記憶をなくした私 ~側頭葉てんかんを経て~

仕事で、家庭で、忙しくストレスをかかえていたある日、家に帰る駅も道も、わからなくなってしまいました。あれから10数年。

本の中の日記

2012年06月02日 | 読書

少し前に読んだ本。

◆「ある小さなスズメの記録」 クレア・キップス
生まれたばかりのスズメがキップス夫人に拾われ、共に生き死ぬまでの12年の日々綴った実話。スズメと人が心を通わせる姿や、そこで語られるスズメの知性に心打たれる話だった。

◆「ユリゴコロ」 沼田 まほかる
恐い話だった。でもやめられず、つい引き込まれて読んでしまった。主人公に発見された日記は恐ろしい話を語り、その書き手は最後にいなくなってしまう。

◆「グッバイ艶」 南川 泰三
酒飲みで奔放だった妻が亡くなった後に出てきた日記を読んで、妻の知られざる過去と一面を知って夫が驚く話。

◆「往復書簡」 湊 かなえ
3つの話が入っていたけれど、どれも、手紙を通して、隠れていた過去・真相が明るみになっていく話。

それぞれ全然違う話たったのに、紙に記された文字(日記や手紙)によって話が進んでいく点で、私の中では共通性のある話として、響いてきた。書評を見て興味を持ったり、図書館でたまたま見つけたりで、偶然続けて読んだ3冊だったけれど、こうして続けて読むことになったのも、意味があることだったのかもしれない。

全ての自分の身に起こることには意味がある、と説く宗教だかマインドだかがあったけど、何だったかな。その説は真実かもしれない、でも、事故や事件や戦乱で被害にあう人や家族にとって、どうしてそれが意味のあることになるのだろうと思う。
神(天?)は人に、その人が耐えうる試練しか与えないというような話も聞いたことがあるけれど、耐えきれないほどの苦しい、悲しい試練はあると思うし、どうしてそんな試練が必要なのだろうと思う。

・・・って、話がそれたので戻ります。

私の過去の日記はどうなるだろう。誰にも見せたことのない日記だけど(小学校低学年の頃のものは、学校に出して先生のコメントがはいったものがあるけど)、死ぬ時どうするかな。私と一緒に処分してもらうか。それとも夫に遺して驚愕させるか。(するかな?夫は日記の存在は知っているけどもちろん見せたことはない) 子どもに残すのはちょっとナンだから、万一私より夫が先にいなくなるようなことがあったら、その時はさっさと処分しておかなくては。

と、また、とりとめのないことを考えるのです。

 

 


負けるな~本の中から

2012年01月28日 | 読書

本を読んでいて、思わず涙がこぼれた。電車の中だったから、あわてて本を閉じて、目にゴミが入ったようなふりをした。
読んでいたのは実話を元にした美術犯罪捜査官の話だが、その部分は本題から少し離れて、捜査官がグラウンドゼロで心の傷を負った人々にかけた言葉として書かれている。

『負けるな。心に傷を残すようなつらい体験をしたとき、人が陥りやすい最悪の行動は、生き抜くんだという信念を失うことだ。自分を信じてほしい。苦しいだろう。だが、それは正常なことなんだ。大丈夫、乗り越えられる。何ごとも、あきらめてはいけない。』
~「FBI美術捜査官」 ロバート・K.ウィットマン、ジョン・シフォン  土屋晃・匝瑳玲子訳 P224より

体験と病気と、一緒にしてはいけないようなことかもしれないけれど、響いたのは真ん中の部分。

今の私は、その最悪の行動に陥っている(陥りかけている?)。
断続的に。あるいは、もしかしたら潜在的に。


病気が快復してきてから、よく泣いている。
元々少し涙もろくて、本を読んだり新聞を見ても泣けてしまう事が時々あったけど、今は人前でも簡単に目がうるんできて困る。例えば、職場の人や取引先の方から家族が亡くなった話を聞いた時など。新聞記事や物語でもいとも簡単に涙が出てきてしまう。泣くほど悲しいと心が思っているわけではないと思うのだけれど、悲しい出来事に接すると反射的に涙が発生してしまう。

それから、以前は自分のことに関しては、意地っ張りでなかなか泣かなかったが(と思う。その辺りは記憶が曖昧)、今は自分に関わることでもよく泣く。夫の何気ない一言でも悲しくなる。涙がこぼれ落ちる。
どんどん涙が出てくる。部屋で独りで泣いたり、布団の中でひっそり泣いたり、ハンカチやむタオルがぐっしょりになって、我ながら、よくこんなに涙があるものだと思う。

『大丈夫、乗り越えられる。』

私は、乗り越えられるのだろうか。
いつ、乗り越えられるのだろうか。


『記憶喪失になったぼくが見た世界』 by 坪倉優介

2011年11月30日 | 読書
少し前になるけど、新聞広告で目について、図書館で借りてきて読んでみた。ドラマ化されたこともあるそう。彼の場合は私と違って、事故を原因として全て、人間であること、生き方まで忘れてしまったところからの出発だった。想像を超える大変さだったろうと思う。本の初めの方に、こんなフレーズがあった。

~ 人はいやだ。こんなんだったら、生きかえるんじゃなかった。ここにすわって、じっとしていよう。風とか木とか草の音をじっときいていよう。 ~

とても共感した。あんまり私の気持ちにぴったりだったので。涙が出てきた。こんなんだったら自分としての意識を取り戻すんじゃなかった、私も時々そう思う。でも、病の最中の私も、記憶が長続きしない、そのことを自分でわかっていて、覚えいてられないことを悲しんでいたそうだ。「そうだ」というのは、その頃のことは全く覚えておらず、夫から聞いた話だから。

その時の私は、悲しんだこともすぐに忘れてしまっていたのだろうか。それとも、いつも悲しい気持ちだったのだろうか。表情が乏しかったらしいけど(そしてそれはこの病気の特徴でもあるそうだが)、それは感情をあまり持たなかったからなのか、それとも感情を表すことができなかったからなのか。
・・・今となっては、そんなこと、どうでもいいことか。

本の作者は、その後、記憶がなくなったという事実を乗り越えて、新しい自分として生きていた。
さて、私は? 欠けてしまった20年。いつか越えられるのだろうか。