必要とすることが示されていた (ランダウアーの原理)。 ベネットが甦らせた問題は、このランダウアーの原理と組み合わせることによってベネット自身により解決された(1982年)。 エントロピーの増大は、観測を行なったときではなく、むしろ行なった観測結果を「忘れる」ときに起こるのである。
なお、ベネットと同様に悪魔の記憶の消去が環境へのエントロピーの増大を招くという洞察は1970年にオリバー・ペンローズ (Oliver Penrose) によっても独立に成されていた。
----- 引用ここまで ------------------------
-------------------------------------------
2016年4月に追記:
乱雑さを決める時間の対称性を発見
-100年前の物理と数学の融合が築くミクロとマクロの架け橋-
http://www.riken.jp/pr/press/2016/20160427_2/
-------------------------------------------
応援クリックをお願いします!このブログのランキングはこれらのサイトで確認できます。


「時:渡辺慧」

解説:明日の日の出を祈る神官/「死」を否定するアインシュタイン:大澤真幸
はしがき
再販によせて
第1章:時間と生活
- 時間が伸びたり縮んだりする話
- こころの時計
- デートということ
- 時間と性格
第2章:時間と自然観
- 時間と世界像
- 空間の前後と時間の前後
- 持続性と変化性
第3章:時間の起源と機能
- はじめに
- 先験的か後験的か
- 現在の過去と未来への分裂
- 動物の場合
- 回帰的時間、終末観的時間、進化的時間
第4章:空間の左右と時間の前後
- はじめに
- 左右の定義
- 左右と物理法則
- 時間の前後と空間の左右
- 時間の前後と物理法則
第5章:時間と現象
- 力学対熱力学
- 運動を定めるもの
- むすび
第6章:物理的時間についての対話
- はじめに
- 「我」と「観察」
- 動く「現在」
- 「我」の流れ
- 物理的時間
- 古典物理学における不可逆性
- 観測者の知識
- 巨視的状態
- エントロピー
- 知識の発展
- エントロピーの変化
- 観測の不可逆性
第7章:可逆、不可逆性の問題
- はじめに
- 測定の不可逆性について
- H定理について
- 熱力学第二法則の機構の波動力学的理解
第8章:量子力学における可逆性
- はじめに
- 物理的時間に関する二つの問題
- 時間の逆転
- 古典力学の可逆性
- 熱力学の第二法則
- シュレーディンガーの力学の可逆性
- ディラックの力学の可逆性
- ポテンシァルの遅延
- 量子電磁力学の可逆性
- むすび
第9章:輪廻と微小輪廻
- はじめに
- 輪廻とエルゴード定理
- 周期性と微小輪廻性とH定理
- 時空の対称性
- S行列のユニタリ性
- むすび
第10章:ベルクソンの創造的進化と時間
- ベルクソン哲学と時間
- エントロピー原理
- エントロピー原理の現代物理学による解釈
- ベルクソンとエントロピー原理
- 哲学的結論 - 物質と精神との相互条件性
第11章:相対性理論とベルクソン
- はじめに
- 特殊相対性理論における時間と空間
- 物指の短縮、時計の遅延、同時性の相対性
- 普遍時間の説
- 多数時間と唯一時間
- 同時性の相対性
- 四次元世界
- 一般相対論の立場
- 一般相対論と時間
- 弾丸上の旅行者
- むすび
第12章:時間と信仰 - 進化する宗教
- 時間と存在
- 時間と永遠
- 時間と愛
- 時間と進化
- 時間と物質
第13章:永遠について
- 三つの永遠
- 時間的永遠、進展的永遠
- 非時間的永遠
- 幾何学的な模型
- 物理学からの類推
- 三つの時間の関連
- 永遠について
索引
内容(「BOOK」データベースより)
時間の不可逆性はなぜ生じるのか?ド・ブロイ、ハイゼンベルク、ボーアに、師事・親交した量子力学の輝ける巨星による「時間論」の金字塔。
著者について
渡辺慧(わたなべさとし):1910-1993年。東京帝国大学理学部卒。渡欧してド・ブロイ、ハイゼンベルク、ニールス・ボーアらに師事・親交した世界的理論物理学者。著書に『時間の歴史』『知るということ』他がある。
理数系書籍のレビュー記事は本書で199冊目。
ひとつ前のレビュー記事でも少し触れたが、このところ僕はずっと「熱力学的なエントロピー」と「情報エントロピー」の関連性にこだわっている。不可逆な計算を行うと情報によってエントロピーが増大し、エネルギーが生成される。この2つのエントロピーは同一のものと見なしてよいのだろうか?(不可逆な計算によってエントロピーが増大することについては「ファインマン計算機科学:ファインマン, A.ヘイ, R.アレン」という記事を参照。)
エントロピー増大則は熱力学第2法則のことで、数ある物理法則のうちこの法則だけが時間が過去から未来の一方向にしか流れないという現象の唯一のよりどころとなっているそうだ。「時間の矢」のことである。過去は決定しているのに未来は決定していないということも時間の流れに沿った自然現象の不可逆性を示している。不可逆性とは「覆水盆に返らず。」のように元に戻せない性質のことだ。
今年は古い電卓を集めはじめたことがきっかけで、その計算過程や電子回路のことに興味を持ってその方面の本を読み、また計算機自体への興味から情報理論の本を読んだばかりだ。それぞれの本の内容にもおおいに関心がある。これらの本を読んでいくうち、自然にエントロピーや現象の不可逆性の問題の周辺をさまよっていた。というよりむしろ気になっているこれらの問題を意識して読む本を選んできたのである。
「情報をエネルギーに変換する技術」とは
http://j-net21.smrj.go.jp/develop/digital/entry/001-20110323-01.html
情報エントロピー(EMANの統計力学)
http://eman-physics.net/statistic/info.html
*本書を買ったときのこと
今日紹介する「時:渡辺慧」は地元の書店で見つけたものだ。金色の帯がとにかく目立っている。おまけに「時間論の金字塔」という文字も目をひいた。まさに「金ずくし」。

「時間の不可逆性はなぜ生じるのか?」とか「ド・ブロイ、ハイゼンベルク、ボーアに、師事・親交した量子力学の輝ける巨星による時間論の金字塔」とかすごいことが書いてある。これは買うしかない。
小さい文字で「理論的僥倖と呼ぶべき読書体験であり、まさに天啓にうたれたような感動であった。」と解説を担当された大澤真幸という先生による添え書きがある。
読めたとしても手書きではきっと書けず、漢字検定に出題されそうなこの「僥倖」という言葉は「ぎょうこう」と読む。「思いがけない幸い」とか「偶然に得る幸運」という意味だ。
僕はこれまでの人生の読書で「天啓にうたれた」ことがない。解説を書いた先生は影響を受けやすいタイプなのかな?という考えが頭をよぎった。いや、僕のほうが感受性が鈍いから天啓が素通りしてしまっていたのに違いない。きっとそうだ。
そういうわけで、この金色の帯と天啓のことが気になり本書を購入したのだ。
天啓:(1)天の導き、(2)天が真理を人間に示すこと。天の啓示
(広辞苑第六版)
*時間論の本について
「時間論」をテーマにした本は当たり外れが多い。すごく気に入るかうけつけないかのどちらかだ。これまで僕が読んだことのあるのは3冊で、次の2冊は良かった。
「よくわかる最新時間論の基本と仕組み:竹内薫」
「時間の物理学―その非対称性 (1979年)」
残り1冊は書名も出したくないほどうけつけなかったし、その本は半分くらいで投げ出した。
*本書が書かれた背景、対象読者
今日とりあげた「時:渡辺慧」は時間論の初期の名著とされ、戦後間もない1948年に出版された本の「再復刻版」だ。(復刻版は1974年。)量子力学をその黎明期にフランスで研究された渡辺慧先生による本である。(先生のご経歴はウィキペディアの記事を参照。)
本書は縦書きで書かれた一般向けの本である。数式も若干挿入されているので、数学や物理に馴染んでいない方には読めない章もある。
文体や内容に古臭さはほとんど感じなかった。ただ2つだけ時代のギャップを感じた点がある。先生がこの本の対象読者を「一般知識人」と表現していたことと、哲学や哲学者についての話題が多かったことだ。
昨今「知識人」という言葉はほとんど耳にしない。日常会話やテレビでこの言葉が使われていたのは僕が中学生くらいの頃までだったと思う。それはおそらく「知識階級」というイメージに結びつきやすく、「非知識人=頭の悪い人」ということになり、社会の風潮が変化し、差別用語が禁止されていく中で淘汰されていったものだと僕は考えている。
けれども戦後3年しかたっていない混乱期、ほとんどの国民は貧乏で生活のために時間に追われていた。ゆっくり読書できるような立場にあった人は金銭的にも時間的にも余裕のあった階級の人たち=知識人なのだったと思う。
哲学や哲学者についても、最近の日常生活では耳にしない。哲学者を多く輩出したフランスでは今でも「哲学カフェ」なる活動が活発に行われている。「日本の哲学カフェ」は各地で開催されているものの、そこで議論されるテーマは日常的な事柄がほとんどのようだ。
学生がカントやサルトル、ショーペンハウエルを論じていたのは全共闘の世代くらいまでだったと思う。とはいってもそういう学生は少数派だったろうけど。本書の後半で取り上げられるのはフランスの哲学者ベルクソンである。
*本書の内容と感想
「時間論」で取り上げられる時間にはいろいろなものがある。物理的時間のほか精神・心理的時間、生物学的時間、観念・哲学的時間、宗教・思想に基づく時間など。それらをすべて取り扱うとややこしくなって読めたものではない。
本書の章立ては次のとおり。(詳細目次はこの記事のいちばん下を参照。)
第1章:時間と生活
第2章:時間と自然観
第3章:時間の起源と機能
第4章:空間の左右と時間の前後
第5章:時間と現象
第6章:物理的時間についての対話
第7章:可逆、不可逆性の問題
第8章:量子力学における可逆性
第9章:輪廻と微小輪廻
第10章:ベルクソンの創造的進化と時間
第11章:相対性理論とベルクソン
第12章:時間と信仰 - 進化する宗教
第13章:永遠について
僕が関心をもっているのは物理的な時間についてだけなので、第4章から第8章までが興味に沿う内容だ。第1章から第3章は文化的、社会的、歴史的なことがらを先生の視点から叙述されたものなのでお人柄やフランスでの生活のことを知ることができてよかった。
本は最後まで読みきったが、第9章以降は僕の関心を引くものではなかった。特殊相対論や一般相対論が時間の矢や不可逆性と関係ないことは本書を読む前から知っていたので、ベルクソンがいかに偉大な哲学者だとしても相対論と哲学による時間の考察は僕には意味をなさないものだった。
むしろそれよりブラックホールの表面のように一般相対論が破綻する極限的な状況で、情報やエントロピー、エネルギーがどうなるのかということのほうが重要だと思う。ブラックホールの2次元の表面は、その外の3次元の物体の情報をすべて記録できることが理論的に導かれているからだ。(このことは「重力とは何か アインシュタインから超弦理論へ、宇宙の謎に迫る:大栗博司」という本に書かれている。)
渡辺先生の研究成果の核心部分は第6章から第7章にかけて書かれている。その骨子は次のようなものだ。ひとことで言えば「測定者が測定することによって波動関数が収縮し、エントロピーが増大する。」ということなのだそうだ。
量子力学の波動関数は時間について対称的、つまり量子現象は可逆的なのだが、波動関数の収縮という現象は不可逆なものである。エントロピーの増大と不可逆性はここで示される。この部分の説明はとても長く、細かい手順を含んでいるので要点だけ取り上げて紹介することはできない。詳しく知りたい方は本書を読んでいただきたい。
そして後半では物理的な時間の流れとは別に先生が「我の流れ」と表現している時間の流れが測定者の中にあるということが説明される。測定は2回行うことによって測定者の「我の流れ」の2つの時刻と、物理的な2つの時刻との対応付けがなされる。このとき「我の流れ」のほうの時刻の前後関係は過去、未来の順に保持され、これを測定者は時間の流れ、「光の矢」だと認識する。
前半の「測定者が測定することによって波動関数が収縮し、エントロピーが増大する。」の部分は数式を使って解説されているので説明は長いものの物理学に馴染んでいる方にとってはわかりやすい。確かに筋道のとおった説明で、よく理解できた。ただし詳細な式の導出手順は示されておらず、1935年に先生がフランス語でお書きになった論文を参照せよと書かれているのだ。
ただ「量子力学の観測問題」は解決されているわけではないので、この部分はどうなのかな?という気もする。測定者(観測者)居眠りして測定をさぼっていたらどうなるのだろう?という疑問にも本書は答えてくれなかった。(ニールス・ボーアが言った「だれも見ていないときの月は、存在しない」ということと同様の疑問。)この「観測問題」さえ解決すれば前半の部分は成り立つのだろう。
後半の「我の流れ」は数式で表現できるはずもなく、文章だけの解説になるので信じるか信じないかのどちらかになってしまっている。
少なくとも前半までで量子力学を使ったエントロピー増大則は示せるのだから、この部分だけでも理解しておきたい。でもそんな昔に書かれた論文が手に入るわけでもないし。。。と思いつつ探してみたら見つかった。
その論文というのは「Le deuxieme theoreme de la thermodynamique et la mecanique ondulatoire (1935)」というもので、日本語に訳せば「熱力学第2法則と波動力学」というタイトルだ。この論文でエントロピー増大則が量子力学によって詳しく導出されているのだという。
エントロピーは熱力学的な物理量なのだが、古典統計力学を使って導出することができる。ただその「増大則」については「原理」として認めなければいけないので、量子力学で証明できるのなら意味のあることだ。
参考:
熱力学におけるエントロピー
http://eman-physics.net/thermo/entropy.html
統計力学におけるエントロピー
http://eman-physics.net/statistic/entropy.html
これがその論文だ。(クリックで拡大)
「Le deuxieme theoreme de la thermodynamique et la mecanique ondulatoire (1935)」

このページによれば各地の大学や理化学研究所、日仏会館の図書館に所蔵されているようだ。
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA30400726
フランスのアマゾンでも古書で1冊販売されている。(ここをクリック)ただ古書だとフランス在住でないと購入することができない。(2016年4月に追記:この記事を書いた時点では134ユーロで古書が出品されていたのだが、その後どなたかがお買い求めになったことを確認した。)
幸いフランス語ができるし、93ページほどの本のようなので、いつか日仏会館で借りて読んでみたいと思う。(外に持ちだしたり、コピーしてもいいのかな?)
ということで今回も天啓は僕を素通りしてしまったようだが、一歩前進への手がかりを得た気もするので、意味のある読書となったのだと思いたい。そして本書と渡辺先生の1935年の論文の価値は「量子力学の観測問題」の今後の成り行きに大きく左右されることだろう。
最後に本題とは関係ないが、本書は戦後まもなく書かれた本であるにもかかわらず、はっとされられた一文があった。
第1章の西洋と日本の社会を比較している文脈の中で「現代的議会政治下では、後者(すなわち日本)はしばしば小政党分立のための不安定になやむ。」と先生はお書きになっているのだ。
来月16日の衆院選の結果がどうあれ、小政党分立は避けられず「決められない政治」は続くに違いないし、この国は再び元気を取り戻せるのかと思ってしまう。どの政党の主張が正しいかということ以前に、この国の議会制民主主義のあり方を根本的に見直さなくてはならないと思った。
============================================
2012年11月28日に追記:
ウィキペディアの「マクスウェルの悪魔」の項目の中に以下の記述を見つけた。これによると今日では渡辺先生による本書や1935年の論文の説とは若干異なる主張がされている。(下記引用の赤文字部分)
つまり「行なった観測結果を「忘れる」」とは「量子消しゴム実験」で確認されている内容だ。
量子消しゴム実験やってみた
http://d.hatena.ne.jp/rikunora/20111015/p1
現在の解釈と異なるとはいえ、1935年の時点で「観測」と「エントロピー増大」の関連性に気づいていた渡辺先生の洞察力には驚かされる。
----- 引用ここから ------------------------
レオン・ブリユアン (Leon Brillouin) とデニス・ガボールは1951年、それぞれ独立に悪魔を光による観測に置き換えて物理的解析を行ない、その観測の過程で相応するエントロピーの増大が起こることを示した。 これによって、観測には最低限必要なエネルギー散逸が伴うのだという主張が、長らくマクスウェルの悪魔に死を宣告するものだと考えられてきた。
ところが、悪魔は完全には葬りさられていないことが明らかになった。 1973年、IBM のチャールズ・ベネット (Charles Bennett) は、熱力学的に可逆な(元に戻すことができる)観測が可能であり、こうした観測においてはブリユアンらが指摘したようなエントロピーの増大が必要ないことを示したのである。
これに先立つ1961年、同じく IBM の研究者であったロルフ・ランダウアー (Rolf Landauer) によって、コンピュータにおける記憶の消去が、ブリユアンの主張した観測によるエントロピーの増大と同程度のエントロピー増大を必要とすることが示されていた (ランダウアーの原理)。 ベネットが甦らせた問題は、このランダウアーの原理と組み合わせることによってベネット自身により解決された(1982年)。 エントロピーの増大は、観測を行なったときではなく、むしろ行なった観測結果を「忘れる」ときに起こるのである。
なお、ベネットと同様に悪魔の記憶の消去が環境へのエントロピーの増大を招くという洞察は1970年にオリバー・ペンローズ (Oliver Penrose) によっても独立に成されていた。
----- 引用ここまで ------------------------
-------------------------------------------
2016年4月に追記:
乱雑さを決める時間の対称性を発見
-100年前の物理と数学の融合が築くミクロとマクロの架け橋-
http://www.riken.jp/pr/press/2016/20160427_2/
-------------------------------------------
応援クリックをお願いします!このブログのランキングはこれらのサイトで確認できます。





「時:渡辺慧」

解説:明日の日の出を祈る神官/「死」を否定するアインシュタイン:大澤真幸
はしがき
再販によせて
第1章:時間と生活
- 時間が伸びたり縮んだりする話
- こころの時計
- デートということ
- 時間と性格
第2章:時間と自然観
- 時間と世界像
- 空間の前後と時間の前後
- 持続性と変化性
第3章:時間の起源と機能
- はじめに
- 先験的か後験的か
- 現在の過去と未来への分裂
- 動物の場合
- 回帰的時間、終末観的時間、進化的時間
第4章:空間の左右と時間の前後
- はじめに
- 左右の定義
- 左右と物理法則
- 時間の前後と空間の左右
- 時間の前後と物理法則
第5章:時間と現象
- 力学対熱力学
- 運動を定めるもの
- むすび
第6章:物理的時間についての対話
- はじめに
- 「我」と「観察」
- 動く「現在」
- 「我」の流れ
- 物理的時間
- 古典物理学における不可逆性
- 観測者の知識
- 巨視的状態
- エントロピー
- 知識の発展
- エントロピーの変化
- 観測の不可逆性
第7章:可逆、不可逆性の問題
- はじめに
- 測定の不可逆性について
- H定理について
- 熱力学第二法則の機構の波動力学的理解
第8章:量子力学における可逆性
- はじめに
- 物理的時間に関する二つの問題
- 時間の逆転
- 古典力学の可逆性
- 熱力学の第二法則
- シュレーディンガーの力学の可逆性
- ディラックの力学の可逆性
- ポテンシァルの遅延
- 量子電磁力学の可逆性
- むすび
第9章:輪廻と微小輪廻
- はじめに
- 輪廻とエルゴード定理
- 周期性と微小輪廻性とH定理
- 時空の対称性
- S行列のユニタリ性
- むすび
第10章:ベルクソンの創造的進化と時間
- ベルクソン哲学と時間
- エントロピー原理
- エントロピー原理の現代物理学による解釈
- ベルクソンとエントロピー原理
- 哲学的結論 - 物質と精神との相互条件性
第11章:相対性理論とベルクソン
- はじめに
- 特殊相対性理論における時間と空間
- 物指の短縮、時計の遅延、同時性の相対性
- 普遍時間の説
- 多数時間と唯一時間
- 同時性の相対性
- 四次元世界
- 一般相対論の立場
- 一般相対論と時間
- 弾丸上の旅行者
- むすび
第12章:時間と信仰 - 進化する宗教
- 時間と存在
- 時間と永遠
- 時間と愛
- 時間と進化
- 時間と物質
第13章:永遠について
- 三つの永遠
- 時間的永遠、進展的永遠
- 非時間的永遠
- 幾何学的な模型
- 物理学からの類推
- 三つの時間の関連
- 永遠について
索引
どう見ても情報量が増大してますが。
それに観測しないとエントロピー増大法則が働かないってのも信じがたいですね。
無人で動く熱機関はいつか誰かが見てくれるのを当てにしてるんだろうか?
忘れられて放置される運命だと動かないのかな?
はい、確かにこの本の説明では「測定でエントロピーが増大」していました。
数式を交えたこの本の説明でも納得できました。詳しく解説しようと試みたのですが、とても手順が多いので途中であきらめました。本をまるごと書き写すのがいちばん確実なのですが著作権法違反になってしまいますし。
なので、この部分は図書館などでお読みになるとよいと思います。
> 無人で動く熱機関はいつか誰かが見てくれるのを当てにしてるんだろうか?
見ていないとサボる熱機関なんて、怠け者なマシンですねぇ。(笑)
子供の頃の遊びで「だるまさんが転んだ」というのがありましたが、あれと逆ですね。
それは初めて耳にしました。これのことですね!
量子ゼノン効果(見ている湯は沸かない)
http://blogs.yahoo.co.jp/cat_falcon/7896497.html
砂糖水を使った(誰でも出来る)量子Zeno効果の観測実験
http://keisukefujii.web.fc2.com/Zeno.html
不思議だし、こんなことが起こっていいの?という感じです。
ところでこの記事で紹介した1935年の渡辺先生の論文を頑張って和訳してPDFで公開できればよいなと思ったのですが、よく考えてみたらこの論文の著作権の保護期間が終わるのは2044年なので、まだずっと先のことでしたから翻訳するのは断念しました。日仏会館の図書室から貸し出しも可能(持ち出すのも可)だということがわかりましたが、年会費7千円を払わないとならないようです。せめて自分のためのコピーだけでも手元にほしいので、どうしようか迷い中です。
砂糖も鏡像体だと甘くないんでしょうね。
でも、ゼノン効果は有名だと思っていたので
とねさんが知らなかったのは驚きです。
しかし「見ている湯は沸かない」てのは何ですかね、湯が沸く瞬間を観測なんて不可能なのに「見ている」じゃ嘘ですなー
> でも、ゼノン効果は有名だと思っていたので
> とねさんが知らなかったのは驚きです。
僕も「これって有名そうなのに、これまでどうしてお目にかかっていなかったのだろう?」と思いました。
> 砂糖も鏡像体だと甘くないんでしょうね。
さて、どうなのでしょう?舐めてみたい気がします。
確かに湯が沸く瞬間が観測できませんし、桜の木全体の開花の瞬間、紅葉がピークを迎える瞬間も観測できませんね。ま、お湯の観測は温度計を使うということで
よいのではないでしょうかね。
会社の近くの銀杏並木(外苑前)の紅葉(黄色だから黄葉?)が今とてもきれいです。
本書や1935年の論文での渡辺先生の説について、ブログ記事に追記しました。よろしかったらお読みください。
日経サイエンス1985年9月号「計算の物理的な限界はあるか」C.H.ベネット/R.ランダウアー
http://www.nikkei-science.com/backnumber1985.html
で読んだので知ってます。
目次だけとはいえ、日経サイエンスの記事はそんな昔まで調べられるようになっていたのですね。
当時からこの分野に関心をお持ちだったというのもすごいです。
どこかの図書館でこのベネットとランダウアーの記事を読んでみたいです。
生物の進化は、逆量子ゼノン効果によって起こった
という考え方もあったりします。
http://www.amazon.co.jp/dp/4320034244/
大著ですが、よく書けた本です。
生きる意欲のあるビンボー人には、
宝くじが当たってもよさそーな気もしますな ^_^;