びぼーろぐ

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ベルリン国立美術館展

2012-08-08 | レビュー
ベルリン国立美術館展 国立西洋美術館(2012/08/08)

 目指すは、フェルメール「真珠の首飾りの少女」
まだ若干あどけなさの残る少女が、おそらくは海運貿易商である父から贈られたであろう首飾りを身につけて、うっとりする場面。当時はまだ珍しい東洋の海ででしか採れない真珠の輝きに魅了されている少女の初々しい感じが何とも言えない。鏡の前に走りこんだその息遣いや体温までも伝わってくるようだ。(想像です。)
 耳飾りの少女も美しいが、こちらも隅に押しやるわけにはいかない逸品だ。


 デューラーやクラナッハ、レンブラントなど北欧の代表選手の作品群と、同じくドイツの彫刻家と言えばこの人リーメンシュナイダー。またまた聖ゲオルギウスの登場。


ミケランジェロやボッティチェリの素描が目を引いた。

 約20年ぶりの、国立西洋美術館。ムンクの大作「雪の中の労働者たち」に再会した。当館の目玉、ルノワール「帽子の女」が印象に残った。日本にあること、結構自慢していいんじゃない?ただただ美しく幸せで、嫌味がない。しかも洗練されてる。女性として心から憧れてしまう。「愛」に満ち溢れた作品だと思う。

ドビュッシー、音楽と美術

2012-08-07 | レビュー
ドビュッシー、音楽と美術ー印象派と象徴派のあいだで
ブリジストン美術館(2012/08/07)

 ドビュッシーのことはよくわからないのだけど、所蔵作品にも興味があったし、出かけてみた。
 ルノワール・マネ・モネといった印象派の巨匠の小品。点描と日本趣味といったお馴染みの感がある中で、今回目を引いたのが、モーリス・ドニの作品。ナビ派といわれるグループに属し、絵画は単なる色彩の寄せ集めだなんて言ったそうだけれど、平面的なその絵はまさに異世界だ。ルノワールが命をいとおしみ、「生」を写し取ることに邁進しているとすれば、ドニの方は、その洗練された画面の中で、「死」をも同時に描いているのかもしれない。

↓展覧会HP
http://debussy.exhn.jp/ex01.html

モーリス・ドニ「ミューズたち」1893年 オルセー美術館


エドゥワール・マネ「浜辺にて」1873年 オルセー美術館

ボストン美術館 日本美術の至宝展

2012-07-15 | レビュー
ボストン美術館日本美術の至宝展 前期
(2012/07/15)

 アメリカのボストン美術館は、「東洋美術の殿堂」といわれるそうです。その絢爛たるコレクションは、明治初期、西洋化の波にまぎれて、日本人がうっかりしている間に、外国に流出してしまったものの数々です。日本美術の愛好家であり理解者で知られるフェノロサや岡倉天心ですが、なぜに流出を防ぎえなかったのか。曽我蕭白の最高傑作と言われる「雲竜図1763年」しかり、尾形光琳しかり。もっとも、当時の日本人には、保護するなんて頭はなかっただろうし、廃仏毀釈の時代でもあったから、仕様がないんですけどね。


 今回前期の目玉は、長谷川等伯「龍虎図屏風1606年」等伯が表す幽玄さは、まさに日本人の心の原点という気がします。(「松林図屏風」は国立博物館所蔵)





 華やかな狩野派の数々と曽我蕭白。絵巻物。期待した伊藤若冲は、水墨画1点のみ。狩野元信による連歌師宗祇の騎馬像は必見。

くるり

2012-06-18 | レビュー
Tower of music lover 1 2

久々にぐっとくる音楽に出会えた気がする。

懐かしく、新しい 脱東京的風景。
デビューシングルは「東京」なのにね。

↓How to go

http://www.youtube.com/watch?v=gshy6hzTlGU&feature=related

最近読んだ本

2012-06-18 | レビュー
ラーメンと愛国 速水健朗

A3 森達也
神様って何 森達也
いのちの食べ方 森達也
あなたが押す死刑のスイッチ 森達也
メディアリテラシー 森達也

どんとこい貧困 湯浅誠

ばかな大人にならないために 養老孟司
無思想の発見 養老孟司

感動する脳 茂木健一郎

スイングがなければ意味がない 村上春樹

宗教から世界がわかる 池上彰

徒然草 方丈記 21世紀版少年少女古典文学館 講談社
今昔物語
おとぎ草紙

かくれ里 白洲正子

狗神 坂東眞砂子
ラ・ヴィタ・イタリアーナ 坂東眞砂子
イタリア・奇蹟と神秘の旅 坂東眞砂子



伝統文化観賞会

2012-01-23 | レビュー
2012/01/21

名古屋ナディアパーク11F アートピアホールにて、能と狂言を鑑賞しました。
演目は、狂言「三本柱」 能「船弁慶」
小中学生対象のイベントなので、丁寧な解説もあり、わかりやすく、初心者にはうれしい。
しかし、やはり言葉が難しく、半ば意識が遠のくことも・・・
あのような単純な舞台装置にして、人間の情念の世界を頂点まで盛り上げる点では、やはり何か形式の極みというか、芸術の奥深さみたいなものが感じられた。能はロックだと言ったのは、かの北野武氏だそうだが、純粋に唄と音曲だけで世界が完結しているという点で共通しているかも。

もう少し勉強してみたいなと思いました。

ヴェネツィア展

2012-01-16 | レビュー
2012/01/15

名古屋市博物館、ヴェネツィア展に行ってきました。

http://www.museum.city.nagoya.jp/tenji111222.html

暗黒の中世ヨーロッパにあって、ダントツにいけてる国ヴェネツィア。中世から近世にかけての隆盛ぶりが、東方趣味なお宝に見受けられました。今でこそ世界への窓口はネットと言われますが、時代を遡るとそれは海上交通であり、強さはすなわちいかに航路を制するかにあったと言えます。そしてその商人魂ときたら、十字軍までも利用してしまうほどの現実主義。たくましい。理想を追求すれどもおぼつかない万年理想主義者に対する、大阪の橋下氏を彷彿させるドーシェ達。はたまた、堺の武器商人、古くは、白河上皇の犬から身を起こした平家一門のことも思い出す。

塩野七生著「海の都の物語」をさらに読み進めようと思う。


ビットーレ・カルパッチョ「サンマルコのライオン」1516年
海に後ろ足をつけた翼のあるライオンは、ベネツィアのシンボル。


「ヴェネツィアの眺望」1950年頃


ジョヴァンニ・ベッリーニ 「聖母子」1470年頃


カナレット  「柱廊のあるカプリッチョ」1765年



ピエトロ・ロンギ 「香水売り」1752年
仮面で身元を隠し遊興にふける貴族たち







ウィーン・ワルツ・オーケストラ

2012-01-14 | レビュー
新年 明けましておめでとうございます。
2012年元日の日の出


ニューイヤーコンサートに出かけてみました。
新年を明るい気分で迎えたくて。
愛知県芸術センター コンサートホール



指揮 サンドロ クトゥレーロ
ソプラノ  アネータ ミハリョーワ



歌あり、ダンスあり、チェロのソロなどの演出もあり、
透明感のある、「南国のバラ」で本当に幸せな気分になりました。

〆はお馴染みの、美しき青きドナウ ラデツキー行進曲
手拍子打っていると何とも楽しく、良い年になりそうな気がしました。

クラッシックは間口が広いのが魅力なんだと思いました。
「クラッシックが分からない」なんて、きっと気持ちにゆとりのない人の物言い。
いい音楽を味わうには3分じゃ短かすぎる。
やはり時間を忘れてホールで聴きたいものです。

劇団四季 WICKED

2011-11-17 | レビュー


緑の魔法にかかちゃいました
いや~よくできたお話でした。
OZ歴長い私としましては、良い魔女、悪い魔女はじめ、おもなキャラクターの誕生秘話がぜーんぶわかって、積年の謎が解けた気がして、すっきりしました。
子ども向けのお話では、登場の仕方が唐突で「なんでやねん?」てこと多いですが、このWICKEDですべて解決です。
ありがとうWICKED!



エルファバの悲しみやグリンダとの友情、恋、そして使命感など様々なテーマが語られるなかで、ひとつ、ちょっとうがった見方になるかもしれないけど、これはもしや、アメリカ合衆国のの建国に絡む、アメリカの神話なのではということ。当のOZ大王も「信じれば歴史になる」って言ってたし。OZは、イギリスからの独立を、マンチキン国の不自由な妹ネッサローザを押しつぶすことで語り、善と悪の象徴を配置することによって国を治める。さらにできたての新興国に、ドロシーを使って、勇気・知性・情熱を取り込む必要があったのでは。エルファバはその賢さゆえにOZ国のスケープゴートにされ、プリミティブなものと一緒に無きものにされてしまう。これこそが近代化・アメリカ式合理化であり、近世の魔女迫害と酷似している。
おバカなキラキラグリンダに賢さが加わり、アメリカ合衆国の未来は輝かしく・・・今やアメリカも年をとり、かつてのネッサローザのように思い足枷をはめられているのだけど。

レモネードを作ろう

2011-11-15 | レビュー

レモネードを作ろう
 ヴァージニア・ユウワー・ウルフ/著 こだまともこ/訳

17歳にして二児の母、シングルで失業寸前。ぎりぎりのところで何とか生きてるジョリー。
かろうじてアパートに住んではいるが、当然のごとく家賃は滞納、荒れ果てた生活。
それでも食べていくために働く。そんなジョリーのところでベビーシッターをすることになった14歳のラヴォーン。

ラヴォーンにしても、決して恵まれた環境にはない。母と二人暮らし、大学に行きたいが、今から学費を稼がなくてはならず、
学校のアルバイト募集の広告でジョリーとかかわることになる。

アメリカにもやはり地域格差はあり、ラヴォーンやジョリーの住むエリアは失業・貧困・犯罪・ドラッグ・荒れる若者たちの巣窟である。大学に行く、そしてちゃんとした職業につく。そのことだけがここから抜け出す切符である。ジョリーのようにならないため、ラヴォーンは働く。ジョリーのためではなく自分のために。それなのに、ジョリーが職場を解雇され、次なる職探しのために、無賃金で子どもたちの面倒をみるはめに陥る。

ジェレミー2歳とジリー0歳。排水管の詰まった、異臭漂う不衛生な部屋で、汚物にまみれ、埃をまとってはいずりまわる。
子どもと引き離されるのを嫌い、児童福祉施設に頼ることもしない。そもそもジョリーは、字が読めない。驚くことにまともな教育を受けていないのだ。
養母が死んだあとは12歳から段ボール暮らし。初潮のことも、福祉制度ののことも誰にも教わらず、その日その日を暮らしてきた。
その挙句の、妊娠と出産。ドラッグで妊娠すると勘違いすらしている。
世界一の先進国といわれるアメリカの、高度資本主義社会のなれの果てが生んだ闇。
ラヴォーンが学校に橋渡しをして、ジョリーは教育の機会を得る。教育だけがジョリーを、まともな方向に引き上げる唯一の手段だ。

貧困が絶望や悲惨を連れてくる。貧困はとことん人間を追い込む。でも、きっかけさえあれば、人は自尊心を取り戻すことができる。ちょっとした声かけや、手助け、関心で。無関心でいることは罪なことなのだと思う。

わが子ジリーが誤飲により窒息したところ、ジョリーは覚えたての蘇生法をもって救う。
このことは、彼女の自信となったし、何よりも、ジョリーの母性が守られた出来事だと思う。
ジョリーは、若者本来の熱意を取り戻し、何とか自立への糸口を見つける。

「レモネードを作ろう」とは、ラヴォーンがジョリーに引き合いに出した話。
盲目の母親がオレンジの代わりに、レモンをつかまされ、自分を責めるものの、子どもたちにレモネードを作って飲ませる、という話。
現実をいかに受け入れ、その中で最善を尽くすか、という例なのだろう。

君たちはどう生きるか

2011-11-12 | レビュー
吉野源三郎 岩波文庫


1937年 日本少国民文庫の一巻として出版される。
この年には盧溝橋事件があり、軍部が台頭し、日本はまさに軍国主義へ一直線という時代である。
このような時代にあっても、偏狭な国粋主義や反動的な思想を越えた、自由で豊かな文化があることを伝えたいという思いと、未来を担う子どもたちの中に、人類の進歩についての信念を養い、ヒューマニズムの精神を守るという使命感から山本有三らの呼びかけで、編纂されたものである。

15歳の男子中学生コぺル君が、成長の過程でぶつかるさまざまな社会的矛盾や悩み事に、伯父さんが書簡を通じて応え、心の成長を助ける。

友情・英雄的精神・勇気・立派であることなど、思春期の若者に、いかに生きるべきかをわかりやすく指し示す良書である。哲学や宗教の難解な言葉で煙にまかれることもなく、伯父さんの言葉の数々は、読む者の胸にストンと落ちる。
地中の深いところからでも、ひたすら太陽を目指す水仙の芽のごとく、伸びてゆかずにいられないのが子どもたちなのだろうと思う。

夜と霧

2011-10-28 | レビュー


夜と霧 新版 
ヴィクトール・E・フランクル著 池田香代子訳

原題「心理学者強制収容所を体験する」

ナチス政権下、強制収容所に送られたユダヤ人心理学者の体験記。
収容時のショックから、収容所生活の苦悩、解放後の失意まで、個々の人々の精神状態を克明に描き出している。
収容所の中での生活、それは想像を絶するほどの過酷さと陰惨さである。殴られ、糞尿にまみれ、家畜のごとく労働を強いられる。
飢え・疾病・苦痛・死が常態化した中で、肉体的にも精神的にも追いつめられると人はどうなるのか。
あきらめ・逃避・堕落・自暴自棄・・・
このような極限状態の中でも人としての尊厳を失わずにいることは可能なのか。

まさに人間の真価は、収容所の中でこそ発揮された、と著者はいう。
精神的主体としてどのように振る舞うか。
内的よりどころのないものは脆弱であったと。

どんなに悲惨な生であっても、その苦悩も死も、かけがえのない自分の運命として引き受ける勇気を持つこと。
その唯一性が生に意味を与える。

「人間とは常に何かを決定する存在だ。人間とはガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りの言葉を口にする存在でもある。」

まさに地獄から帰還した者だからこそ語れる真実なのだろうと思う。


ハンス・ペーター・リヒター 「あのころはフリードリヒがいた」

2011-10-12 | レビュー
ハンス・ペーター・リヒター 「あのころはフリードリヒがいた」

 シュナイダー一家はユダヤ人の家族。「ぼく」と同じアパートに住んでいて
フリードリヒとは幼なじみだ。
時は1920年代、「ぼく」の父さんは失業しており、「ぼく」の家は、シュナイダー家のような裕福な暮しはできない。
シュナイダー家の人々はは明るく、幸せそのものと思われた。
 ところが、時代の波に押され両家の立場は逆転する。党の躍進で「ぼく」の父さんは仕事を得るが、やがて
理不尽なユダヤ人差別が目に見えて横行するようになる。 
 ある日「ぼく」はドイツ少年団の集会にフリードリヒを連れていく。ナチス党員の制服やそのたたずまいは
純粋に少年たちの憧れだったから。そこで自ら口にすることになるユダヤ人批判。
 一方でフリードリヒは、差別の中でもなお誇り高く生きようとするユダヤ人の中で、成長していく。13才になり、
教会行事の重要な役目を与えられている。
 ユダヤ人排斥が激化し、フリードリヒのお母さんは亡くなり、お父さんもすっかり元気をなくして、おびえる毎日をすごすようになる。そんな中でもフリードリヒはドイツ人の娘に恋をする。彼女は、ヒステリックなドイツ社会の中で冷静で、フリードリヒを一人の人間として扱う。
お父さんが連行され、フリードリヒは一人になる。ドイツは空爆を受け、フリードリヒは孤独な死を迎える。
 当時の狂気に向かうドイツ社会を子どもの視点で淡々と描いている。フリードリヒと「ぼく」が純粋であるがゆえに、
それを汚す大人の醜さ、戦争の愚かさ、残酷さがひしひしと伝わってくる物語だ。

姜 尚中 「在日」

2011-10-11 | レビュー
姜 尚中 「在日」

在日2世として生まれた著者の自叙伝。
これまで生きてきた中で出会い、姜氏の人生を方向づけることになった人々の生きざまを描き出しながら進んでいく。

熊本の朝鮮人集落の中で生まれ、底辺で生きる人々の悲哀に満ちた暮らしを目の当たりにし、貧しくて弱い朝鮮人であるという自己認識を持つ。
文盲であった母の情緒不安定気味な行動や、おじさんとの触れ合いを、貧しい中でも何か温かみのある思い出として語っている。

青年期に、もう一人の伯父さんに成功者としての朝鮮人のイメージを持つ。この実の伯父は日本の大学を出、戦時中は憲兵であったという。
日本で結婚もしていながら、戦後韓国に帰還し、弁護士として成功を収めている。時代に翻弄され、孤独な最後を迎えることになる伯父ではあるが、在日として自己矛盾を抱えながら生きた例として、氏に少なからぬ影響を及ぼしているようだ。

韓国の軍事政権に対する抗議行動を日本で行う。韓文研という組織に属し、祖国の活動の後衛として活動することに自らのアイデンティティを見出そうとする。
金大中氏の誘拐事件・キンキロウ事件・同じ在日2世の自殺。日本が経済成長し豊かさをわがものとする半面、在日たちの暮らしは常に闇を抱えたままであった。在日をどう生きるか、その手掛かりをマックスウェーバーの宗教社会学に求め、学究の徒となる。

ドイツ留学時にギリシャ移民の子としてドイツに暮らす学生と交流を深める。ドイツの中のトルコ人やギリシャ人、またはユダヤ人といったマイノリティである人々のあり方に在日を重ね合わせる。

日本に戻り、在日朝鮮人の指紋押捺反対運動の先陣を切る。その中で支援活動をする牧師と出合い、
洗礼を受けるきっかけにもなる。
「何にでも時がある」と教えられた言葉が印象的だ。

その後は、大学の講師や助教授を務めつつ、著作やメディアを通じて持論を展開する。日朝関係やイスラム主義への共感など、ナショナリストから煙たがられる論客ではあるが、そこにはマイノリティとして生きる「在日」の視点があり、グローバル化した現代、さまざまな民族問題を避けて通れない日本に必要な視点を提供している。

現東京大学大学院教授。