「量子光学と量子情報科学:古澤明」
このブログのヘッダーに「量子テレポーテーションや超弦理論の理解を目指して勉強を続けています!」と表示しているが、本書を読破したことで1つ目の目標を達成したことになる。「テレポーテーションは実現している。」という記事を書いたのが4年前のこと。ずいぶん回り道をしたが、ようやく本書を読み終えることができた。
細かいことを言えばアインシュタインの一般相対性理論の理解も目標のひとつだったが、これは2007年12月と2008年6月に達成している。残っている目標の「超弦理論」を理解できるようになるのはまだ先になりそうだ。場の量子論の勉強を始めたばかりである。
本書はそれほど難しくなかった。本文は160ページほどあるのだが最初の147ページまではほぼ100パーセント理解でき、残りの13ページは理解度50パーセントというところ。単純計算すれば理解度96パーセントになる。おぼつかなかった「残りの13ページ」とは9者間の量子エンタングルメントを使った量子ビットのエラーコレクションを解説している部分。内容が込み入っている割にその他の部分にくらべて説明が短く、キーポイントだけが示されていたので隅々まで理解するまでには至らなかった。
一般読者向けに書いた3冊のブルーバックス本のほうは数式を極力抑えていたが、本書では遠慮無く数式が使われている。けれどもでてくるのはディラックのブラとケットを使った初級レベルの計算であり、その本質は線形代数なので恐れる必要はない。量子力学や場の量子論で摂動計算をしたことのある人ならば、きっと易しく感じることだろう。数式の導出については省略せず、順を追って丁寧に示してくれているので「至れり尽くせり」なのだ。
とはいっても数式で全てが読み取れるわけではない。数式であらわされる内容と物理現象としての意味合いをどのように結びつけ、理解していくのがとても大切で、これが難しいのだ。
この点については3冊のブルーバックス本が大いに役立った。コヒーレント状態、スクイーズド状態、量子エンタングルメント、ビームスプリッターの役割、ホモダイン測定など量子テレポーテーションを理解するために必要な考え方のイメージは本書よりもむしろブルーバックス本のほうが分かりやすかった。ブルーバックス本で基本的な事柄のイメージを養ってから、それでも「もやもやと」理解できずに残ってしまう箇所が本書の数式でクリアにされるというパターンで僕は読み進むことができた。。もしブルーバックス本を読まずにいきなり本書を読んだとしたら、理解度は6割に達していなかったことだろう。
第1章では調和振動子や電磁場の量子化といった量子力学の基礎から始まり、コヒーレント状態、スクイーズド状態、ビームスプリッター、量子エンタングルメントまで、量子テレポーテーションの理解に必要なことがらが全て説明される。およそ100ページあるが、話の展開はブルーバックス本とほぼ同じなのと、それほど込み入った数式がでてこないので順調に読み進めることができる。計算過程を読み解くことでブルーバックス本のほうで古澤先生が説明しきれなかった「キモ」の部分がよくわかるはずだ。第1章で少し難しかったのはビームスプリッターのハミルトニアンを説明している部分だ。ここは大切なのでわからなかったら何度も読んで理解してから先に進んだほうがよい。
本書で解説されるのは「光子のテレポーテーション」である。計算過程では複素数の確率振幅で表された状態ベクトルが使われているが、これは光子の波動関数が複素数だと主張しているわけではない。この点について古澤先生は「深入りは禁物である。」とか「複素関数であらわすのは量子光学の因習、デファクトスタンダードであり、起源を知らないと大火傷することがある。」のようにお書きになっている。だから僕もこれ以上深入りはしない。
第2章で量子テレポーテーションが解説される。まず取り上げられるのが1997年にザイリンガーによって行われた「量子ビットのテレポーテーション」だ。0と1の2値であらわされるような光子の2つの偏光状態の量子エンタングルメントを使った実験だ。この例は実験としては不完全なのだが、理論のからくりを理解しやすいという意味において軽視することはできない。じっくり読み進めるべきだ。実験が不完全だということには次の3つの理由がある。
1)実験に必要な単一光子状態を現在の技術では確実に作り出せないこと。
2)量子テレポーテーションが起きる確率は100パーセントではないこと。
3)量子テレポーテーションが完了したことを検証する方法がないこと。
最初の発案ということでザイリンガーによる実験の意義は大きいが、確実なテレポーテーションを実現したという意味では1998年に古澤先生がカリフォルニア工科大学で行った「連続量テレポーテーション」のほうがより大きな意味を持つと思う。連続量テレポーテーションは連続値であらわされる光子の位置と運動量をテレポーテーション先に伝達するという意味だ。量子ビットのテレポーテーションが理解できていれば、連続量テレポーテーションを理解するのは難しいことではない。
テレポーテーションというとドラえもんの「どこでもドア」を思い浮かべる人が多いと思う。けれども本書で取り扱っているのは光子のテレポーテーションだ。光子は物質粒子ではない。その意味では多くの読者の期待に応える教科書ではない。また「量子エラーコレクション」という項目があることからわかるように、2者間の量子テレポーテーションは100パーセント確実に量子の状態を再現するものではない。連続量テレポーテーションにおいても再現される位置と運動量はテレポーテーション前のものと多少のずれが生じてしまうのだ。けれども3者間の量子テレポーテーションをベースにした9者間の量子テレポーテーションの実験が成功したことによって、未来の量子コンピュータを実現するために必要な「量子エラーコレクション」が可能になった。これは不完全な量子テレポーテーションを確実に行うことのできる方法だ。また、原子(物質の最小粒子)の実験は2004年に成功している。(参照記事)「どこでもドア」への夢は途絶えたわけではない。
量子コンピュータという側面において、本書では「制御NOTゲート」の実現方法が述べられている。量子コンピュータに必要な論理回路のうちの1つで、量子テレポーテーションにも使われている。本書やブルーバックス本に掲載されている写真を見てわかるように、量子テレポーテーション実験には非常に大掛かりな装置が使われている。このやり方で量子コンピュータを作ることができたとしても、きっと体育館か東京ドームくらいの大きさになってしまうだろう。でも初期のノイマン型コンピュータのENIAC(1946)は体育館くらいの大きさであったし、数年後に開発された汎用コンピュータのEDSAC(1949)の設置面積は20平方メートルほどだった。量子コンピュータと言えども実用化の目処さえつけばどんどん小型化していくにちがいない。私たちが生きている間に家電量販店に量子コンピュータが並ぶような気がしないでもない。テレポーテーション装置についてはまだ「?」というところだろう。
このように量子テレポーテーションのしくみや量子コンピュータへ向けた方向性についてはよく理解できたのだが、どうしても納得できないのは量子エンタングルメントについてだ。実験で検証済みとはいえ、どうしてそのような現象が起きているのだろう?今もって謎である。「だってそうなるから。」としか言いようがないのだ。数式の上では状態AとBが重ね合わされている、混ざっているのが一目瞭然だ。それは特殊相対論で時間と空間が交じり合った式を初めて目にしたときと同じような感覚だった。でも量子エンタングルメントの場合、距離を隔てた粒子の間のからみ合いであることを考えるとどうしても納得がいかない。理屈抜きで受け入れるしかないのだ。
自分でも本書を読んでみたい、量子テレポーテーションのしくみを数式で理解してみたいと思われる方のために「最短ルートで学ぶためのロードマップ」となるような教科書を紹介しておこう。理数系の大学1年生のレベルを出発点とする。次のような順番で学んだ後に本書にチャレンジするとよいだろう。僕のように4年もかける必要はない。毎月1冊ずつ読めば半年あまりで本書にたどり着けるはずだ。
1)「よくわかる物理数学の基本と仕組み」
2)「解析力学(久保謙一著、裳華房)」
3)「よくわかる電磁気学:前野昌弘」
4)「よくわかる量子力学:前野昌弘」
5)「量子力学(I):小出昭一郎」
6)「量子力学(II):小出昭一郎」
7)古澤先生がお書きになった3冊のブルーバックス本
8)本書
電磁気学は必須ではないが、光は電磁波なので量子光学を学ぶのであれば「一般常識」として理解しておきたい。量子力学については良書がたくさんあるのだが、本書は特に小出先生の教科書と相性がよい。分量も手ごろで量子力学の入門者向きだ。ブラ・ケットを使った計算方法や光子の生成・消滅演算子、個数演算子、ユニタリー変換の理解は必須なので、このあたりはきちんと理解しておきたい。前野先生の量子力学を先に読んだほうがよいのは、量子力学の初歩的な部分をしっかり理解し、量子という不思議な世界の面白味を実感したほうがよいと思ったからだ。小出先生の教科書だけで大丈夫というのなら読む必要はないだろう。
古澤先生は参考図書として「新版 量子論の基礎:清水明」を紹介していたが、この本は初学者向けではない。上記の教科書を読んだ後、余裕があったらお読みになるとよいだろう。本書を読むという目的に限るのであれば、より上級者が好むJ.Jサクライや猪木・川合の教科書も必要ない。
余談であるが一般相対性理論を最短ルートで学びたいという方は、以下の記事をお読みいただきたい。
一般相対性理論に挑戦しよう!
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/ea7ad9292ce01ad4abbbc8c98f3303d0
物理学を専攻している大学生のうち量子光学を学ぶ人はまだ少数派だと思う。(どちらかといえば工学部系であるし。)素粒子論や場の量子論を学んでいる学生ならば本書は難なく読めるはずなので、寄り道になるかもしれないがぜひ読んでみてほしい。寄り道の中に本業に通じる新たな発見があるかもしれない。
量子テレポーテーションの詳細は次のページがわかりやすい。
量子テレポーテーション
http://www.s-graphics.co.jp/nanoelectronics/kaitai/qteleportation/index.htm
量子情報通信
http://www.kurejbc.com/quantum/qic007.htm
本書を含めた古澤先生のブルーバックス本は3冊ある。刊行された順番とは逆に読むほうが理解しやすいと僕は思った。つまり次のような順番だ。
「「シュレーディンガーの猫」のパラドックスが解けた!:古澤明」
「量子もつれとは何か:古澤明」
「量子テレポーテーション:古澤明」
本書で紹介されている内容は量子光学、量子テレポーテーション、量子コンピュータの基礎となる理論、技術である。量子力学を学んだ後に、これらの勉強もしてみたいという方には、ぜひこの3冊を読んでいただきたい。
古澤先生は量子コンピュータについての専門書もお書きになっているので、本書やブルーバックス本を読んでさらに詳しく学びたくなった方はお読みになるとよいだろう。
「量子光学と量子情報科学:古澤明」
「量子コンピュータ入門:宮野健次郎、古澤明」
関連ページ:
古澤明先生の研究室のHP
http://www.alice.t.u-tokyo.ac.jp/
固体素子を用いて2ビットの量子絡み合いを初めて実現(理化学研究所)2003年
量子コンピュータの実現に向けて大きく前進
http://www.riken.go.jp/r-world/info/release/press/2003/030220/index.html
慶応大ら、Si半導体中で量子エンタングルメント状態の生成、検出に成功(2011年1月)
http://news.mynavi.jp/news/2011/01/24/096/index.html
世界最高純度量子もつれ光源を開発し、実用的な次世代量子暗号技術の確立に成功(2012年2月)
http://www.oki.com/jp/press/2012/02/z11104.html
ノーベル物理学賞 量子力学の基礎実験の最高峰 光子/イオンの状態を操り、測る
http://www.nikkei-science.com/?p=29310
量子ビットとエンタングルメント
http://www.eng.hokudai.ac.jp/labo/hikari/qit/intro_qbit.html
D-Wave社の量子コンピュータは「本物」~米研究者グループが「量子効果を確認」とネイチャーに発表
http://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/20130701_605845.html
「シュレーディンガーの猫」のパラドックスが解けた!:古澤明
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/13b6c033f1ea5ef2b647e6eb1e374222
量子もつれとは何か:古澤明
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/34a3c78d568e5df901611df3cbb96557
量子テレポーテーション: 古澤明著
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/f1ef06234bdf0a831ee579f26bb2005b
再読:量子テレポーテーション:古澤明
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/3612f0a3b86c8a8a247fe138f473adb3
テレポーテーションは実現している。(リンク集)
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/cc0bc7e88d02231138f8b6a9f5859c93
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「量子光学と量子情報科学:古澤明」
第1章:量子光学
1章で学ぶ概念:コヒーレント状態、スクイーズド状態、ウィグナー関数、量子エンタングルメント
- シュレディンガー描像とハイゼンベルク描像
- 調和振動子
- 電磁場の量子化
- 時間発展としての物理過程
- コヒーレント状態
- スクイーズド状態
- 密度演算子
- 光の量子力学的測定 - バランス型ホモダイン測定
- ロスと真空場
- ウィグナー関数
- 量子エンタングルメントと量子光学
-- 2者間の量子エンタングルメント
-- 3者間の量子エンタングルメント
- 1章の問題
第2章:量子情報物理
2章で学ぶ概念:量子テレポーテーション、量子エラーコレクション
- 量子情報と量子エンタングルメント
- 量子情報処理
- 基本的量子情報処理としての量子テレポーテーション
-- 量子ビットのテレポーテーション
-- ザイリンガーグループの実験
-- 連続量テレポーテーション
-- カリフォルニア工科大学での実験
-- 量子テレポーテーションネットワーク
- 量子エラーコレクション
-- 量子ビットのエラーコレクション
-- 連続量エラーコレクション
- その他の量子演算と今後の展望
- 2章の問題
章末問題解答
- 1章の問題の解答
- 2章の問題の解答
索引
ブルーバックスでとっくに納得してると思ってました。
量子力学の基本である波束の収縮からして離れた場所に影響してるんですよ?
意外に思われるでしょうね。
理論の流れからは理解できるのですが、(古典物理的な)直観がすんなりと受け入れてくれないのです。
やっぱり波束の収縮も、エンタングルメントも不思議ですよ。
僕の場合は抽象数学に嵌った事があるせいか、日常感覚とかけ離れた抽象的表現に快感を覚えるくらいなので「古典的世界は錯覚、すべては状態ベクトル」に抵抗ないんですね。
好きなSFで言うセンス・オブ・ワンダーです。
確率空間の定義でも、「確率空間とは多元平行世界そのもの!」などと見つけて喜んでいます。(素事象が1つの歴史世界で事象は指定条件に合う世界の集合です)
僕もこのブログでは「古典的世界は錯覚」のようなことを書いていますが、「気持ち」としてはそれを受け入れていないわけですね。(笑)もちろん非古典的な数式の意味では受け入れていますよ。
記事では紹介しませんでしたが、シュレーディンガーの猫状態を運動量x位置の位相空間の確率分布として表示すると「負の確率」がでてきてしまいます。これも日常感覚では受け付けられない例のひとつですね。
以下のページでその確率分布のグラフの様子が見れます。
東大がシュレーディンガーの猫状態の光を量子テレポーテーションさせることに成功したらしい! シュレーディンガーの猫とはどんなネコなのか
http://news.livedoor.com/article/image_detail/5500136/?img_id=1878165
マイナスになってるグラフって確率なんですか?
光子数分布のグラフはProbabilityと書いてあるけど、マイナスになってるρの分布は3次元グラフらしいけど何か分からん。(ρって何?)
Quadratureなんてグラフがあるから直交する偏光を猫の生死に対応させたんだろうと推理できるけど…
そういえば、テレポーテーションで運ばれる情報って未確定を意味する情報だからマイナスの情報じゃありませんか?
普通の情報は確定させるもんでしょ?
でもシュレーディンガーの猫状態だとマイナスの値の確率を取るxとpの領域があるというのがポイントです。
グラフの説明は、次のページのほうがわかりやすいと思います。
伝播する光の場における「シュレーディンガーの猫」状態の生成
http://qict.nict.go.jp/about/03kasai.html
シュレーディンガーの猫状態の生成に成功
http://www.kurejbc.com/quantum/qic019.htm
最初に紹介した「東大で成功した実験」のほうは「シュレーディンガーの猫状態のテレポーテーションに成功した」というもので古澤先生の実験よりも進んだものです。古澤先生の実験は1個の光子(正確には1光子状態)の状態(つまり位置と運動量)をテレポートさせたというものです。
テレポーテーションで伝達される情報は位置と運動量という2つの実数値です。
シュレーディンガーの猫状態におけるウィグナー関数について「量子光学と量子情報科学」では70ページ目あたりで解説されています。
xで積分すればpの分布になり、pで積分すればxの分布になるというウィグナー関数でしたか。
マイナスになってる所がベル不等式を破るネタですね。
はい、そうです。ご理解していただけてよかったです。