10月最後の日です
先日大島に帰ったとき
姉と二人 雑談していた
もう父も今より病気がよくなることは皆無に近いし
父が倒れた日から もう1年以上たつので そろそろ 片付けなくっちゃね!!
って二人で話した
姉が ボソ!!と
「そうなんよね そう思って 机の中を整理してたら くみこちゃん こんなものでてきたんよ・・
それで 涙がでそうで それ以上触れなくてね・・・」
そう言って 縁側から紙袋を出してきた。
父の楽譜が大量に入っていた
まぎれもなく この字は父の字だった。
小さい時 ウクレレをだしてきて 私達に聞かせてくれた楽譜たちです。
その頃はハワイアンなんて興味がなく 怖い父だったのでいやいや聞いていた。
そのうち 母がその場からいなくなって 姉も妹もうまい事いなくなって
最後まで残って聞かされたのが 私であった(笑)
レッドリバーバレー 駅馬車
映画の音楽 カントリー
みんなで 書き写して練習していた楽譜が 山のように入っていた。
懐かしいな・・ 父の青春だったんだ。
私が仕事を辞めて 大島に帰ったとき
父に初めて私の作った歌を聞かせた。
黙って聞いていた父
父が それから 音楽活動を全面的に応援してくれた。
そして いっちゃんと結婚する事になった時
「この娘は 音楽をとったら なんにもいいところがない子ですから・・・」
とイッちゃんに言った
彼がどうとったか わからないけど そうイッちゃんにいったのでした。
プロヒュールの所に書いた言葉はそのときの言葉です。
それは 私に叱咤激励する言葉でもあります。
それから イッちゃんも マンドリン弾きでした。
また その事にもふれる事もあると思います。
台風は 穏やかに??通り過ぎて 今日雨がすこしだけ降りました。
案の定 仕事がえり 雨足が強くなって またも濡れて帰りました。
雨女に間違いなし!! それでは
先日大島に帰ったとき
姉と二人 雑談していた
もう父も今より病気がよくなることは皆無に近いし
父が倒れた日から もう1年以上たつので そろそろ 片付けなくっちゃね!!
って二人で話した
姉が ボソ!!と
「そうなんよね そう思って 机の中を整理してたら くみこちゃん こんなものでてきたんよ・・
それで 涙がでそうで それ以上触れなくてね・・・」
そう言って 縁側から紙袋を出してきた。
父の楽譜が大量に入っていた
まぎれもなく この字は父の字だった。
小さい時 ウクレレをだしてきて 私達に聞かせてくれた楽譜たちです。
その頃はハワイアンなんて興味がなく 怖い父だったのでいやいや聞いていた。
そのうち 母がその場からいなくなって 姉も妹もうまい事いなくなって
最後まで残って聞かされたのが 私であった(笑)
レッドリバーバレー 駅馬車
映画の音楽 カントリー
みんなで 書き写して練習していた楽譜が 山のように入っていた。
懐かしいな・・ 父の青春だったんだ。
私が仕事を辞めて 大島に帰ったとき
父に初めて私の作った歌を聞かせた。
黙って聞いていた父
父が それから 音楽活動を全面的に応援してくれた。
そして いっちゃんと結婚する事になった時
「この娘は 音楽をとったら なんにもいいところがない子ですから・・・」
とイッちゃんに言った
彼がどうとったか わからないけど そうイッちゃんにいったのでした。
プロヒュールの所に書いた言葉はそのときの言葉です。
それは 私に叱咤激励する言葉でもあります。
それから イッちゃんも マンドリン弾きでした。
また その事にもふれる事もあると思います。
台風は 穏やかに??通り過ぎて 今日雨がすこしだけ降りました。
案の定 仕事がえり 雨足が強くなって またも濡れて帰りました。
雨女に間違いなし!! それでは
彼は今、半身不随で話すこともできず、養護ホームも100人待ちという状態で、母が実家で看護しています。
父は成長して行く私に追いついてゆくことができず、父親という権威と男であるという誇りでもって私を押さえつけようとしました。しかし、それまで「自由に、自分で考える頭を」といって育てられてきた私には、その変化はかなり矛盾したもので、それ以来15年ほど話さなくなっていました。
今、私は遠いところにいるけれど、日々の中で彼の言葉や教えを思い起こすことが多く、また今の自分は彼の良い影響を沢山受け継いでいるなあと思うこともしばしばです。
そんななかでのkumiccoさんのブログ、心にしみました。
コメントありがとう
大変だったんですね。
私の母も実は 脳内出血で倒れ 同じように言葉が話せなくなりました。
これは その病気になった家族でしかわからない辛さがありますね。
pecosaさんはお父さんのいいところを沢山受け継いでいるんだと思います。
ちゃんと 向き合おうとしているから。
この病気は 気長にやるしかない