何年か前の教室だよりにNHKでやっていた番組、「プロジェクトX」について書いた事があります。
小さな町工場の話、新しい農作物の改良・・・何かを成し遂げようとひたむきに努力する人たちのドラマをそこに見て、いつも感動していたのですが、その中に1つ、どうしても教室のお母様方にいつかお話したい・・・・と思いながら見た話があります。
それは、瀬戸内海に掛かった巨大な橋、瀬戸大橋のプロジェクトの責任者で、“不可能を可能にする男“といわれた天才技術者、杉田秀夫さんの話です。
瀬戸大橋は、1000メートルを超える橋の上を列車が行き来するという世界でも例のない巨大橋です。
その、未曾有の巨大橋建設のきっかけとなったのは、昭和30年に起きた悲劇の事故でした。 修学旅行中の子供達100人が瀬戸内海に消えた紫雲丸の沈没事故。
犠牲となったのは泳ぎの苦手な女の子が大半でした。「瀬戸内海に橋をかけてほしい」四国各地から切実な声が巻き起こりました。
霧が多い、しかも猛烈な速さで潮が流れる瀬戸内海に、どうすれば巨大な橋を建設できるのか・・・。
相次ぐ実験の失敗や、石油ショックによる着工凍結、本当にさまざまな困難を乗り越え、18年もの歳月をかけて、瀬戸大橋は完成しました。
しかも、完成間際に杉田さんの奥様が病気になられ、亡くなったので、看病、3人の幼い娘たちの世話・・・・完成した橋を見上げる杉田さんの心中はどんなものだったろうと思いながら見ていました。
ここまでは、プロジェクトXのほかの話と同じような内容ですが、ここからがちょっと違います。
全国に、ここに杉田あり、と絶賛されその技術を嘱望されながら、杉田さんは、瀬戸大橋の仕事を最後に、現場からも、大きな講演の場からも退いて時間の都合のつく仕事にかわってしまうのです。3人のお子さんたちを自分で育てるためでした。
「偉大なる人生とは何か。橋を作るよりももっと難しい人生がある。」
大きな仕事をなす事は、後世のために大切な事だけれども、子どもを育てるというのは、それに負けないくらい、大きな大切なプロジェクトなのだと思います。
でも、はたして私たちはその覚悟で子育てをしているでしょうか?
自分の子どもをこの手で育てられる幸せとともに、その責任の大きさも、考え直してみたいものだと思います。
小さな町工場の話、新しい農作物の改良・・・何かを成し遂げようとひたむきに努力する人たちのドラマをそこに見て、いつも感動していたのですが、その中に1つ、どうしても教室のお母様方にいつかお話したい・・・・と思いながら見た話があります。
それは、瀬戸内海に掛かった巨大な橋、瀬戸大橋のプロジェクトの責任者で、“不可能を可能にする男“といわれた天才技術者、杉田秀夫さんの話です。
瀬戸大橋は、1000メートルを超える橋の上を列車が行き来するという世界でも例のない巨大橋です。
その、未曾有の巨大橋建設のきっかけとなったのは、昭和30年に起きた悲劇の事故でした。 修学旅行中の子供達100人が瀬戸内海に消えた紫雲丸の沈没事故。
犠牲となったのは泳ぎの苦手な女の子が大半でした。「瀬戸内海に橋をかけてほしい」四国各地から切実な声が巻き起こりました。
霧が多い、しかも猛烈な速さで潮が流れる瀬戸内海に、どうすれば巨大な橋を建設できるのか・・・。
相次ぐ実験の失敗や、石油ショックによる着工凍結、本当にさまざまな困難を乗り越え、18年もの歳月をかけて、瀬戸大橋は完成しました。
しかも、完成間際に杉田さんの奥様が病気になられ、亡くなったので、看病、3人の幼い娘たちの世話・・・・完成した橋を見上げる杉田さんの心中はどんなものだったろうと思いながら見ていました。
ここまでは、プロジェクトXのほかの話と同じような内容ですが、ここからがちょっと違います。
全国に、ここに杉田あり、と絶賛されその技術を嘱望されながら、杉田さんは、瀬戸大橋の仕事を最後に、現場からも、大きな講演の場からも退いて時間の都合のつく仕事にかわってしまうのです。3人のお子さんたちを自分で育てるためでした。
「偉大なる人生とは何か。橋を作るよりももっと難しい人生がある。」
大きな仕事をなす事は、後世のために大切な事だけれども、子どもを育てるというのは、それに負けないくらい、大きな大切なプロジェクトなのだと思います。
でも、はたして私たちはその覚悟で子育てをしているでしょうか?
自分の子どもをこの手で育てられる幸せとともに、その責任の大きさも、考え直してみたいものだと思います。
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