かくれ里探訪シリーズ
湖北 菅浦
琵琶湖は単に日本一大きな湖ではないのである。古くは、日本海から京・奈良の都に至るもっとも便利な交通路でもあった。朝鮮から船を出せば、眠っていても数日で、若狭に到着するという。つまり、渡来人たちの玄関口としても、大きな役割を果たしたと思われる。湖東のある村には、渡来の文化のなごりが見られ、信楽焼の技術なども、大陸ならではのものである。
菅浦という集落がある。湖北はつづらお崎の根元。背後は斜面、西の入り口から入れば、東は行き止まりである。まさに隠れるようにひっそりとした小さな集落である。竹生島は目と鼻の先にある。郷土資料館が休館であったため詳しくは語れないが、琵琶湖を往来する船が行き交う通過点であることから、中世の朝廷ともゆかりのある趣深い歴史を持つ。ごく最近まで排他的な村として知られ、村の入り口には、四足の門という、監視のための門がしつらえてあり、何やらただならぬものを感じる。
ここに一風変わった神社が祭られている。「須賀神社」
貴人の陵墓と思しきものが存在し、祭神は淳仁天皇となっている。いわれは「かくれ里」に詳しいので割愛するが、驚くのは、参拝に際しては履物を脱ぐという真摯さである。もっとも神聖な場所に参るのだから、当然と言えばそうだが、2012年の現代には、幾分面食らう。神を畏れる気持ちや信仰心の篤さとは、まず、こういう小さな所作にあらわれるものである。
湖岸ならではの静かな浦は、物音も無く、まるで時間がとまったようでした。
湖北 菅浦
琵琶湖は単に日本一大きな湖ではないのである。古くは、日本海から京・奈良の都に至るもっとも便利な交通路でもあった。朝鮮から船を出せば、眠っていても数日で、若狭に到着するという。つまり、渡来人たちの玄関口としても、大きな役割を果たしたと思われる。湖東のある村には、渡来の文化のなごりが見られ、信楽焼の技術なども、大陸ならではのものである。
菅浦という集落がある。湖北はつづらお崎の根元。背後は斜面、西の入り口から入れば、東は行き止まりである。まさに隠れるようにひっそりとした小さな集落である。竹生島は目と鼻の先にある。郷土資料館が休館であったため詳しくは語れないが、琵琶湖を往来する船が行き交う通過点であることから、中世の朝廷ともゆかりのある趣深い歴史を持つ。ごく最近まで排他的な村として知られ、村の入り口には、四足の門という、監視のための門がしつらえてあり、何やらただならぬものを感じる。
ここに一風変わった神社が祭られている。「須賀神社」
貴人の陵墓と思しきものが存在し、祭神は淳仁天皇となっている。いわれは「かくれ里」に詳しいので割愛するが、驚くのは、参拝に際しては履物を脱ぐという真摯さである。もっとも神聖な場所に参るのだから、当然と言えばそうだが、2012年の現代には、幾分面食らう。神を畏れる気持ちや信仰心の篤さとは、まず、こういう小さな所作にあらわれるものである。
湖岸ならではの静かな浦は、物音も無く、まるで時間がとまったようでした。