今日の記事は2005年に書いたエントリの再々掲です。2005年12月8日、非公開ブログ「革命のディスクール・断章」に掲載、その後、2012年3月3日にこの本ブログに再掲したものです。///<きょうの日記は特別に、ていねいに書いて置きましょう。昭和十六年の十二月八日には日本のまずしい家庭の主婦は、どんな一日を送ったか、ちょっと書いて置きましょう。もう百年ほど経って日本が紀元二千七百年の美しいお祝いを . . . 本文を読む
明日も山行きなので、早寝します。今日は18年前に書いたメモの再々録など。あるとき、ツイッターのFFさんで、トロツキーの再評価、復権が必要だと語り合っている人たちがいました。私より年少と思しき人たちです。気持ちはわかりますが、私にいわせると、スターリンとトロツキーは同じ穴のむじなです。そうとは考えていないからトロツキーに注目するのでしょうが、それならばなおのこと、なぜトロツキーがスターリンに敗れたの . . . 本文を読む
サパティスタのマルコス副司令、引退していたんですね。https://blog.goo.ne.jp/ivelove/e/d4447aae5929cbd5db5129d3c1ebcd61記事の発表は2014年5月ですが、公式サイトでは、マルコス副司令がお別れの挨拶ともとれるステートメントを発表したのが2013年12月28日、2014年2月28日には現在のモイセス副司令の署名に変わっています。なお、マル . . . 本文を読む
今日は1967年10月8日の「10・8羽田闘争」(ジュッパチと読んでください)で、山崎博明同志が虐殺されて55年めの日である。同志山崎の死を伝えるマルクス主義学生同盟中核派のアジビラ。1960年代には、当然ながら携帯電話もパソコンもない。機関紙は活版印刷だが、運動現場のビラはガリ版で一枚いちまい刷られていた。いま原本が出てこないのだが、島成郎氏の追悼集に寄せられた、「『戦旗』印刷所始末記」というタ . . . 本文を読む
いわゆる「国葬」反対デモには結局参加できなかった。労組の仕事を、先延ばしするうちに、ついに9月最後の3連休を迎えてしまった。集中すれば1日で終わる仕事なのだが、PCの前に向かう気力がない。3連休は、この労組の仕事で終わってしまった。26日のデモには参加できるかとかすかに期待した。当日夕方に緊急の仕事が入ってきて、不可能になった。27日は仕事をして過ごした。会社が半旗を掲げたら、解雇も辞さず抗議闘争 . . . 本文を読む
2022年7月15日、日本共産党が創立百周年を迎えた。
礼儀として、「おめでとう」というべきかな?
しかし、革命党にとって、歴史の長さは決して名誉なことではあるまい。
第26回参議院選挙において、日本共産党は、唯一の現職区だった東京選挙区で、山添拓氏の再選を勝ち取ることができた。しかも蓮舫氏が4位、山本太郎氏が6 . . . 本文を読む
ある場所で映画『ミス・マルクス』について書いていたら、5000字を超えてしまった。長過ぎる。そして、この文章を読むのは、マルクスの名前なんて、聞いたこともない(聞いていても覚えていない)人たちばかりである。制限文字数500字のところ、レイアウトを変更して750字にしてもらったら、私の言いたいことはそこで全部言い切ることができた。残りの4250字は、一体なんだったのだろう。この部分については、ブログ . . . 本文を読む
きょう、立花隆の訃報が伝えられた。享年80歳で、1940年生まれだったことを知る。「もうそんな年齢だったのか」という思いと、「まだそんなに若かったのか」という思いの両方がある。
20年ほど前、近所の書店で、『中核vs革マル』が講談社文庫の棚に並んでいるのを見て驚いたことがあった。いまどき誰が読むのかと考えたのだ。
最近も、さらぎ徳二さんに関する文章を書くにあたり、ネットで検索してみたとこ . . . 本文を読む
『人しれず微笑まん』(「人知れず」ではなく「人しれず」だったね。前のエントリを修正しました)は、持っていたと思ったが、読んだことさえなかったかもしれない。私の学生時代は、まだ三一新書の新刊も手に入った。しかし、よく考えると、本書だけは新刊も古書も、お店で見かけた記憶がない。しかし口絵ページに記憶がある。F社かサークルボックスか寮か、あるいは図書館で、見かけたことはあったのだろう。ちゃんと通しで読ん . . . 本文を読む
今日、1960年安保の国会デモ闘争で、樺美知子さん(1937年11月8日 - 1960年6月15日)が亡くなった。享年22歳。
樺さんは、安保闘争の6・15デモに参加した一学生というだけではない。東大教養学部入学後、共産党員として活動し、ブント結成とともにブントの中心メンバーになったばかりでなく、ブント書記局の常任として組織の屋台骨を支えた人だった。党組織の中枢にいただけではなく、東大の文学部の . . . 本文を読む