新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

名古屋の思い出

2022年09月24日 | おでかけ
私に「黒幕」(くろまっくのハンドルの由来)という称号を与えてくれた某氏が、こんなことを書いていた。

土曜日、「旅サラダ」という番組で、以前気になった名古屋のきしめん屋「星が丘製麺所」が取り上げられていたので、日帰り旅行を決断。近鉄の普通の特急で名古屋へ。タイミングが合わなかったので「ひのとり」は諦める。台風接近の中、何とか雨は降らずに星が丘へ。昔はさびれた感じの地下鉄終点の駅だったそうだが、今は都会っぽい。音楽のイベントの中、店へ。おあげと煮卵の八丁味噌のお出汁のきしめんを頂く。味噌煮込みより断然こっちだね。

きしめんを食べるために名古屋まで出かけていく氏は、無類の麺好きである。
名古屋にいたころ、星ヶ丘に住んでいた。
しかし星ヶ丘が「昔は寂れた感じの終点駅」とは。開業当時はそうだったかもしれないが、私が住んだころはすでに立派な都会だった。
思わず反応してしまった。

星が丘のこと、牛がいた昔の新大阪のノリでとらえておられるでしょ。開業2年後の1969年には藤が丘まで開通してますよ。今は三越、昔のオリエンタル百貨店があって、高級住宅地と団地の併存エリアでした。富田靖子の『アイコ16歳』の舞台です。駅舎のボロさは私がいたころと変わらなかったですね。

氏は新大阪近在に親戚がいたと聞いていたので、こんな書き方になった。平野の生まれなので、谷町線八尾駅と書けばよかっただろうか。

しかしツイッターの字数制限にかまけて、いい加減なことを書いている。富田靖子は映画の主演で、作者は堀田あけみ。タイトルも『1980アイコ16歳』。高校の名前を星ヶ丘に借りただけで、舞台は作者の出身校の愛知県立中村高校ではないだろうか。星ヶ丘は東郊、中村は西郊にあたる。

地下鉄東山線は星ヶ丘の次の一社(いっしゃ)を過ぎると地上高架になる。大阪の御堂筋線も、中津から地上高架になるのに、東山線を思い出したものだった。

名古屋在住らしき人が、氏のツイートに星ヶ丘のことを「ハイソエリア」とコメントしていた。しかしそれは芦屋を「ハイソエリア」とレッテリングするのと同じではないか。

芦屋も山手と浜手では階級構成が異なる。埋立地の高層マンションの新住民もいる。

星ヶ丘も、高級住宅街であると同時に、団地の街でもある。前者の子女は私立中学校に進むけれど、後者は地元の公立中学に進む。私は団地住まいではなかったが、賃貸住まいで、後者のグループに属した。

春樹で思い出したが、名古屋めしがメジャーになったのも「東京するめクラブ地球のはぐれ方」あたりからではないか。

父の転勤があってから、名古屋には三回行った。1990年代初頭に取材を兼ねたプライベート旅行、だいぶ間があいて2016年に「MADOGTARI展」(アニメ制作会社のシャフトの40周年記念イベント)、2017年11月にある集会である。

1990年代前半は、名古屋を離れてまだ10年経ったかどうかという時期だった。街並みもそんなに変わっていなかっただろう。このとき星ヶ丘を訪ねることができたらよかった。ただし連れ合いが体調を崩して、早々に引き上げねばならなくなった。

2016年、久しぶりに訪ねた星ヶ丘は、すっかり変貌していた。自分が住んでた場所さえわからなくなっていた。父が新潮文庫のホームズ全集を買い揃えてくれた書店もなくなっていた。

東山公園の森林遊歩道をとおって、東山に抜けようと思ったのだが、ゲートができ有料になっていた。興ざめして、すぐに駅に戻った。駅舎もきれいになったように見えて、天井や床のタイルには薄汚れ半世紀以上の歴史を感じさせた。そこだけは私がいたころと変わっていなかった。


2017年は近鉄特急で行った。現在の新幹線は、京都・名古屋間は中山道である。近鉄は広重が絵に描いた本来の東海道のコースで、気分が昂揚するものがあった。しかし集会は失敗だった。政治系ではない……はずなのだが、左派の私が居心地悪くなるほどには「政治的」だった。私は参加したことを後悔し、虚しさと徒労感を味わった。北村薫『太宰治の辞書』を駅ビルの書店で見つけたことが、この名古屋行の唯一の成果だった。


近鉄特急は全席指定で確実に座れるところがよいけれど、新幹線に比べて席の充足率が高く、隣の人がだれになるかわからない。若い女性が隣になり、売店で買ったウイスキーの瓶をなかなか取り出せなかった。名張のあたりで彼女が降りていって、私はホッとして今は飲まないサントリーの角の小瓶を開け、スルメをくわえたのだった。『女生徒』で少女は「ロココ趣味」について辞書で得た蘊蓄を語るが、当時ロココを収録した辞書はなかったという話に始まる『太宰治の辞書』は傑作だった。

そういえば、太宰の『女生徒』に出会ったのも、星ヶ丘だった。


『蕎麦ときしめん』で、汁に最初からどっぷり浸かるきしめんは名古屋人の「個の喪失と公への埋没」を表しているというわけだけれど、大阪のきつねうどんはその上にさらに甘々のお揚げさんがのるんやでぇと思ってしまう。2016年の再訪で30年振り以上できしめんを食べ、ほうれん草が乗るところは栄養バランスに配慮していていいなと思ったけれど、出汁が中途半端かなと思った。八丁味噌ベースの濃厚なスープは、きしめんには合いそうである。


2016年にはボストン美術館も訪ねた。あの日の思い出に、ルノーワルの絵でも(出展されていたのはこの絵ではない)。ルノワール描くかわいいイレーヌちゃんは、波乱万丈の人生を送ったということである。

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