記憶をなくした私 ~側頭葉てんかんを経て~

仕事で、家庭で、忙しくストレスをかかえていたある日、家に帰る駅も道も、わからなくなってしまいました。あれから10数年。

死ぬこと 続き

2012年09月01日 | 病気のこと

以前書いた、「死ねたらいいな」って、いつ頃から思ってたんだろうと考えていたら、ふと、もっと前、子供の頃は「死んでみたい」「死んでいたい」と思っていたことを思い出した。
うーん、でも、いつ頃どうだったか、また日記を読み返すのは大変。

つらいことがあった時、一時的に死ねるものなら死んでいたい、という思い。美しく例えるなら、眠り姫みたいなもの。目が覚めて王子様なんかいなくても、目が覚めたらつらいことやいやなことは全て過ぎ去っていました、という願望。
今、大人の言葉で言うなら、「現実逃避」のようなものだったのだろう。何も考えない、感じないでいられる状態=死、という思い。(まァ、安易だな)
実際には、「死んでみる」ことなんてできないし、現実逃避もできるものではなく、耐えるか、立ち向かうか、あるいはただ過ぎ去るのを待つことしかできなかっただろうに。

子どもの頃、自分が死んだ夢も、見たことがある気がする。多分、一度だけでなく、何度か。
どんな夢だったか覚えていないけれど、怖い夢ではなかったと思う。夢の中で「ああ、私死んだんだな」と自覚していた。
遠い昔に、死が身近になるような体験をしたことがあったのだろうか。(そんな記憶はないのだが)
本をよく読む子だったから、何かの読書体験からだったのだろうか。(そんな記憶もないのだが)

怖い夢もよく見た。お化けや妖怪みたいなのが出てきて、1度ならず何度か見て、夢の中で「また会ったな」と言われたりした。
自分が死ぬ夢や、怖い夢を見てその続きをまた見ることがあると、人に話すと驚かれたけど、そんなに珍しいことなのかな。たまたま私の周りにはいなかったのか。ま、そんなに多くの人に話したわけではないけれど。


そして今は、早く死ねたらいいな、と思っている。
今も、自分で死ぬことはできないけれど、不可抗力で死ぬのなら、それはそれで望ましい。

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