先週土曜の摩耶山の帰り、いつものお店のマスターやお姉さん、常連さんとちょうどタンタンの話をしたばかりでした。王子公園駅にはほぼ毎週通っているのに、結局一度も会えずじまいでした。タンタン、震災で深く傷ついた神戸の人たちを励ましてくれてありがとう。あなたの生涯は神戸の人のこころと、まちのすがたの復興とともにありました。どうぞ雲のあなたの故郷の山で安らかにお眠りください。以下、王子動物園のサイトより(写 . . . 本文を読む
『コブラ』の寺沢武一さんが亡くなりました。1978年は、日本SFの「当たり年」でした。『未来少年コナン』、『うる星やつら』、そしてこの『コブラ』の連載開始です。『コブラ』寺沢武一さん死去、漫画界から悼む声。「この人がいなければ漫画制作デジタル化の流れは10年遅れていたのでは」9/12(火) 15:20配信SF漫画の金字塔『コブラ』を生み出した漫画家の寺沢武一(てらさわ・ぶいち)さんが9月8日、心筋 . . . 本文を読む
水仙さんのブログで、ベニシアさんの訃報を知りました。https://blog.goo.ne.jp/1948219suisen/e/667a0d55d95f5a0433ab60492959ed62私は、ベニシアさんと直接の面識はありませんでしたが、大原にはベニシアさんの著作や番組にも出てくる先輩がいて、常に身近に感じてきた方でした。三千院や寂光院や寂聴さんとのご縁で、私の名前くらいはお聞き及びだった . . . 本文を読む
お目にかかったことも、言葉も交わしたことさえないのに、こころの底から信頼している方々がいます。。この週末は、そのうちの二人の訃報を相次いで知らされることになりました。一人は高見のっぽさん。のっぽさんとゴン太くんに捧ぐ習作。ごんたくんの肉団子 のっぽさんの89回目の誕生日に - 新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ) (goo.ne.jp) https://blog.goo.ne.j . . . 本文を読む
瀬戸内寂聴さんが、2021年11月9日、永眠した。享年99。
葬儀は近親者のみで執り行われたという。私もご遺族と寂庵のスタッフの方々のご希望どおり、静かに寂聴さんを見送ることにした。
最後にお目にかかってから、もう10年が経過している。私が書いた源氏物語のダイジェスト本をご覧いただいたのがご縁となり、寂聴さんにご招待いただいたのである。しかしこの日が初対面ではなかった。平和運動や人権運動の . . . 本文を読む
岡田嘉夫氏 86歳 (おかだ・よしお=画家)
1月31日、腹膜炎で死去。葬儀は近親者で済ませた。(中略)
神戸市出身。鮮やかな色彩と流麗な線で挿絵や絵本で活躍。作品に「田辺聖子の小倉百人一首」、作家の橋本治との共著「歌舞伎絵巻」(全5巻)など。
(読売新聞 2021年2月17日 朝刊)
岡田先生
先生の訃報は、この新聞記事より少し早く知りました。
お亡くなりになった夜、先生が夢見に . . . 本文を読む
8月9日午後1時46分、三里塚芝山連合空港反対同盟の北原鉱治事務局長が亡くなった。95歳だった。
死因は老衰とされている。大往生というべきだろう。
活動家の頃、集会や学習会などで何度もお目にかかった。しかし、直接お話したことはほとんどなかった。やはり恐れ多かった。
訃報を伝えるYahoo!ニュースのコメント欄が荒れている。
しかし「農民のエゴ」のどこが悪い。政府がいかにでたらめだったかは . . . 本文を読む
『はだしのゲン』の中沢啓治さんが亡くなった。73歳だった。まだ若いという思いと、もうそんな年齢だったのかという思いも湧いてくる。私にとっては親の世代である。
ある平和集会に、中沢啓治さんが招かれていた。中沢さんの天皇批判は、激烈で熱情的なものだったと聞いた。質疑応答で、ある学友が、こんな発言をしたらしい。
「うちの中核派も中沢さんのようなことをいっています。幅広い市民の支持を得るには……」
. . . 本文を読む
山本美香さんの死を伝えるBBCのニュース。
http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-19328199
空爆の街で、彼女は戦争になれば真っ先に犠牲になり、さりとて愛することをやめようとしない女たちこどもたちの取材を最後まで続けた。
暴力の連鎖の前に、赤ん坊がどんなに無力に見えたとしても、そこには、だれにも壊せない、壊させない、かけがえのない生命の輝き . . . 本文を読む
今日は吉本さんの四十九日。そして憲法記念日でもある。吉本さんは、憲法第九条の非戦条項は、太平洋戦争における一般民衆の犠牲を払ってできたものであり、人類が到達すべき理想だと、繰り返し訴えていたことも書き記しておきたい。国家の死滅まで、戦争を廃滅するためのたたかいも終わりはない。
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〈知識〉にとって最後の課題は、頂きを極め、その頂きに人々を誘って蒙をひらくことではない . . . 本文を読む