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共産党100周年に寄せて

2022年07月20日 | 革命のディスクール・断章

2022年7月15日、日本共産党が創立百周年を迎えた。

 

 

礼儀として、「おめでとう」というべきかな?

 

しかし、革命党にとって、歴史の長さは決して名誉なことではあるまい。

 

 

第26回参議院選挙において、日本共産党は、唯一の現職区だった東京選挙区で、山添拓氏の再選を勝ち取ることができた。しかも蓮舫氏が4位、山本太郎氏が6位と苦戦するなかで、堂々の3位だった。

 

 

しかし、比例代表選挙では、「650万票、10%以上、5議席絶対確保」を目標には程遠く、361万8千票、得票率6・8%にとどまり、改選5議席から3議席に後退してしまった。

 

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik22/2022-07-12/2022071201_01_0.html

 

 

かつて新左翼セクト(どこが新しいかは別にして、通称としてね)に属し、いまも日共とは不倶戴天の私ではあるけれど、大阪選挙区で、たつみコータロー氏が落選してしまったことは、返す返すもざんねんだった。これは左翼としてというより(われわれは、お互いにお互いを左翼と思っていない)、ビジネスパーソンとしての率直な感想である。世襲や宗教票や在阪テレビ局票の無能が当選して、仕事ができる人間が落選するというのは、プロとして耐え難いことである。

 

たつみ氏は今こそ国会に必要な人だと思う。大阪では維新行政のもと、covid-19の死者数が全国最多を更新し続けている。さらにカジノで際限なき公金を投入しようとしている。しかし結果は、定数4に対して、自公が各1人、維新が2人という惨状である。

 

 

 

維新の得票には、本来なら共産党や立憲民主が獲得していたであろうリベラル票・左派票が、大量に流入している。維新が自民党よりも右の危険な改憲政党であり、核武装論者であるという最低限の情報も、大阪の有権者の間では共有されていないのが実態だ。

 

日共は、日本帝国主義の危機が最も先鋭的に現れたこの大阪において、維新に寄せられたニセの改革幻想を打ち破ることができていない。「憲法をまもる」「戦争に反対する」「生活をまもる」という、それ自身ごくまっとうなメッセージも、維新の反共プロパガンダの前に、「共産主義をまもる」「中国や北朝鮮に味方する」「既得権益をまもる」とミスリードさせることにも、一定レベルで成功している。

 

前置きが長くなってしまった。

 

どうしてこんなことになってしまったのか? 

 

共産党の「中の人たち」は、外部の私にいわれなくても、とっくにわかっていることだろうと思う。

 

植木等さんの父の植木徹誠さんは、部落差別に怒り闘争を貫いて治安維持法で逮捕された反戦僧侶だった。戦後ヒットした等さんの「スーダラ節」の「わかっちゃいるけど やめられない」という歌詞を聞いて、「親鸞の教えにかなっている」と徹誠さんはいったそうだ。私も、「スーダラ節」は、マルクスの教えにかなっていると思う。中の人たちも、「わかっちゃいるけどやめられない」のであろう。

 

 

選挙中は触れることを控えていた本書について、ようやく言及することができる。

 

 

中北浩爾『日本共産党』(中公新書)

 

 

 

今はネットで何でも用が足りてしまう。しかし紙の本は楽しい。本書も新しい辞書でも買う気分だった。直近では、中野重治が「先輩であり同僚」と呼んだプロレタリア詩人にして、戦後は松阪市の名物市長だった梅川文男について書くための参考資料としてである。

 

正直、学術的な立場で書かれた本書のような存在はありがたい。巻末の付録の「日本共産党各種データ」も役に立つ。衆院選・参院選での議席数・得票数、地方議会の議席数の推移、党員数と『赤旗』発行部数の推移がわかりやすくグラフにまとめられ、最高幹部の変遷、中央組織の変遷、関連年表なども一目瞭然である。

 

今まで、共産党の通史について、学術的な研究は皆無に等しかった。政治学者の間に、下手に日本共産党に言及すると、「学問的とはいえない批判」を受けたり「イデオロギー対立」に巻き込まれるというタブーが存在したという。まあ、そんな面倒な人たちを研究対象に選ぶ人は稀であろう。

 

 

本書は、その点で、希少価値でステータスな一冊といえるのではないだろうか。

 

著者の中北氏は本書を著した意図をこう語る。

 

「しかし、野党共闘での存在感を考えると、共産党を分析の枠外に放置しておくのは適切ではない。また、党内外の現状をみる限り、事実に基づく冷静な分析が可能になりつつあるように思われる」

 

本書の成立には、中北氏の取材にテレビ番組で一緒になった志位委員長が2時間にわたるインタビューを受けるなど、日共も党として全面協力していたようである。

 

いわゆる新左翼を「トロツキスト」と表現しているくだりなどもあって、おやおやと思った。いわゆる新左翼でトロツキズムを掲げるのは第四インター系諸派だけである。しかも、彼らは偉大なレーニンの同志である尊師トロツキーに連なる自分たちこそ「本流」で、「新左翼」とよばれることを拒否していたと記憶する。

 

この「トロツキスト」規定に象徴的だけれど、新書サイズという紙幅の制限には同情しつつも、本書は共産党の「正史」を、史料に基づいて若干の批判的検証を行ったにすぎないというのが、私がざっと見た感想である。革共同やブントの諸派がトロツキズムを批判的に摂取しただけで、トロツキストそのものではないことは常識ではなかったのか。われわれと民青の諸君は、お互いに「スターリニスト」「トロツキスト」と罵り合いながら、お互いにスターリンやトロツキーの著作を読んだ人は皆無に等しかったであろう。

 

こんな闘争現場の常識は、この学者さんには枝葉で、どうでもいいことなのだろう。しかしその他の問題でも、同じ無知、無理解に基づいた誤りを犯している可能性がある。

 

 

同じ中公新書で出た中北氏の『自民党─「一強」の実像』は、自民党関係者に好意的に迎えられたという。

 

 

本書の広告掲載を拒否した時点で、『赤旗』は終わっている。日共の党機関紙としての役割は果たしているかもしれないが、『文春砲』に勝るとも劣らない「公器」としてのスタンスは、自ら放棄してしまった。

 

日共・民青の諸君とは、あんなことやこんなこと、いろいろな思い出がある。私たちの眼からみると、本書の指摘する「事実に基づく冷静な分析」など、お上品にほんの上澄みをすくっただけにすぎない。

 

しかし、それさえも、共産党は受け入れる気が全くないということだ。学者さんが素朴に感じた批判を受け止められないようで、自公や維新やネトウヨ分子の攻撃に反撃していけるのか、敵のこととはいえ、私はいささか心配である。

 

著者の中北氏に対する毎日新聞社のインタビュー記事がある。

 

「日本共産党は共産主義から転換すべき時 起きぬ革命と党勢衰退」

 

https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20220530/pol/00m/010/013000c

 

 

「戦後第二の最大の反動期」にあって、宮本議長の辞任を求めた「伊里一智」問題の鎮圧で功成り名遂げた志位委員長が、「宮本顕治主義の微修正」から逃れるのが難しいのが現実なのだろう。

 

残念ながら、本書『日本共産党』に梅川の名前はなかった。新書であることを考えたら、それはやむをえないことかもしれないが、この著者はそもそも梅川の名前を知らなかった可能性がある。

 

本書は数版を重ねて数年で絶版になるだろうが、立花の本は今後も公安向けに重版されていく、そこが現在の日本共産党研究の貧しさであり、限界である。

 

さて、本書によれば、1950年10月、徳田は、密航によって北京に到着している。本書はそれだけで済ませているけれど、中国に渡るまでには、当然ながら国内の移動があった。この徳田の地下潜行に梅川和男は深く関わっている。本人もいつか「秘話」として書き残したいといっていたそうなので、以下に書き留めておく。

 

地下に潜行した德田を追及して、全国には厳重な警戒体制が敷かれていた。徳田は旧東海道ルートで、まずは大阪に出たようである。しかし三重県内にも厳重な警戒体制がとられ、とりわけ鈴鹿峠は警備が厳戒で、これを突破するのは不可能であると思われた。この「鈴鹿越え」は松本清張でも解き明かせなかった「昭和史の謎」とされていたという。日頃懇意にしていたベテランドライバーに依頼して、德田を荷物にまぎれこませて、顔パスで鈴鹿峠を突破させたのが、徳田派の三重県議だった梅川である。

 

1953年総選挙での敗北、武装闘争路線の行き詰まりのなかで、党中央は党内の批判と動揺を鎮めるために「総点検運動」と称した粛清を実行する。その過程で、梅川は1955年除名された。後に党中央が誤りを認めて復党を許されるも、拒否して、一コミュニスト、革新無所属として生涯を終えた。

 

最後で著者はこう提起する。

 

Z世代のジェネレーション・レフト(左翼世代)に軸足をとって、現在の共産党よりラディカルな、サンダース旋風を起こした「民主的社会主義」と呼ばれる急進左派の潮流に乗るか。

 

それとも、野党連合政権の樹立を本気で目指して、かつてのイタリア共産党のように、中道左派の社会民主主義に移行するのか。

 

しかし、山添当選には「Z世代の新しいムーブメント」と「野党共闘路線」の両方の力が作用していたと思う。

 

「共産党」という、中高年層には抵抗感のある党名を変更するように要求する意見は、たえずあった。しかし今選挙での投票傾向を見る限り、10代や20代には、「共産党」そのものへの抵抗感はなかったらしい。東京選挙区で10代、20代の投票先の一位が共産党であることを見ても、無理に党名を変更することはないだろう。

 

要は「共産党」「共産主義」で、何をなしとげていくか、ということであろう。今参院選を振り返れば、党派を超えた支持を受けた東京選挙区での山添氏の勝利には、いまの共産党が進むべき道のヒントがある。

 

しかし、マルクス=レーニン主義、ソ連共産党に由来する民主集中制を改め、党員による党首の直接選挙を行うところからしか改革は始まらないだろう。

 

いま考えねばならないのは、同じ都市型選挙であるはずの大阪選挙区敗北の意味と教訓だが、それについてはまた機会を改めたい。

 

私自身の日本共産党批判、共産党観は、こちらをご覧ください。

 

[間奏曲]この世界で生きていく 無頼作家とマルクス フランス流日本文学入門・番外

https://blog.goo.ne.jp/kuro_mac/e/80a14cb6a620b5437cf1608d9c941bca

 

 

 

 

 

 

 

「父はぁあぃってぃますが、共産党のみなさん100周年、ぉめでとぅござぃます…!はぃ!」

 


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2 コメント

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Unknown (白鑞金(ハクロウキン))
2022-07-21 03:40:07
こんばんは。

東日本大震災発生から数ヶ月経った頃だったか、ほかのブログで日本共産党の話題をやっていた時のことです。

日本共産党代表は血の繋がりもないのになぜ誰もが同一家族ででもあるかのように「言葉遣い」がまるで同じなのか。いつも、あの独特の抑揚で「皆さん」と始まるのか。おかし過ぎるのではと書き込んでいたところ、くろまっくさんが出現し、「同意、ゲホゲホッ、(風邪引き中)」と書き込まれたのを覚えていますか。思想は遺伝するものです。またそれは党派内部・宗派内部にいる人々をまたたく間に感染させていくものでもあります。

そこでニーチェは思想的遺伝の最もわかりやすい例として宗教をあげてこう批判しています。

「私は怖れる、私たちが神を捨てきれないのは、私たちがまだ文法を信じているからであるということを」(ニーチェ「偶像の黄昏」『偶像の黄昏/反キリスト者・P.44』ちくま学芸文庫 一九九四年)

ニーチェのいう「文法」とは、同じ形式、同じ内容、同じリズム、同じ抑揚を特徴として同一共同体の生活様式全般の規律を構成するものです。この極めて頑固な「殻」を自ら破り自ら乗り越えていくにはどうすればいいか。差し当たりフッサールはいいます。

「生活世界があらかじめ与えられているという事態は、どうすれば固有の普遍的な主題になりうるであろうか。それは、言うまでもなく、自然的態度を《全面的に変更すること》によってのみ可能なのである。それは、われわれがもはや、いままでのように自然的に現存する人間として、あらかじめ与えられている世界の恒常的な妥当を遂行することのうちに生きるのをやめ、むしろこの妥当をたえずさし控えるといった変更である。そのようにしてのみ、われわれは、『世界それ自体の先所与性』という、変更された新たな種類の主題に到達することができる。換言すれば、世界が純粋にもっぱら《世界》として、また、われわれの意識生活において意味と存在妥当をもち、しかも、たえず新たな形態の意味と存在妥当を得てくるそのままの《姿》で主題となるのである。こうしてのみわれわれは、自然的生活においてものを企てたり所有したりするさいの基盤として妥当する世界がなんであるのか、またそれと相関的に、自然的生活とその主観性とは《究極的には》なんであるのかーーーその主観性はそこでは妥当を遂行するものとして作動しているのであるがーーーを研究することができる。自然的な世界生活は世界を妥当させているが、そのような能作をしている生活は、自然的な世界生活の態度では研究されえない。それゆえにこそ、《全面的な》態度変更が、すなわち《まったく他に類のない普遍的な判断中止》が必要となるのである」(フッサール「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学・第三部・第三十九節・P.266~267」中公文庫 一九九五年)

そこで改めて、くろまっくさんから引用すれば、

>民主集中制を改め、党員による党首の直接選挙を

一切のインチキ抜きで行わなければもはや加速的に滅亡してしまうほかなさそうに見える。

ではでは。
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Unknown (kuro_mac)
2022-07-21 12:12:52
こんにちは。

いかにも私のいいそうなことですが、覚えていないです。たぶん、酔っ払っていました。すみません。このブログでも、宮本顕治批判で、同じようなことをいっていると思います。

そうした議論に私が巻き込まれるきっかけは、3・11から1か月後、地方統一選挙の感想を綴ったこのブログのURLが、日共長老のブログのコメント欄に転載されたことでした。

私本人は参戦しませんでしたが、「反原発に舵を切るべきだ」とある党員さんがコメント欄に投稿して、松本氏はただちに「非科学的」と反撃、原子力の平和利用をめぐって、楽しく議論を深めておられたようです。

私はポストに入っていた共産党のビラの感想を述べただけです。しかし私の提言はすべてスルーして、ギローンに夢中になっていましたね。いい迷惑でした。

今回の大阪選挙区でも、カジノに焦点を絞り、反維新キャンペーンに力を入れれば、自公や維新から票を引き剥がし、維新を一人落選させて議席を獲得するチャンスは大いにあったと思います。

維新は基本政策の大阪市廃止でも二度にわたり住民投票に敗北しています。盤石ではありません。カジノの是非をめぐる住民投票要求署名は20万票を越えました。ノンポリの弊社社長も「将来世代に負債を残してはならない」とカジノ反対の署名を集めるほどでした。社長も、「今回は共産党に入れよう」となったかもしれません。

しかし選挙公報も選挙中に受け取ったビラ、たまに見かけた選挙カーでいっていることも、「憲法守れ」「平和を守れ」「生活を守れ」のいつもの総花で、全く地域のリアル、住民の声を反映していませんでした。LGBTの権利を訴えた動画が流れていました。それも大切ですが、道路に白線がなくて、人口比交通事故死者数全国1位です。マイノリティもマジョリティも、コロナ禍でも、大阪はいま人がまともに生きていけない地域になっているのです。「憲法」も「平和」も「生活」も、「いのち」の一言に集約して、もっとダイナミックな選挙展開ができたのではないかと残念です。

日共にも立民と同じように、「大阪で支持率の高い維新を批判するのはマイナス」という誤った戦術があったのかもしれませんね。しかし、支持を繰り広げるには、街頭や地域や職場で市民との激突……共産党流にいえば「対話」を作り出して情勢を流動化していくしかありません。それができなかったのも、党内での対話、党内の民主主義が機能していないからでしょう。
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