新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃん姉妹とお父さんの日々。

修正と加筆

2012年03月10日 | 日記
 おととい晩の文章、たしかにおかしかった。『共同幻想論』を全共闘だけが20万部も読んだのか。そんなことはない。

 下記の通り訂正しました。


 ×この難解で孤独な書が全共闘闘争のバリケードのなかで20万部も読まれたというのは、それだけで思想的事件だったともいえよう。

 ○この難解で孤独な書が20万部も売れ、全共闘闘争のバリケードのなかでも「読まれ」たというのは、それだけで思想的事件だったともいえよう。





 以下は余録)。
 谷川雁が闘争中の大学に講演に行くと、立看板のスローガンは吉本語で埋め尽くされていたという。

 実際に吉本で読まれていたのは、詩集と情況論だったのではないか。『吉本隆明ヴァリアント』には、叛旗派の連中がまとめた講演集が再録されていた。

 三島も絶賛したあの文体には、叛逆のエロスをかき立てる効果はある。

 しかし、本当に「読まれて」いたのだろうか。

『情況』でのマルクーゼ批判を思い出す。根源的快楽=エロスの解放の「思想」は、いざ実際に「行動」に移されると、貧しい肉体の惨めな集団の、公開オナニーか集団ペッティングのごときものにすぎなかった。

 この思想が負わねばならない悲劇=喜劇は、「教祖」といわれた自分への戒めでもあり、責任の取り方でもあったのだろう。吉本は全共闘の書くものを「あの文章は自分たちの運動を台無しにするものだ」と厳しく批判していた。

 政治的言語の再生が急務であるのはまちがいない。どこを見回しても、誰に届くかも知らない、継ぎ継ぎ狂ったパッチワークばかりだ。

 「フロイト?ケロイド?鍵を叩いて
 全部全部笑っちゃおうぜ
 さっさと踊っていなくなれ 」
 (ハチfeat.初音ミク)

 (吉本講演会のチケット半券が、『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』にはさんであった。夏目漱石に関する講演会。私にとって吉本隆明とは詩人であり、それ以外ではない。最初に読んだのは朔太郎論、はじめて買ったのも『吉本隆明詩集』、そしてベストは『記号の森の伝説歌』である)



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1 コメント

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Unknown (トテトテトテ )
2012-03-10 00:50:58
いえ別に訂正なさることもないのでは。訂正後も元の文章と同じですし。そもそも、くろまっくさんの愛読者としては違和感を持ったということが言いたかったわけでした。比較して上が読者の一般的な受け取り方。下が元の文章。比較してはじめて納得のいくお話が得られたのでした。トテトテトテ~。
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