びぼーろぐ

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白山文化の里

2012-08-28 | お出かけ
白山文化の里を訪れた。

 富士・立山と並ぶ三霊山の一つ白山。
越前の僧・泰澄により開山され、以後白山信仰が形作られていく。平安時代に、加賀・越前・美濃側それぞれに登拝拠点の馬場が設けられ、白山長滝寺は、白山中居神社を経る白山禅定道の基地として発展した。

 神話的にも伝説的にも謎や逸話に満ちて、興味は尽きない白山文化。遠い昔、この地域が、一大栄華を誇り賑わっていたに違いないことは、残存する文化財を見れば、一目瞭然である。

 例によって、習合であった白山中宮長滝寺だが、明治維新の神仏分離で、現在は、白山長滝寺及び長滝白山神社となっている。




 白山中居神社
景行天皇の御世に創建。古代祭司場の磐境(大岩)がある。祭神は、菊理媛神その他。
拝殿の彫刻は江戸時代。井波彫刻との紹介がある。


 石徹白大杉
樹齢1800年。周囲約13メートル。弥生時代?! 今もわずかながら葉を茂らせ、生きておられます。


 阿弥陀ヶ滝
マイナスイオンたっぷり。日本の滝100選の一つ。かつての修験者たちの修行の場であったという。






東電OL殺人事件

2012-08-22 | レビュー
東電OL殺人事件 佐野 眞一  新潮文庫

ノンフィクション
1997年、渋谷区円山町のアパートの一室で、東京電力女性社員が何者かによって絞殺された。被害者の女性が、昼間は東電の女性管理職社員でありながら、夜は娼婦であったことから、ワイドショー的に注目を浴びた。その事件を追う。
 原発事故以来、何かと注目される東京電力の裏側や話題の人物が登場することから、再度脚光を浴びている本だ。同時に、当時容疑者として逮捕されたネパール人のマイナリ氏が、つい最近15年ぶりに冤罪が認められ、釈放されたことでも話題になった。いずれにしてもホットな話題満載である。
 渋谷区円山町からネパールの山奥まで、まさに体を張った著者の取材には説得力がある。著者の執念とも言うべき取材活動に比べて、警察・検察・裁判所のお粗末なこと。人権も守られない、公正な判断もない。うっかり捕まったら、終わりだ、これは、と思った。
 土地の歴史・近現代史として読んでも興味をそそられる。そして何よりも気になるのは、依然謎のままの被害者女性の心の闇。著者は取材と同時に、戦後及び狂乱の時代に光を当てることで、想像するに足るファクターを与えてくれている。

私家版・ユダヤ文化論

2012-08-22 | レビュー
私家版・ユダヤ文化論 内田 樹 文藝春秋

今、日本でもっとも信頼のおける思想家と言われる著者。「下流志向」「14歳の子を持つ親たちへ」(名越康文氏と共著)他
ユダヤ人はなぜ知性的なのか、なぜ迫害されるのか。サルトル・レヴィナスらの思想を追いながら考証する。

以下、抜粋

 ユダヤ人差別には現実的な根拠が無い。あるのは幻想的根拠であり、その根拠が存在する限り差別は無くならない。
ここでいう幻想的根拠とは「ユダヤ人がイノベーティヴな集団であり、イノベーティヴな知的思考傾向を伝統的に持つ民族である」と非ユダヤ人からは見えてしまう、いうこと。(イノベーティヴとは、懐疑し、改める知的努力)
 たとえば19世紀、革命後の動乱期のフランスあるいはドイツには、近代化の不安があらゆる階層に渦巻いており、近代化の象徴ともいえる職業を持つユダヤ人をスケープゴートにすることで、溜飲を下げる反ユダヤ主義が起こった。この反ユダヤ主義はファシズムの台頭に少なからず影響を及ぼした。

誰かをスケープゴートにする構図。ナショナリズムな世論。ファシズムに向かう流れが、今日も繰り返される。

非ユダヤ人的人間とユダヤ人的人間の違い
「私はこれまでずっとここにいたし、これからもここいる生得的な権利を有している」と考える人間と
「私はここに遅れてやってきたので<この場所に受け入れられる者>であることをその行動を通じて証明して見せなければいけない」と考える人間の、アイデンティティの成り立たせ方の違い。

どう考えてもユダヤ人的思考の方が実存主義的だし、現代的だ。結局どちらも普遍的な、人間の矛盾する両面ということか。

バーン・ジョーンズ展

2012-08-11 | レビュー
バーン・ジョーンズ展-装飾と象徴
東京丸の内 三菱一号館美術館



 丸の内のオフィス街に、オアシスのように佇む素敵な美術館。設計された年代(1894年コンドルによる)といい、風格といい、まさにこの展覧会を開催するにふさわしい。



バーン・ジョーンズ
 バーミンガム生まれ。絵画史的には、ロセッティやミレイなどとともに、ラファエロ前派に属する。アーツ&クラフツ運動で有名なウィリアム・モリスは生涯の友人。神話・宗教に題材をとる作品が多く、幻想的かつ装飾的な表現が魅力。人物がやたらリアルなところも、作品に引き込まれる理由かも。

↓ 展覧会HP
http://mimt.jp/bj/

《果たされた運命-大海蛇を退治するペルセウス》-連作「ペルセウス」1882年頃 サウサンプトン市立美術館

《眠り姫》-連作「いばら姫」1872-74年頃 ダブリン市立ヒュー・レイン美術館

ベルリン国立美術館展

2012-08-08 | レビュー
ベルリン国立美術館展 国立西洋美術館(2012/08/08)

 目指すは、フェルメール「真珠の首飾りの少女」
まだ若干あどけなさの残る少女が、おそらくは海運貿易商である父から贈られたであろう首飾りを身につけて、うっとりする場面。当時はまだ珍しい東洋の海ででしか採れない真珠の輝きに魅了されている少女の初々しい感じが何とも言えない。鏡の前に走りこんだその息遣いや体温までも伝わってくるようだ。(想像です。)
 耳飾りの少女も美しいが、こちらも隅に押しやるわけにはいかない逸品だ。


 デューラーやクラナッハ、レンブラントなど北欧の代表選手の作品群と、同じくドイツの彫刻家と言えばこの人リーメンシュナイダー。またまた聖ゲオルギウスの登場。


ミケランジェロやボッティチェリの素描が目を引いた。

 約20年ぶりの、国立西洋美術館。ムンクの大作「雪の中の労働者たち」に再会した。当館の目玉、ルノワール「帽子の女」が印象に残った。日本にあること、結構自慢していいんじゃない?ただただ美しく幸せで、嫌味がない。しかも洗練されてる。女性として心から憧れてしまう。「愛」に満ち溢れた作品だと思う。

ドビュッシー、音楽と美術

2012-08-07 | レビュー
ドビュッシー、音楽と美術ー印象派と象徴派のあいだで
ブリジストン美術館(2012/08/07)

 ドビュッシーのことはよくわからないのだけど、所蔵作品にも興味があったし、出かけてみた。
 ルノワール・マネ・モネといった印象派の巨匠の小品。点描と日本趣味といったお馴染みの感がある中で、今回目を引いたのが、モーリス・ドニの作品。ナビ派といわれるグループに属し、絵画は単なる色彩の寄せ集めだなんて言ったそうだけれど、平面的なその絵はまさに異世界だ。ルノワールが命をいとおしみ、「生」を写し取ることに邁進しているとすれば、ドニの方は、その洗練された画面の中で、「死」をも同時に描いているのかもしれない。

↓展覧会HP
http://debussy.exhn.jp/ex01.html

モーリス・ドニ「ミューズたち」1893年 オルセー美術館


エドゥワール・マネ「浜辺にて」1873年 オルセー美術館