本を読んでいて、思わず涙がこぼれた。電車の中だったから、あわてて本を閉じて、目にゴミが入ったようなふりをした。
読んでいたのは実話を元にした美術犯罪捜査官の話だが、その部分は本題から少し離れて、捜査官がグラウンドゼロで心の傷を負った人々にかけた言葉として書かれている。
『負けるな。心に傷を残すようなつらい体験をしたとき、人が陥りやすい最悪の行動は、生き抜くんだという信念を失うことだ。自分を信じてほしい。苦しいだろう。だが、それは正常なことなんだ。大丈夫、乗り越えられる。何ごとも、あきらめてはいけない。』
~「FBI美術捜査官」 ロバート・K.ウィットマン、ジョン・シフォン 土屋晃・匝瑳玲子訳 P224より
体験と病気と、一緒にしてはいけないようなことかもしれないけれど、響いたのは真ん中の部分。
今の私は、その最悪の行動に陥っている(陥りかけている?)。
断続的に。あるいは、もしかしたら潜在的に。
病気が快復してきてから、よく泣いている。
元々少し涙もろくて、本を読んだり新聞を見ても泣けてしまう事が時々あったけど、今は人前でも簡単に目がうるんできて困る。例えば、職場の人や取引先の方から家族が亡くなった話を聞いた時など。新聞記事や物語でもいとも簡単に涙が出てきてしまう。泣くほど悲しいと心が思っているわけではないと思うのだけれど、悲しい出来事に接すると反射的に涙が発生してしまう。
それから、以前は自分のことに関しては、意地っ張りでなかなか泣かなかったが(と思う。その辺りは記憶が曖昧)、今は自分に関わることでもよく泣く。夫の何気ない一言でも悲しくなる。涙がこぼれ落ちる。
どんどん涙が出てくる。部屋で独りで泣いたり、布団の中でひっそり泣いたり、ハンカチやむタオルがぐっしょりになって、我ながら、よくこんなに涙があるものだと思う。
『大丈夫、乗り越えられる。』
私は、乗り越えられるのだろうか。
いつ、乗り越えられるのだろうか。