新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

魚屋道

2024年06月03日 | 日記
この道を初めて歩いた二日後に母はこの世を去ったのだと思った。来年は高等部進学の愛娘も、私の庇護下を離れ、自分の人生を歩もうとしている。


瀬戸内沿岸の住吉から内陸部の有馬温泉まで、新鮮な魚を運んだという「魚屋道」(ととやみち)は、六甲山最高峰から有馬登山口まで4.2キロ。


しかし私たち以外誰もいない夕暮れの山道を歩きながら、つくづく父親失格だと思った。今日は私にしては早起きして、王子公園駅に8時半ごろ到着し、久しぶりに午前中に摩耶山のピークを踏んだ。がんばれば駅前の「ぽーと」のランチタイムにも間に合ったかもしれない。


天上寺にも寄りたかったが、それは日を改めることにして、摩耶の石舞台に寄るだけにした。アゴニー坂は、摩耶側からは下るだけだが、それでもアゴニー(苦しい)。アゴニー坂を抜けると、しばらく舗装道が続く。せっかく登ったのに、下り坂が続いて少し損した気分になる。


結局、前夜酒を飲んでしまい、例のごとく腹を壊して、この日のコンディションは最悪だった。目覚めたのは3時頃で、眠りも浅い。さらに出発するまで自宅で4回、駅と掬星台と六甲ガイドハウスと六甲山頂と、トイレに合計8回寄った。


しかし、摩耶山頂まで休憩無しで107分、その他のタイムも昨年六甲最高峰に行ったときよりはアップしているらしい。あくまで、「私にしては」だが、筋力の向上は感じる。今は膝の痛みを感じることも少なくなり、膝サポーターはヘッドライトと一緒で万が一の装備である。


もっとも、最近は平地を歩いていても、どんどん人に追い抜かれていく。以前は時速4.5キロから5キロで歩いていたのが、5年前、脳梗塞で右半身麻痺になってからは、時速4キロ未満に落ち込んでいる。山ではさらに速度は低下する。女性や小さな人やお年寄りに追い抜かれるのは、少し面目ない。しかし、つまらないプライドにこだわっても仕方ない。日々刻々と表情を変える山に登れるまで回復したことを喜びたい。


春から夏にかけての鶯の声は美しい。ことに掬星台などの絶景スポットの鶯の声の素晴らしさは格別である。絶景スポットは、野鳥にとっても生活や繁殖に適した場所なのかもしれない。しかし、鶯の声は、麓付近の、まだ下手な子も、ふざけているとしか思えない子の歌も楽しいものである。


愛娘のれんは、掬星台で河原鶸をはじめて見て喜んでいた。一見、雀に似た地味な小鳥だが、翼の黄色が鮮やかで眩しい。若いころの私の作った野鳥絵本で知って、いつか見たかったのだという。


今日はクロアゲハをたくさん見かけた。摩耶の石舞台では、結婚飛行に備えた羽蟻たちの大群も見た。三国池では、去年は聞かなかったウシガエルの鳴き声を聞いた。


どの生きものとの出会いも、れんは大喜びだった。

いわゆる「いじめ」で学校に行けない時期が続いたれんは、私の作った自家製のテキストや、若い頃に書いた絵本や児童書を読んで育った。

れんが楽しみにしていた、六甲高山植物園のヒマラヤの青いケシは、まだ咲いていなかった。10日ほど前、青いケシが咲いたというHP.の告知を見て、いまごろが見頃なのだろうと思ってやってきたのだが、いま咲いているのはメコノシプス・ホリドゥラという、紫の花を咲かす近種の花だけという。少し残念だったが、もともとこの場所に来るつもりだった。れんは去年はじめて出会ったニッコウキスゲ、クリンソウ、そして自分の名前ゆかりの蓮の花を見て大喜びだった。うれしそうな愛娘の顔を見ているだけで私も幸せである。公園内は、去年は鶯とカエルが合唱していたけれど、今年は鶯だけだった。


この日は六甲山最高峰の下の一軒茶屋でカレーライスを食べるつもりだった。はじめて六甲山に登ったときの父親の思いでのグルメであり、れんも二回食べている。今度は「カツカレー」にして、ビールとサイダーも頼んで「豪遊」するのが、われわれのささやかな夢だった。


しかし、前回は30分待ちであきらめた、植物園併設のカフェレストラン「エーデルワイス」に空席がある。14時過ぎの中途半端な時間帯だったこと、青いケシのシーズンオフだったことが幸いしたのだろう。

六甲高山植物園にはまた青いケシを見に来るつもりだが、そのときは満席でまた入れないかもしれない。愛娘は、このお店の「ジブリの映画」に出てきたみたいな「ミートボールのボロネーゼ」を食べたがっていた。

「エーデルワイス」では、植物園の森に面したテラス席に案内された。


ランチはサラダとドリンクがつく。れんは大好きなアイスミルクティーを頼んでいた。頼んだあとで、「アイスならやっぱりレモンティーかな? クエン酸で疲労もとれるし」と気にしだした。

ドリンクは食後にお願いしたから、いまからでも変更できる。


「それなら、レモンティーに変更する? でも、運動したあとは、ミルクでタンパク質の補給も大切だよ。運動しているときは、飲みたいもの、食べたいものを食べるのが正解なんじゃないかな?」

と、私は言った。

愛娘は「うん」とうれしそうに笑った。かわいい。


愛娘と一緒に食べる「ジブリのミートボールスパゲティ」は、至福の味だった。大きなミートボールが4つも入っていて、愛娘も大喜びだった。

外国人もお客も多いこのお店は、とりあえず、ブロークンな英語は通じる。中国人観光客とおぼしき女性の二人連れも、ちゃんとケーキセットにありつけて何よりだった。

エーデルワイスで食事を終え、六甲最高峰をめざす。


エーデルワイスで食事をして、また六甲全山縦走路に戻った。草刈り機の音が聞こえてくる。植物園に隣接する神戸ゴルフ倶楽部で、草刈りを行っているようだった。

六甲山ではひめあじさいにはまだ早い季節のようである。

今回ははじめてガーデンを歩いてみた。お店に寄る余裕はない。

六甲山最高峰まで2.5キロ。

「もうすぐそこだよ!」
と、愛娘も励ましてくれる。

木漏れ日の中、アップダウンを繰り返しながら進むと、「おでん」の自販機のある休憩スポットにたどり着いた。

以前から気になっていた380円の「おでん」の自販機を買い求めた。

「お父さん、でもおはしがないよ!」

と、娘が叫んだのが自販機のボタンを押すのと同時。


「あ」と思ったが、幸い牛すじ串に竹串がついていた。


れんに竹串の牛すじをねぶらせてから、私がその残りをいただいた。半分こがむずかしい糸こんにゃくは、お父さんが全部もらうかわりに、愛娘も大好きなお大根は大きく切って、「あーん」と開いたお口に入れた。缶の底のうずらの卵はちょうど2つ、おでんのお出汁も、ふたりで仲よくシェアできた。


反対方向から登ってきたおじさんには、この場所におでん缶があることに驚いていた。「お父さん、なーんだ、酒はなしか」といわれてしまった。

おじさんは今日は宝塚から登ってきて、六甲山頂下のスペースでテントを張るのはまだ時間が早すぎるから、ガーデンテラスまで行くのだという。ガーデンテラスは水場もトイレもあり、屋根ありスペースもある。悪天時は、太平洋の暴風雨が直接叩きつけられるので、春夏秋でも警戒が必要だが、今日はそんなことはない。今夜のメニューは焼肉で焼酎持参、明日は滝茶屋でビールにすき焼きが楽しみなんだそうだ。


今から有馬に抜けるという私たちに、「今からか?こんな暑いのに温泉か?」とベテランハイカーさんは呆れつつ、お互い健闘を祈りながら、私たちは六甲最高峰と有馬温泉をめざした。


おでんが買える自販機のエリアは、ガーデンテラスからほんの200メートルしか進んだ場所にしかなかった。しかしこの辺まで来ると、摩耶山からもう9キロ歩いている。

六甲最高峰ま約2キロあまり、山道を歩いては、舗装道に出ては、また山道に入る行程を9回繰り返す。最高峰まで、1.3、1.2、0.9、0.7、0.5と着実に距離が縮んでいく。最高峰まで0.5キロポイントが、神戸市の北区と東灘区の境界だ。

「最高峰まで残り0.3キロ」の標識を見たら、ほぼゴールだ。

iPhoneのヘルスケアを見たら、山頂に達した時点で、208階登っているという。

しかし、六甲最高峰に着いたのは17時前で、車で来た人たちも含め、山頂には帰り支度の数人がいるだけだった。うぐいすの声がこの世のものともおもえないほどきれいだった。


トイレに寄ってから、魚屋道から下山を開始する。


石畳の道が終わると、岩道になり、湧き水があふれて、滝のようになっている。この道はいつもそうだ。

魚屋道を下る最中、私は「神妙な」顔をしていたらしい。

愛娘はおもしろがって、私にそのことを指摘した。

「この道をはじめて歩いたのは、10月11日だったんだ」

と、私が答えると、娘ははっとした顔をした。

今日、午前中、摩耶山に登りながら、れんに将来の夢を聞かされた。山猫マヤーにはこれからも会いに行くつもりだが、夏休み以降はいろいろな予定や計画があって、私とは日程や時間が合わないことが増えるだろうという。

私は愛娘と毎週楽しくハイキングを続けたかった。しかし、彼女には彼女の人生がある。いずれ終わりの日が来ることはわかっていた。

夏のイベントの2か月前に知らせてくれたのは、「親ばか」の私が現実を受け入れるのに、最低それだけの「モラトリアム」が必要だろうと考えてくれたのだろう。こころやさしく強い娘に育ってくれた。


しかし、さびしいのも事実だ。

はじめてこの道を歩いたとき、「あゝ、けふまでのわしの一生が、そつくり欺されてゐたとしても/この夕映えのうつくしさ」という金子光晴さんの詩を思い浮かべたものだった。

しかし母はその2日後に亡くなった。結局、和解は.できなかった。


魚屋道も台風で被害を受け、迂回路が設置されている。最初はトラロープなくしては通れない道だった。今はトラロープに頼るまでもない。最近は膝も痛むことも少なくなくなり、足の筋肉も鍛えられたらしい。もう夜も遅かったが、愛娘も、私と離れたがったらしい。


温泉では今年もれんと、有馬麦酒とサイダーで乾杯した。有馬川親水公園でも、酎ハイハイボールとカルピスで乾杯しながら、川の流れを眺め続けた。


今日の反省事項。有馬の夜は早い。魚屋道を行くなら、芦屋川を7時、せめて8時に出発して、午前中にはピークを踏む必要がある。王子公園駅出発で摩耶山経由なら、さらに1、2時間早く。


すっかり朝寝坊になったのは、慣れない仕事のストレスで酒量が増えたのもあるけれど、夕方なら山猫のマヤーに会える可能性が高いからだ。猫は朝や夕方の薄暗い時間帯に活動する薄明薄暮性の生きものなのだという。

帰りの電車では、愛娘はすっかり疲れて、私の肩で寝ていた。安らかな寝顔に、脳梗塞で二度にわたり入院したとき、リハビリに励んだころ、呪文のように繰り返した詩人のことばを思い出す。僕は死なない。死ねばともに死ぬものがある限り。


最新の画像もっと見る