新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

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ポリコレアフロ?

2024年01月17日 | 反戦・平和・反差別・さまざまな運動
ふむ?

整(ととのう)くん、「ポリコレアフロ」なんていわれているんですね(アフロじゃなくて、天然パーマですが)。

整くんとは、ドラマ化・映画化された『ミステリと言う勿れ』の主人公の久能整くんのことです。

「おじさん=悪のフェミニズム漫画!」「女の不平不満を解消するための正義ポルノ!」と本作を貶すレビューを見かけ、そっとページを閉じました。

この作品が批判的に取り上げるのは、父権主義や男性中心主義であり、女性や社会的弱者を排除する社会の制度や現実であり、仕組みです。個々のおじさんを「悪」として描くところに作品の眼目はありません。

いや、ガロくんのようなイケメンキャラばかりでなく、こんなに個性的で魅力的なおじさんたちが登場する作品は少ないのではないですか。悪人、いやなやつ、冴えないおっさんであっても、必ず感情移入できるポイントがあります。この作品は、むしろ、女性キャラクターに対してのほうが辛辣かもしれません。男性作家が女性を描くと、『Fate stay night』のセイバーや『ブラックラグーン』のレヴィのように、完璧無欠の無敵のヒロインになりがちです。『ミステリと言う勿れ』は、女性の強さも弱さも、聡明さも愚かしさも、優しさもいやらしさもきちんと描いています。

一部ミソジニー男性が否定する『ミステリと言う勿れ』の「ポリコレ」「フェミニズム」は、会社勤めをしていたら、ごくごく常識的な内容にすぎません。

しかし、それはまだまだ社会全体に浸透しているとはいえません。


この作品には、風呂光さん、猫田さんという、魅力的に描かれる女性刑事が登場します。

警察権力には、あれこれ思うところがあるわけですが、女性警察官の割合は、2023年度においても6.8%に過ぎない現実があります。警察組織は、典型的な男社会、おじさん社会です。そのなかで奮闘する風呂光さんや猫田さんの活躍は、「ポリコレ」なんて建前にすぎないこの社会で、あきらめず、がんばり続ける女性たちへのエールになっているのではないでしょうか。

「ポリコレアフロ」「フェミニズム」と、一部男性オタクの批判が集中しているところが、この作品の成功であり、勝利ポイントかもしれませんね。

原作を読んでみようと思ったのは、一昨年のお正月、ドラマの番宣を見たからでした。その日、果樹の植樹の援農作業を終えたあと、支援者の方々と宿に泊まり、こたつに入って渋茶をすすりながら、菅田将暉くん演じる整くんを見たのです。

番宣の整くんが何を話していたか、詳細は忘れましたが、かなり興味を惹かれました。『海月姫』で、将暉くんが演じた女装の麗人・蔵之介の好演が印象に残っていたこともありました。家にテレビがないのでドラマを見ることはありませんでしたが、原作を手に取ることになりました。

『ミステリと言う勿れ』というだけあって、本作はミステリ作品ではないのですね。強いて言うのなら、アンチミステリです。整くんは名探偵たちのように犯人を捕まえて正義を執行することよりは、犯罪を未然に防ぎ被害者を出さないことに全力を注ぎ自分の存在価値を見出しているように見えます。

ミス・マープルから篠川栞子まで、女性の名探偵もいますが、名探偵といえば、基本は男性です。しかし、この私立探偵という職業、警察権がないはずなのに、他人のプライバシーに平気でズカズカ土足で踏み入れるのですね。そればかりか犯人と見なした人物を物理的・社会的な死に追いやることもあります。『ミステリと言う勿れ』は、こうした男性探偵の特権的なあり方をあらかじめ否定している点で画期的です。

しかし、そのように本作を高く評価するからこそ、どうしても理解できないシーンがあります。原作ではわずか一コマなのですが。

それは、デートならぬ初詣編で、整くんが年越しそばにサッポロ一番しおラーメンを食べるシーンです。

味噌でなく塩が好きなのはいいんですよ。あの切り胡麻おいしいですよね。私が首をかしげたのは、ラーメンを食べながら整くんが『ガキ使』年末特番を見て笑っているところです。

もちろん、まだ松本某の性加害報道を知る前です。

整くんは虐待やいじめの被害者です。母親も祖母や父親のDVで自殺に追いやられています。そんな過去がある彼は、虐待やいじめ問題についても透徹した視点を持っており、優れた人間的洞察を示します。

そんな整くんが、「いじり芸」すなわち「いじめ芸」にすぎないダウンタウンの「芸」なんかを楽しめるのだろうか?

私にはちょっと信じられない思いでした。

自分を冤罪に陥れようとした藪さんの「父権主義」に反発するなら、たんに権力欲と性欲にまみれているにすぎない松本某など、さらに唾棄すべき存在ではないのか。藪さんの「復讐」は身勝手で自己中心的なものでしたが、そこには「家族愛」がありました。

なーんだ。整くんは、ダウンタウンを見て笑えるのか。

あのシーンで、なんだか、がっかりしてしまった記憶があります。松本某の性加害報道を受けた今は、「ポリコレアフロ」も看板倒れだなと思ってしまいます。まあ、整くんも、ソースのあやふやな知識を振りかざす場面も多々あり、まだ未熟な若者にすぎないということにしておきましょうか。

さて、中小企業の弊社の近年の新入社員は女性中心です。しかし古い体質の中小企業で、まだまだ制度や環境の整備が追いついていません。育児休業制度はあるけれど、当事者の女性視点では、まだまだ不十分なものです。

そういうわけで、大沢真理『企業中心社会を超えて 〈現代日本をジェンダーで読む〉』、山田一男『働き方の男女不平等 理論と実証分析』、三浦まり『さらば、男性政治』などを課題図書として、勉強中です。遅々としてなかなか進みませんが、いずれこのブログでも、最先鋭のフェミニズム理論もご紹介できたらと思います。




『ミステリと言う勿れ』より、犬童オトヤくん。キレやすいところも、イケメンでないところも、親近感を抱いて気に入っています。

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