びぼーろぐ

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

十七歳のオリザの冒険をしるす本

2012-12-16 | レビュー
十七歳のオリザの冒険をしるす本 平田オリザ 1980年

 劇作家の平田オリザさんが十六歳から十七歳になる足掛け二年間に、なんと自転車で世界旅行をした記録である。1979年から1980 年のことである。当時は、新聞やテレビで取り上げられかなり有名な出来事であったらしい。80年代初頭はウルトラクイズや、なるほどザ・ワールドなど、世界を意識したテレビ番組が次々と始まり、バブル景気とともに海外旅行に出掛ける日本人が増加の一途をたどる時代である。そんな中で、世界を見てやろうと野望を抱いた16歳のオリザ少年は、ある日決行する。その勇気と自信に満ち溢れた少年の無鉄砲さに、羨望すら感じてしまう。もっとも、親となった今では、そんな頼もしい高校生を育てるに至った家庭環境の方に興味を引かれるのだが。
 準備段階から蓄えたであろう知識・教養は大人顔負けである。そしてその瑞々しい表現力や旅を終えての考察には敬服してしまう。景勝地で感動し、トラブルを乗り越え、様々な人に出会い、オリザ少年が成長していく様子がありありと伝わってくる旅行記だ。これから旅をしようという大人たちにとっても、格好の旅の指南書であり「地球の歩き方」である。
 16歳という、知力・体力が充実し、もっとも感受性豊かなこの時期に得る体験は、どんなものであれ、その後の人生に大いに意味あるものに違いない。現在は、大阪大学コミュニケーションデザインセンターで教鞭をとりながら、ロボット演劇など新たな挑戦をされている。
「かわいい子には旅をさせよ」である。

古武道からの発想

2012-12-11 | レビュー
古武道からの発想   甲野善紀 1998年

動画などで見ると、まるでミラクルな身のこなしの甲野先生。
その秘密は・・・

いわゆる「道」のつく日本独自の武道、柔道・剣道・相撲のどれもが、力任せの西洋式スポーツになり下がり、「術」の伝統が途切れつつあるという。柔道はもはや柔道ではなく、judoである、といわれる所以である。
 
 甲野氏によれば、現代人と古人は体の動きの質が違う、ということである。

「井桁術理」「丹田の自覚」というのがポイントだ。

 関節を支点としたワイパー運動は体に負担をかける「うねり」を使った運動。逆に、体を割って、割ったそれぞれが丹田を中心に総和的に働くことで、負担と無駄のない動きができる。例えば左右交互に手を振る歩き方は、実は体を捻ることで、バランスを崩している。江戸の人間はむしろ、右手と右足が同時に前に出る「ナンバ歩き」であった。この重心をとらえた立ち方こそが素早く次の動作に移ることを可能にする。

 「遊び」から出た西欧のスポーツと、日本古来の武道とは、成り立ちからして根本的に異なる。攻めて、拓いていくためには、強靭な筋肉や圧倒的な力が必要だが、護りまたは継続するには、疲労しない効率的な動きの術が有効なのである。




ニコニコ時給800円

2012-11-25 | レビュー
ニコニコ時給800円 海猫沢めろん 2011年

その1 マンガ喫茶の悪魔
その2 洋服屋のいばら姫
その3 パチンコ屋の亡霊たち
その4 野菜畑のピーターパン
最終話 ネットワークの王子様

1975年生まれの著者。いわゆる「ロスジェネ世代」のリアルを描く。
労働とカネの問題に新境地を見た気がした。

「働くっていううのはレレレのおじさんんがやってることだ」と。ふむふむ。つまり、「こいつアホちゃうか」と思われるくらい笑顔で、「レレレのレ~」とか言いながら楽しそうに、掃除を続ける。上昇志向とか自分探しなどというくだらない幻想に拘泥することなく、ただひたすらに労働そのものに耽溺する。オジサンはカネの縛りから解き放たれたハッピーな世界の住人である。

労働格差や世代格差は、逃れられない現実としてあるけど、それは所詮カネの問題であって、その執着から離れて日々の労働に「楽しさ」を見つけられれば、考えようによっては、時給800円で、退屈な金持ちよりもニコニコしていられるかも。


辻井伸行 クライバーンピアノコンクール

2012-11-17 | レビュー
 これほどに、光あふれるようなショパンは初めてである。名前のとおり伸びやかで、何物にもとらわれない自由さがある。生まれつき全盲であること、それはある意味、何にも換え難い優位性を秘めているかもしれない。見える私には想像でしかないが、辻井さんの世界が、漆黒の闇がデフォルトであるなら、その世界はただひたすらに「音」という光をちりばめていくことで可視化される。光のある世界での作業はむしろ、あえて「闇」もしくは「陰影」を意識して作り上げることではないのか。
 見える人は、音楽を聴くとき、わざわざ目を閉じて音のきらめきを感じとろうとする。そうした時、このピアニストのピアノの音色は、ますますきらめき、まばゆいほどである。しかし、空にかかる虹や色彩豊かな風景・ささやかな星のまたたきを音としていかに表現するか?カントの言葉を借りれば「わが心の内なる星・良心」といううことになるのだろうか。日常の暮らしや、物語の中に美しいものはひそんでいて、実際に見えないもののイメージが音色として表現されるとすれば、辻井さんの心の中は誰よりも音のサンプルに満ち溢れているかもしれない。この演奏をもし作曲者のショパンが聴いたとしたら、と考えることは興味深い。

くるりライブ

2012-11-10 | レビュー
「国民の性欲が第一」ツアー 名古屋公演 於zepp nagoya
People's sexual desire first

大半がアルバム「坩堝の電圧」から



set list↓

1.chili pepper japones
2.everybody feels the same
3.crab reactor future
4.taurus
5.argentina
6.dancing shoes
7.bumblebee
8.o.A.o
9.dog
10.soma
11.china dress
12.jumbo
13.ブレーメン
14.how to go
15.のぞみ1号
16.glory days
アンコール
17.惑星
18.ロックンロール
19.ワンダーフォーゲル
20.white out(heavy metal)

 京都から来たロックバンド・くるり
2012年震災後の日本にあって強烈なオリジナリティを放つロックバンドだ。もう今や何風でも無い、洋風でも和風でも、ユーロでもアジアンでもない、オルタナティブとういう表現すらわざとらしく感じる。まさにジャンルを超えた「くるり」という一品。いろいろ入っているのがデフォルトの「ラーメン」みたいな。そこに麺さえあれば、どんなスープであろうと、具材だろうと、国産であろうとなかろうと、それは日本の「ラーメン」=「くるり」なのである。かつてこれほど守備範囲の広いバンドがあっただろうか。岸田繁の引きだしの多彩さにはホントに敬服してしまう。そして、今このバンドにはオーラがある。時代を引っ張る力?次世代への牽引力を感じる。たかがミュージシャンと侮ることなかれ。岸田氏には山師的なふてぶてしさが備わっている。要注意人物だ。
 「原発事故」を唄う。それもいいだろう。かつてスガシカオが、ロックとは?という問いに答えて「嘘を唄ってなければそれは、ロックだと思う。」と言ってたことを思い出すが、だとすればやはり「くるり」はロックだろう。不安だ・変だ・厭だ・好きだ・美しいーと感じる気持ちに偽りはないだろう。NO NUKE 結構じゃないですか。岸田さん、自分のことアホだと言って「俺も悪いで~」と。その辺、正直に唄い続けてほしい。
 

辻井いつ子さん講演会

2012-11-10 | レビュー
辻井いつ子さん講演会
「子どもの才能の見つけ方・伸ばし方」

 娘の高校PTA主催の講演会ということで出かけました。
 辻井いつ子さんは、ピアニストとして有名な辻井伸行さんのお母さんです。全盲というハンディキャップを抱えた子どもに音楽の才能を見つけ出し、プロのピアニストまで導いた、ご自身の子育てを語って下さいました。
 元アナウンサーといううことで、美貌もさることながら、とてもよく通る声と話し方に魅了されました。本題の答えはむしろ、この声の魅力にあるのではないかと思うくらいでした。見えない伸行さんにとって、お母さんの声はとても大事な支えであったに違いなく、実はいつ子さん自身が最も気を使われたことではなかったのでしょうか。元気が出ないとき、表情は隠せても声の調子やトーンはなかなか隠せないものです。それにはやはり、常に自分が元気でいられるように努力してこられただろうし、日々明るい声で、微に入り細に入り語りかけられたことで、伸行さんは、迷うことなく確かな愛情を感じ取ることができたのでは?目が見えない人はよく、聴覚が鋭くなると言われますが、まさにハンディキャップを個性もしくは長所に変えた成功例ですね。伸行さんには、見えないからこそ見える心の風景が再現できる能力が備わっているんだと思います。
まさに「信じる力」ってすごい!!
 以下、講演内容抜粋「子どもを良く観察し、子どもの好きな物事を子どもと同じ目線で楽しむことが大切。どんな些細なことでも才能の芽を感じとったら、『親ばか』となってその才能を信じてあげること。才能のない子どもなんていない。明るく、楽しく、あきらめないことが大事です。」



血と骨

2012-10-30 | レビュー
血と骨 梁石日(ヤン・ソギル)
1998年 初版 山本周五郎賞受賞作

 著者は、映画「月はどっちに出ている」の原作者。小説を書く前は、タクシーの運転手であった。

 戦前、済州島から出稼ぎに来日した実父の人生を軸に、彼を取り巻く在日家族・同胞の歴史をフィクションを通して描く。

 朝鮮では「子どもは母からその血を受け継ぎ、父からは骨を受け継ぐ」といわれるそうである。

 まるで怪物のごとく暴力的な男、金俊平。誰をも威圧する巨体で、頑健な体躯を持ちながらも、蒙昧ゆえ、暴力によって周囲を押さえつけ、オレ様を貫く男の一代記である。全編が血生臭く、視覚的には耐え難いであろう表現の連続である。その欲望たるや、けだもののような金俊平ではあるが、わずかながら人間的な良心なるものをを見せる部分もないではない。息子の名付けで、儒教にこだわる点や、蒲鉾職人としてのプライドなどである。珍妙な滋養強壮料理を作る場面などは、哄笑を誘う。しかし、読み手が息をつくのもつかの間、「生々しい」圧倒的な生の物語は、常に切迫し、緊張感をもって進んでいく。

 戦前・戦後からの「在日」が、現在の状況に至る流れがよくわかる。

グロテスク

2012-10-10 | レビュー
グロテスク 上・下  桐野夏生 初出2001年

「東電OL殺人事件」で、誰も真相を知りえなかった被害者女性の心の闇。著者は、実にまことしやかな状況を設定して複眼的にグロテスクなるものを描き出す。
 事件そのものは今から15年前の1997年。1958年生まれの主人公が高校生になったのが1973年頃と思われる。女子高の中でのやり取りは克明で、まるで古さを感じさせない。エリートを排出することで有名なQ大学付属女子高校。そこはまさしく、社会の縮図、美醜・貧富・学力のヒエラルキーに支配された世界である。
 主人公が企業に就職するのが「男女雇用均等法」前夜の1980年。まだまだ世の中が悪しき慣習にとらわれていた時代である。キャリアウーマンとして生きるには、いくつも乗り越えるべき壁が立ちはだかっていたに違いない。男性社会の論理によって疎外され、次第に人格を崩壊させていく。つまり「昼は堅気の会社員、夜は娼婦」という二つの顔を持つことで、自分の存在意味を見出す。
 歪んだ魂をを巨大化させ、男と交わることで、虚しさを暴き出し、男性の作ってきた戦後資本主義社会そのものに復讐する物語である。果たして、主人公は「怪物」なのか、はたまた「聖女」なのか。

ヒトラー・ユーゲントの若者たち

2012-10-10 | レビュー
ヒトラー・ユーゲントの若者たち―愛国心の名のもとに
スーザン・キャンベル バートレッティ 日本初版2010年
ノンフィクション

 1930年代から第2次大戦中に、ヒトラー・ユーゲントとして活動した少年少女たちがいかに行動し、考えていたかを 膨大な研究資料と当事者達へのインタビューをもとにまとめられたもの。証言者が高齢になり、語らずして亡くなった方も多い中、生の声を個人レベルで聞ける最後のチャンスであるかもしれない。

 第三帝国の未来を「希望にあふれる10代の若者に託す」やり方は、その純粋さゆえに、あまりにも痛々しい。驚くべきは、子をして親を密告させるような状況である。ユーゲントの教育の徹底ぶりがうかがわれる。戦闘においても、無私の精神で総統のために命をささげる一途さは、まさに殉教者のイメージですらある。

 著者は、戦後彼らがどのように生きてきたかにも焦点を当てる。騙されたとはいえ、大量殺戮に加担した加害者としての苦しみの方が、彼らの魂を大きく損なったという。

 経済の低迷からファッショへ、ナショナリズムに至る道のりは、当時の日本の状況と恐ろしいほど酷似しており、止めように止められない人間の定めのようなものが見えてくるだけに、現代にも通じる空恐ろしさを感じる。どうやったら、この「他罰的」心性のスパイラルから国民全体が抜け出せるのか。解決は、経済にのみゆだねられることなのだろうか。経済でいう「景気」とはまさに人の気分のことを言ううらしいけれど、それはつまり「いい気分・いい機嫌」を作り出すことで、ブレイクスルーできたりするのか。

昭和二十年夏

2012-09-29 | レビュー
昭和二十年夏、僕は兵士だった
昭和二十年夏、女たちの戦争
昭和二十年夏、子供たちが見た日本
 梯 久美子 角川書店  ノンフィクション

 昭和二十年夏、兵士は、女性は、子供は、いったい何を見、何を感じていたのだろう。教科書や、ドキュメンタリー番組で語られてきた紋切り型の「悲惨な戦争」ではなく、個人が語る、ごく個人的な戦争とのかかわりと戦時下の暮らしである。近親であっても語ることなく亡くなった方も多い中、貴重な証言であると思う。
 
 例えば「満州」での暮らし。開拓農民ではなく、エリートであった場合、その暮らしぶりは、当時の東京なんかよりずっと豊かであったらしい。敗戦の情報もいち早く伝えられ、引き揚げも素早かった。どんな状況においても、ことの明暗は属性が決めるということの例だ。(確かな情報は、確かな筋で、確かな属性の人々にだけ伝えられる。)

 国がどんなに煽りたてようと、冷静な人たちは少なからずいた、ということ。日本全体がネガティヴな「閉じたサーキット」に陥る中でもグローバルというか、普遍的な考えを持ちえた人々である。情緒的な「大和魂」だとか「神風」という偏狭な言葉にアイデンティティを見出さないことは有事にあたって重要だ。

 しかし、現場に赴く兵士たちはどうだろう。日本こそが守るべき祖国であり、命を捨てる対象であった彼らの多くは、熱情に浮かされ、あえて苦しむことに生きがいを見出す。高度成長期のサラリーマンにも通じるような精神性だ。一方は報酬や昇進で報われるが、一方は靖国に英霊として祭られることで報われる。信じ切って死ねた者こそが天国にいたり、信じ切れず、生き残った者こそが地獄であったかもしれない。いずれにしても、神国日本などという、ちゃちなストーリーでは、救われなかったということの証拠だろう。証言者の方たちは、それぞれの仕方で、死者を悼むことに人生をささげてこられたと思う。行きつく先が虚しいものと知りながら。

ムーンライダース

2012-09-07 | レビュー
ムーンライダース

「スカーレットの誓い」





I can't live without roses
「薔薇がなくちゃ生きてゆけない」なんていう高踏遊民的な感性でもって、80年代初頭、日本のNewWave(?)のさきがけとして君臨した他に類を見ないバンド。最近バンド活動休止のニュースが飛び込んできて、懐かしさからついググってみました。
 大衆的な歌謡曲とは明らかに違う、知的センスあふれる楽曲で、異彩を放つ。歌詞は、より文学に近い詩のようでもあり、少年の瑞々しさを表現するものや、階級闘争・労働運動的な事柄、そうかと思えば、ごくごく個人的な嗜好や倒錯の世界を描くなど当時としてはタブーに挑戦していたと思う。今思うと、独特な比喩表現などはアポリネールやコクトーといったフランス文学の影響もあったのかなと想像する。オタな音楽ファンとしては、佐藤奈々子さんの名前も見落としてはなるまい。
 「マニア・マニエラ」というアルバムは、当時流行ったカセットブックというパッケージで、斬新だったなあ。

東電OL殺人事件

2012-08-22 | レビュー
東電OL殺人事件 佐野 眞一  新潮文庫

ノンフィクション
1997年、渋谷区円山町のアパートの一室で、東京電力女性社員が何者かによって絞殺された。被害者の女性が、昼間は東電の女性管理職社員でありながら、夜は娼婦であったことから、ワイドショー的に注目を浴びた。その事件を追う。
 原発事故以来、何かと注目される東京電力の裏側や話題の人物が登場することから、再度脚光を浴びている本だ。同時に、当時容疑者として逮捕されたネパール人のマイナリ氏が、つい最近15年ぶりに冤罪が認められ、釈放されたことでも話題になった。いずれにしてもホットな話題満載である。
 渋谷区円山町からネパールの山奥まで、まさに体を張った著者の取材には説得力がある。著者の執念とも言うべき取材活動に比べて、警察・検察・裁判所のお粗末なこと。人権も守られない、公正な判断もない。うっかり捕まったら、終わりだ、これは、と思った。
 土地の歴史・近現代史として読んでも興味をそそられる。そして何よりも気になるのは、依然謎のままの被害者女性の心の闇。著者は取材と同時に、戦後及び狂乱の時代に光を当てることで、想像するに足るファクターを与えてくれている。

私家版・ユダヤ文化論

2012-08-22 | レビュー
私家版・ユダヤ文化論 内田 樹 文藝春秋

今、日本でもっとも信頼のおける思想家と言われる著者。「下流志向」「14歳の子を持つ親たちへ」(名越康文氏と共著)他
ユダヤ人はなぜ知性的なのか、なぜ迫害されるのか。サルトル・レヴィナスらの思想を追いながら考証する。

以下、抜粋

 ユダヤ人差別には現実的な根拠が無い。あるのは幻想的根拠であり、その根拠が存在する限り差別は無くならない。
ここでいう幻想的根拠とは「ユダヤ人がイノベーティヴな集団であり、イノベーティヴな知的思考傾向を伝統的に持つ民族である」と非ユダヤ人からは見えてしまう、いうこと。(イノベーティヴとは、懐疑し、改める知的努力)
 たとえば19世紀、革命後の動乱期のフランスあるいはドイツには、近代化の不安があらゆる階層に渦巻いており、近代化の象徴ともいえる職業を持つユダヤ人をスケープゴートにすることで、溜飲を下げる反ユダヤ主義が起こった。この反ユダヤ主義はファシズムの台頭に少なからず影響を及ぼした。

誰かをスケープゴートにする構図。ナショナリズムな世論。ファシズムに向かう流れが、今日も繰り返される。

非ユダヤ人的人間とユダヤ人的人間の違い
「私はこれまでずっとここにいたし、これからもここいる生得的な権利を有している」と考える人間と
「私はここに遅れてやってきたので<この場所に受け入れられる者>であることをその行動を通じて証明して見せなければいけない」と考える人間の、アイデンティティの成り立たせ方の違い。

どう考えてもユダヤ人的思考の方が実存主義的だし、現代的だ。結局どちらも普遍的な、人間の矛盾する両面ということか。

バーン・ジョーンズ展

2012-08-11 | レビュー
バーン・ジョーンズ展-装飾と象徴
東京丸の内 三菱一号館美術館



 丸の内のオフィス街に、オアシスのように佇む素敵な美術館。設計された年代(1894年コンドルによる)といい、風格といい、まさにこの展覧会を開催するにふさわしい。



バーン・ジョーンズ
 バーミンガム生まれ。絵画史的には、ロセッティやミレイなどとともに、ラファエロ前派に属する。アーツ&クラフツ運動で有名なウィリアム・モリスは生涯の友人。神話・宗教に題材をとる作品が多く、幻想的かつ装飾的な表現が魅力。人物がやたらリアルなところも、作品に引き込まれる理由かも。

↓ 展覧会HP
http://mimt.jp/bj/

《果たされた運命-大海蛇を退治するペルセウス》-連作「ペルセウス」1882年頃 サウサンプトン市立美術館

《眠り姫》-連作「いばら姫」1872-74年頃 ダブリン市立ヒュー・レイン美術館