記憶をなくした私 ~側頭葉てんかんを経て~

仕事で、家庭で、忙しくストレスをかかえていたある日、家に帰る駅も道も、わからなくなってしまいました。あれから10数年。

負けるな~本の中から

2012年01月28日 | 読書

本を読んでいて、思わず涙がこぼれた。電車の中だったから、あわてて本を閉じて、目にゴミが入ったようなふりをした。
読んでいたのは実話を元にした美術犯罪捜査官の話だが、その部分は本題から少し離れて、捜査官がグラウンドゼロで心の傷を負った人々にかけた言葉として書かれている。

『負けるな。心に傷を残すようなつらい体験をしたとき、人が陥りやすい最悪の行動は、生き抜くんだという信念を失うことだ。自分を信じてほしい。苦しいだろう。だが、それは正常なことなんだ。大丈夫、乗り越えられる。何ごとも、あきらめてはいけない。』
~「FBI美術捜査官」 ロバート・K.ウィットマン、ジョン・シフォン  土屋晃・匝瑳玲子訳 P224より

体験と病気と、一緒にしてはいけないようなことかもしれないけれど、響いたのは真ん中の部分。

今の私は、その最悪の行動に陥っている(陥りかけている?)。
断続的に。あるいは、もしかしたら潜在的に。


病気が快復してきてから、よく泣いている。
元々少し涙もろくて、本を読んだり新聞を見ても泣けてしまう事が時々あったけど、今は人前でも簡単に目がうるんできて困る。例えば、職場の人や取引先の方から家族が亡くなった話を聞いた時など。新聞記事や物語でもいとも簡単に涙が出てきてしまう。泣くほど悲しいと心が思っているわけではないと思うのだけれど、悲しい出来事に接すると反射的に涙が発生してしまう。

それから、以前は自分のことに関しては、意地っ張りでなかなか泣かなかったが(と思う。その辺りは記憶が曖昧)、今は自分に関わることでもよく泣く。夫の何気ない一言でも悲しくなる。涙がこぼれ落ちる。
どんどん涙が出てくる。部屋で独りで泣いたり、布団の中でひっそり泣いたり、ハンカチやむタオルがぐっしょりになって、我ながら、よくこんなに涙があるものだと思う。

『大丈夫、乗り越えられる。』

私は、乗り越えられるのだろうか。
いつ、乗り越えられるのだろうか。

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仕事

2012年01月15日 | 仕事のこと

今年に入って仕事のストレスが増大している。

今回の病気で約半年休職したあと、復帰した。始めのうちは、傷病休暇明けということで、上司からは腫れ物をさわるような扱いだった。上司は社内のメンバーには殆ど何も伝えておらず、同僚も後輩も遠巻きに…という感じだった。

主たるメンバーには、私からごく簡単に病気のことは伝えたけれど、きっと皆「?」だっただろう。私だって、自分が病はになるまでは知らなかったのだから。
一部からは「てんかんって…」と意外そうな、困惑したような反応が返ってきた。そう、多分彼が頭に描いていたのは手足が麻痺してふるえているような、あの様子。私は説明する。
「てんかんにもいろいろあって・・・」
「私のてんかんはごく軽いもので・・・」

当初しばらくは上司の指示で通常業務からはずされていたし、何をするのも全て、上司への報告と承認が必要とされた(要するに、上司は私のお目付役、監視役)。ごく簡単なことでも、1人で判断したら怒られた(全ては私のためと)。けれど、仕事のことはだいたい覚えていることもわかって、やがてお目付けも離れ、徐々に元の仕事に戻っていった。多くのメンバーに、頼られるようになっていった(と思う)。

年が明けて。
人事異動で人の入れ替えがあり、その影響で私の業務分担も変更(というより実質ただの増加)となり、めちゃくちゃ忙しくなった。去年まではややゆったりめに仕事してたのに、すっかり発病前の状態、あるいはそれ以上の忙しさになった。
少し前まで「無理しないでね」と言っていた上司も、もう病気の喪が明けたと思っているのか、いや、多分何も思っていないのだろう、すっかり元に戻った。私の発病の遠因(近因?)のひとつとなる、超多忙でストレスフルな状態を作り出した、あの上司に。(具体的にはやめておきます。多分、悪い人ではない。むしろいい人タイプだろう。彼に近い部下にさえならなければ。)

忙しいと、みんなトゲトゲしてくる。後輩(若者)たちはそうでもないけれど、同輩たちは、自分はこんなに忙しい、自分は大変なんだ、という顔になっていった。
忙しいのはあなただけじゃないんだよ。大変なのは、君だけじゃないんだよ。私だって忙しくて大変なの。他の人も大変なんだよ。・・・
こんな時だからお互い思いやり、助け合えるといいに。
対外(社外)ストレスだけでも大きいのに、更に同僚や上司からのストレスを受けるとは。
(そりゃ私もいろいろあるけれど、決して仕事ができないとか、性格が悪いとか、そういうわけではないと思う…。)

言いたいこと、言えないのかな、私。結構言ってるつもりなんだけどさ。人間関係がからむと、難しいよね。それと、私を評価する"強い"立場の人の前では。

毎日夜遅い時間に、ぐったり、げっそりして帰ってくる私を見て、夫や娘が心配する。
~すっかり病気になる前の状態に戻ってる。大丈夫なの?


ストレスのない仕事なんてめったにないだろうけど、もう少しだけでいいから、仕事人間にならずに済む、心がトゲトゲにならずに済むような状況でありたい。それは贅沢な望みなのだろうか? 今のところにいる限り、かなわない望みのような気がしている。

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厭世感

2012年01月09日 | 日記
厭世感が消えない。

昨日は下の子2人を連れてハウスメーカーのイベントに行った。
そこでは普通に振舞っていたけど、帰ってきたら、やっぱり気持ちをそがれることがあって、ずっと気持ちが萎えている。

節約。倹約。
他の家庭ではどうなんだろう。

お風呂のお湯をがばがは使う子ども達。あんまり使うと温水器のお湯が足りなくなるから、お湯は節約しながら使いなさいと言う。シャワーを使いっぱなしにするのではなく、体を流すだけだったらお風呂のお湯を使いなさい、など。でも、子ども達は、「えー、お風呂のお湯かけるなんて汚いからいやだ」だって。浸かって、ぬくもっているお湯なのに、どうしてかけるのは汚いのだろう。私にはわからない。

暖房の温度設定も、私は節電のため少し下げる。国の省エネ設定温度の20℃。でも、いつのまにか上げられていることが多い。20℃では寒い、家の中で寒いのはいやだと。そのくらい、一枚は多くはおれば済むことなのに。

うちの子達、節約とか倹約とか、思わないのかなぁ。
過去の私が、そんな風に育ててしまったのだろうか。

些細なことなんだろうね。そんなこと、思うこと自体が病気かな。
でも、そういう小さなことでも、塵も積もれば何とやら。

携帯も、中学生のうちからネットもメールも使い放題のプランで、小遣いも結構な額で、更に交通費は別に渡していて(必要な交通だけでなくあちこち遊びに行く交通費も)。私立校に行っているのだから、必要なお金だと夫は言う。でも、私が使う携帯代や私用で使う金額よりよっぽど多い金額を、3人の子ども達は使っていると思う。
過去の私はそんなこと認めていたのだろうか。

私の意見は言っても無視される。
夫は、よそはよそ、うちはうち、と言う。
子ども達にはそんなこと突然言い出したお母さんがおかしいと言われる。
それは、しばらく前から続いていること。
同じ年ごろの子どもがいる私の兄弟や、学校の先生をやっている義兄弟に相談したりもして、彼らは私に共感してくれたけど、何も変わっていない。
私ももう、あきらめてしまった。

でも、私は生きていてもつまらないな、家にいてもいいことないな、と思う。
その気持ちが変わらない。
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年賀状

2012年01月07日 | 日記
今日は、愚痴だな。ひどく気分がダウンしている。

昨日、夫実家に行っていた下2人の子どもが帰ってきた。
下2人はまだまだガキんちょで何かと煩わしい。(自分が生んだ子だという記憶は消えているし)
帰ってくる…と思うと、仕事帰りの足も重くなった。
他に帰る家もないから、とぼとぼ帰ったけれど。

子どもたちは、夫両親が車で連れて来てくれた。(毎度、遠路はるばる迎えに来て、連れて来てくれる)

しばらくして夫が帰って来て、持ってきてくれたおせちの一部を食べ、そのうち年賀状の話になった。
我が家の年賀状は、毎年子ども達の写真を載せた年賀状。その年賀状を、義母が「うちんとこには来とらん」と言い、夫が「出してないもん。それあげるけん」と言った。
それってさ。そのあげるって言った年賀状、私が作った分の年賀状だよ。
私の年賀状と夫の年賀状は、写真は同じだけどコメントが少し違う。私のものは、私の友達用に、プライベートなことがつらつら書いてある。それを、夫が義両親にあげると言った。「自分のあげればいいじゃん」と言ったら、「俺のは残ってない」と言われておしまいだった。ちょっと印刷すればいいだけなのに。

夫両親とは仲良くしているし、病気のことも知らせてはいるけれど、私の個人的なことをつらつら書いてある友達宛の年賀状を、夫が勝手にあげると言ったのが嫌だった。それに、私はまだ年賀状を書き終えていなくて、これからまだ書かなきゃならないのに、あげたら足りなくなってしまう。
でも、義両親の前でそんなことは言えず、口をつぐんだ。

夫は仕事に行ってしまった。今晩は帰ってこない。

今日年賀状を書こうとして、その枚数が減っていて、嫌だ嫌だと思っていたら,、また鬱々とした気分になってきた。
早く死ねたらいいのになと思う。被災地の方と、代わってあげられれば良かったのにと思う。

こんなことくらいで死ねたらいいだなんて、人からは病気が入ってると思われるのだろうか。
でも、この思いは、(多分)小学生の頃からずっと根底にあるものだ。あの頃から病気だったとは思わない。時々ふっとわきあがるもの。うーん。何だろう。人生観の一種だろうか。厭世感みたいなものか。
ただ、最近頻度が増えてはいるけれど。

達観したいと思いつつ、達観できない。
私の達観って、「ま、いっか」「なるようになる」というものなのだけど。
そう思えるのは一時だけなんだ。
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迎春

2012年01月01日 | 日記
年が変わった。

でも、「あけまして"おめでとう"」という気分ではないので、家ではおめでとうは言ってない。日付が変わった時、夫は子ども達に言ってたけど、私は黙ってた。朝は、「おはよう」と言われたから、「おはよう」と返した。

今年は、年賀状に「あけましておめでとう」とは書かない人も多いという、と新聞に書かれていた。被災地に配慮して、と。
一緒にしては失礼だけど、私もめでたい気分ではないのだもの。
年が変わった。明日が、今日になるのと同じ。時間だけが過ぎていってしまう。

去年の正月のことは覚えていない。年末から夫実家に行って、30日は朝から餅つきして夜は皆でレストランでDinner、31日は紅白が終わったら近所の神社に元朝参りに行って、元日の朝は義母力作のおせちを食べて、お雑煮も食べて…と、毎年恒例の年末年始。
だったはずなのだけど。全く記憶にない。

去年は病のばたばたで、年賀状も欠礼してしまった。じゃあ寒中見舞いを出そうかとか思いつつ、結局何も出さずじまいだった。さすがに2年連続欠礼は失礼なので、今年は出さなくてはと、"今"デザイン画策中。正月のうちには何とか出したいぞ。
挨拶の言葉は『迎春』。年賀状の言葉のうち、この言葉が一番好きだ。

春を迎える。

年があけてめでたくなかったとしても、春は必ず来るから。生きていれば、誰にでも来るから。
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