勝手な奴らにモノ申す!!ボンクラジジィなんかに負けへんで!!!

人でなしのうすらバカのボンクラ糞夫婦にあり得ない文句を言われ、介護から一切、手を引いたけど(--〆)

これからの介護を考える

2011-11-22 22:52:22 | 介護
今日はうすらバカのボンクラ夫婦は揃って仕事場に行く日
日に日に行動が“認知症でございます”って動きになっている。

この前の病院の時にも今までにないジジィの行動
今までトイレに行こうが何しようが知らん顔だったのが、この前の病院の時にはババアがトイレに行ったあと、ジジィが確認の為なのか入った様子と言う事は、長年行き慣れていた上のトイレでもきちんとできなくなっている可能性大。

この2カ月足らずで、歩き方、風貌全てが普通で無くなってきた

8:30には一応出かけ16:00には戻ってきたがまた物に当たり散らす音

17:00には飲み屋に出て行きやがた

我家の夕食

 魚介と彩り野菜のバジルソースパスタ・ベビーリーフサラダ

今日はカラオケは無いのかI さんも来ない

介護をしていて思った事が…
在宅介護をしていると“家で面倒看てるって偉いね、みんなすぐに施設を探すのに”って言われた事無いですか?

そうやって言われる事で、いつの間にか“施設を探すのは良くない。自分の我慢が足りんからや。ギリギリまで家で看なければ。”って事に繋がってしまってるんかなぁ…って思う事がある(私だけかなぁ…)

みなさんそれぞれに家庭の事情があって、その中で、できる限り、いやそれ以上の事をしてると思う
確かにそこで色んな理由から、面倒見れなくなって施設入所を考える事も多々あるのだけど、それって悪い事じゃないし、それが一番お互いにとって良いという事だってある

崩れてしまう事が最初から解ってるとか、どうしようもない事情で、初めから施設入所を考える人もいてると思う

考えてみたら、うちのジジィなんて確かに形としては自宅介護やけど、これって介護って言えるって状態
ただ家に閉じ込めて放置してるだけ
私たちや隣近所の方は解ってても、仕事場や外に出てしまえば形だけは“自宅介護をしている夫”な訳で、施設入所を考えてる人と、どっちが人として相手の事を考えてるのと思う

できる限り住みなれた所でと言うのも優しさ…

自分たちの家で子どもや孫たちに囲まれて過ごさせてあげようと思うのも優しさ…

みんなしっかりと病気の事を理解し少しずつ何かを我慢したり、協力したりしながら踏ん張らないといけない…

そして一緒にいて許容範囲を超えてしまった時には、施設を探してあげて入所させてあげる事も優しさなんじゃないかな思う…

私の言い訳かもしれないけれども…
今の私は、本当に心からジジィが頭を下げない限り、きっと期限を切ってくれなければババアの在宅介護はもう無理だと思う

人からどう見られるじゃ無く、自分たちがどうしたいか、どうしなければならないのかを一番に考えるべきなのかと思う

介護の現場は人手不足で格差も大きく問題もあるだろうけれども、だからと言って家族が壊れていくのをそのままにしておく訳にはいかない…

私たちの世代よりも、子ども達の世代はもっともっと深刻な問題になってくるであろう介護の問題…

高齢化社会だからと言って、定年の年齢を延ばすことばかり考えるのではなく定年後スライド式に介護の現場に携わって行くようなシステムができないものかとも思ってしまう…
確かに力仕事もあるけれども、それをサポートする物を開発する力くらいあるはず
そうする事で、企業の若返りを図り、定年後の方々ならこれからを担う働き盛りの人たちほどの報酬で無くても良いわけだから、介護現場の人手不足を補いつつデイサービスやショート等の施設をはじめとして、介護施設全体の充実を図って、介護に携わる家族の精神的負担を軽減して行くって事につなげられないのかな…