じんくに、今を若々しく生きる 

日々の出来事や想い出等をUPしていきます
   ここの画像は、今までにドライブ旅行に行った時の物です

懐かしい、幼児の頃と高校生の頃お世話になりました。

2016年02月11日 17時04分38秒 | 日記
昔懐かしい乗り物の写真をwebで見つけました、子供の頃お袋の実家に行く時に

乗りました、名古屋の市電で名古屋の西部の田園地帯を走っていました。

単線で一部複線の所がありましたが、

  子供の頃は、運転手と男の車掌の二人乗務だったのを覚えています、

単線で駅ですれ違う時に丸いわっぱに小さなカバンが付いているのを交換するのを

見ましたが当時は何をしているのか分かりませんでした。

実物はこのようなものです。


実際とは違いますが交換風景はこんな感じでした。




次にこの下の写真を見た時、直ぐにあそこだと思いました子供の頃、

               見た景色は頭のどこかに潜んでいるものですね、

   説明文を読む前に写真を見た瞬間、昔見た景色と一致しました。

奇跡的にもにもお袋の実家に行く時乗降していた駅の写真です「荒子」と言う名の駅で、

    すぐ近くに荒子観音があります尾張四観音の一つで

節分の時はにぎわいます下の写真がその駅です、

      たしか写真の右方面に行くと荒子観音があったと思います

お袋の実家は電車を降りて線路を渡り写真の左方面へちょっと歩いて行ったところでした。

子供の頃、この電車に乗るのが好きでした、いつでも座れるし

家と家の隙間を通る所があって電車の窓から手を出せば届くぐらいの感覚でした

そこを通る時なんかワクワクしたものでした、

だから電車が好きで大人になったら電車の運転手になるんだと皆に言っていました。



市電の江川線の「尾頭橋」で乗り換え、この下之一色線の市電に乗っていました。



2回目お世話になったのは、高校生の時でした、同じく江川線の「築地口」で乗り換えです

下之一色線は北は尾頭橋から南は築地口まで走っていました、

この中間地点位に学校がありました、

    その時は「ワンマンカー」になっていましたので運転手一人乗務でした。



写真の奥の陸橋は国道23号線(名四国道)をまたぐ橋だと思います、

周りはまだ田んぼや畑ばかりでした。



上の写真は多分稲永町付近で築地口方面から来てこのカーブを回ると 

        単線になる所だと思います、

   高校生の時は、好きな女の子と一緒の電車に乗るようにしていました、

いつも、学校の始業時間に間に合うギリギリの電車に乗っていたので、

学生で満員で乗れないときもありましたが、そんな時学校の事務員の女性が

   タクシーをひろって一緒に載せてくれたので始業時間に間に合いました。

     昭和35年から39年3月まで利用していました非常に懐かしいです。

                    写真はwebから拝借しました。