学長のひやかし

本(もと)はみな たれもの晒しの白木綿 
染めつよこれつ 末はいろいろ

地震報道に思う。

2004年10月27日 | boyaki
 今日の長岡での救出劇をテレビで見て、
自分のことのように神に祈った方も多いだろう。私もそのうちに一人だ。

○矛盾
 最初に放送が始まった頃には3人無事!や生命反応が3人分する、女性の声がするなどと報道され
遺族をはじめ多くの方が喜んだ。そして長男が奇跡的に助けられ、その後も無事に・・・、
と行くはずが待てど暮らせど出てこない。その後脈のない母親が出され(死亡確認)、翌日には
長女の死亡も確認された。最初の放送はいったいなんだったのだろうか。人間は最初に大きな希望
を持たせられると、後でそれがかなわなくなっっときの落胆は非常に大きい。他人である視聴者でさえ
落胆したのだから、遺族の落胆は計り知れないだろう。
 どうしてこのような事が起きたのかというと、どうもマスコミが東京消防庁など
の現場担当の公式情報を待たず、不確実な情報ばかりが先走りしたようだ。もはや、前の情報は誤報でしたではすまない。遺族の感情を思いっきり壊した報道体制を問題視せずにはいられない。

○災害報道のあり方
 中継を見ていて思うのだが、いくら大災害、大事件とはいえ全局そろって同じ場面を
放送するのはいかがなものかと思う。別に通常番組を放送しろと言っているのではない。
 私が思うにこういった非常事態の場合、NHKと民法1,2局だけ報道特別番組に切り替え、
他は別なことをしたほうがいいと思う。報道特別をしない局も人員を報道特別をする
局に貸し出し、より質の高い、正確性のある情報を提供していただきたいと思う。
こんなときには、視聴率やら出演者のギャラなど問題にしている場合じゃない。
日本全体が一丸となっていかなければならない。

○ワイドショー
 これも上の話と関係するのだが、全テレビ局が毎日のように地震関連の報道をしている。
大災害ゆえあたりまえなのだが、中には行き過ぎではないかというのもちらほら見られる。
例えば避難所のインタビューなんか、避難や不眠で疲れているのに地震や余震の感想を
言わせたりと地元民には迷惑なのではないかと思ってしまう。また、カメラに写されている
という見えない緊張感で落ち着かない方も多いだろう。避難所の生活風景を伝えるのが
大事なのは重々承知しているが、人間が関わる場所だからこそ、報道関係の立ち入りを
制限(局を絞るか、日替わりにするか)して少しでも休める環境を作ってもらいたい。
 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。