昨日、話題になっている、アレクサンドル・ソクーロフ監督の昭和天皇を描いたロシア映画「太陽」を見に行って来ました。映画の感想と、世界のポスター画像集めは、こちら「太陽」世界のポスター集めと感想
さて、私も昭和生まれです。私の両親は戦前産まれですし、一緒に祖母も暮らしていたので、たまに第二次世界大戦のことは聞くことはあったものの・・、あまり知識が多い方では全然無かったわけです。私の持っている昭和天皇のイメージとは、手を振ってニコニコしてる姿くらいで、あとは子供の頃「はだしのゲン」で描かれている内容・・・とか、位でした。
さて、時は遙か17年前に遡り、1989年(昭和64年)長らく患われていた病気より、昭和天皇がお亡くなりになられた時、私は旅行先の北アフリカモロッコの確かカサブランカにいたのでした。
街のカフェで、日本人らしき私に、回りのモロッコ人が、新聞を見せて「大変だよ!」と教えてくれたんです。その時、私は、びっくりする質問をされて、困りはてた事を、久し振りに思い出しました。
「彼の名前はなんて言うの?」
「えっ・・・昭和天皇だけど・・・」
「そうじゃなくて、本名だよ」
「ひろひと・・・だったっけかな」
「名字は?」
「えっ・・・・・・」→知らなかったことに気がつく自分・・・
「解らない・・・あまり使われないし・・・」
「えっ それは、君、バカというしかないよ!自分の国のエンペラーの名字を知らないなんて!!」
と、異常に冷た~~~い視線が・・・
ちなみに、昨日、旦那に聞いてみたら、やっぱり名字は知りませんでした。少なからずの日本人が、あまりに有名な昭和天皇の名字を知らずにいたってのは(と決めつけてますが・・(^^;)、確かに、ちょっと不思議な事ですな・・・
調べたところ、みちのみや という称号らしいです・・・
昭和天皇 1901年(明治34年)4月29日~1989年(昭和64年)1月7日
日本第124代天皇。名は裕仁(ひろひと)。
1901年(明治34年)4月29日、大正天皇と貞明皇后の第一皇子として青山の東宮御所に誕生。称号は迪宮(みちのみや)。
ちなみに、今の天皇陛下は、継宮明仁親王(つぐのみや あきひと)という名前らしい。知らなかった・・・
1933年(昭和8年)12月23日~) - 第125代天皇・今上天皇
以下は、映画「太陽」を見ながら、恥ずかしながら、よく歴史を知らず、一体終戦時って、昭和天皇は、何歳頃だったんだろう?と思い、自分の為に調べてみました。
1926年(大正15年)12月25日、大正天皇の崩御(死去)により践祚し、昭和に改元。第124代天皇及び陸海軍大元帥となる。
1941年(昭和16年)12月8日、太平洋戦争開戦。
1945年(昭和20年)8月15日、太平洋戦争終結を告げるラジオ放送(玉音放送)により、歴代天皇の中で初めて国民に天皇の声を聞かせる。
1989年(昭和64年)1月7日・午前6時33分、十二指腸乳頭周囲癌により崩御(死去)、87歳。
Wikipedia より
というか、名前すら何だったかな?と思うことがあります・・・(恥)
以前、台湾に行ったときに案内してくれた台湾人の友人が台湾の歴史や、政党のしくみなどを説明してくれたことがあります。
もし彼女が日本に来て、私が日本の名所を案内しようとしてもたぶん、皇居の説明とか、日本の歴史の説明なんて絶対できないなあ。
そう考えると、日本人って日本のことあまり知らないですよね・・・
珍名さんとかいっとき集めてたなあ(意味もなく)。
天皇家は、確か日本で唯一名字がないはずです。
名字はお上が下の者に授けるから。
天皇より上っていませんよね?
勝手に名乗ってたのもいたようですけど。
あーでも、「絶対!」じゃないので、あしからず。
いい加減寝ます。
うわっ・・・良かったhoneyさんも、ご存じなかったんですね(^^;)
確かに!
日本人って日本のこと、あまり良く知らないという、不思議な処がありますよね・・・
台湾は、アジアでは珍しく(爆)、割と日本に良いイメージを持っている方も多い様で、ありがたい限りです!私も、是非台湾に行ってみたいです~。一杯美味しいもの食べて、お茶飲んで~街散策したいです☆
あら!!コメントの時間、もう朝じゃないですかー!!たっぷり睡眠取らねば~イカンですよー。
>天皇家は、確か日本で唯一名字がないはずです。名字はお上が下の者に授けるから。
おおおお~~~!!!そうでしたか。いや~、ほんとお恥ずかしい
教えて下さってありがとうございます!一つお勉強になりました☆
funiさん~お忙しいところ、ありがとうー。
初期の頃行き来していた方の多くが、次々にブログ閉めて行かれちゃって・・・。funiさんもお休みされると聞いて・・・
でも、またfuniさんちが復活する日を楽しみに待ってますよー!
新聞とっていなかったし、テレビを見ていなかったので、新学期(3学期性なのです)が始まるまで、平成になったことに気づきませんでした。
それには流石に友達もあきれていました。
来年から会社に「平成生まれ」の社員が入社するので、月日が経つのが早いものです。
hideさん、昭和天皇が亡くなった時、大学の勉強が忙しくて、気がつかない程だったなんて!
それにしても、テレビと新聞を見ないで生活していると、気がつかないものなのですね~。確かにそうかもしれません!
それにしても、新学期になるまで気がつかなかったとは(何日あったのかは、解りませんが(^^;))それは、お友達もビックリされたかもしれませんね
えっ!平成うまれの社員が
そうかぁ・・・今年はもう平成18年なんですもんね・・・。ついこの前平成になった気がしている自分。。。
……現在の天皇は、立憲君主です。それは、イギリス、オランダ、スエーデン、ベルギーなどの国王と同じです。
さて、太平洋戦争に敗れた日本において、G.H.Q.(=General Headquarters:連合軍総司令部)のマッカーサー将軍は、昭和天皇に会見することにします。
マッカーサーは、当初、昭和天皇が命乞いするものと思っていた。ところが、昭和天皇はマッカーサーに言いました。
「自分はどうなっていもよいから、国民を助けてほしい。」
マッカーサーは、日本統治のためには天皇制を存続させたほうが良いと考えていた。しかし、上記の言葉で、考えが確信に変わった。
専制君主が、自身よりも国民を優先した、という歴史上初めての事態だった。
そうして、G.H.Q.草案の日本国憲法により、天皇は日本国の象徴になった。しかしながら、平安時代以降の歴代天皇で、象徴的存在でなく実質的な存在であった天皇というと、後醍醐天皇と明治天皇くらいだけだったのではないか、とも思えます。
天皇制が長く存続している理由は、大昔から、世俗的権威ではなく抽象的権威になったからかもしれません。
こちらにもコメント、ありがとうございます
こんな記事をアップしていたんだなあ・・・と懐かしくもあり、とても恥ずかしくもあり・・・
>「自分はどうなっていもよいから、国民を助けてほしい。」
このエピソードは私はつい1,2年前に知りました。この記事を書いた時は知らなかった事です。
ホラチウスさんは、歴史ものにも、とてもお強いですねー
とおだてられたので、ついでに申し上げます。
昭和天皇のお名前が迪宮(みちのみや)裕仁、というのを知らなくて、モロッコの人々にバカにされたみたいですね。でも、気にする必要はありません。これは、欧米社会と日本文化の違いが如実に現れたのです。
日本では、当人をその本名で呼ぶのは、礼儀に反するのです。
日本では、その人を苗字に「さん」を付けて呼ぶのが一般的です。さらに言えば、会社では目上の人は肩書き(例えば、課長、部長)だけで呼び、苗字で呼ぶことさえ差し控えられます。
極端に言えば、小生が苗字でなく名前で呼ばれたとすれば、小生は肩書きも飾りも剥ぎ取れれて、裸にされたような気分を味わうでしょう…。
小生が、小生の名前を呼び捨てられたとすれば、それは、小生が何か悪さをして、その結果、親父に怒られる場面しか想定できません。
つまり、日本文化では、当人を本名で呼ぶことは、無礼で慎みのない禁忌としているのです。
それで、昔の武士階級では、普段は通称(あざな)を用い、本名(いみな)は使わなかったのです。
それで、天皇を、そのご本名で呼ぶことは、畏れ多いことであり、宮内庁としては、天皇のご本名を国民に周知徹底させる必要はない、と考えているのでしょう。
それに、日本では昔から、「言霊(ことだま)信仰」があります。言霊とは、言葉には霊力が宿る、という考え方です。要するに、言葉に出して言うと、とりわけ凶事は、実現してしまう、という信仰があります。
ですから、当人を本名で呼ぶことは、とんでもない事になる、と考えたのでしょう。
欧米社会には、上記したような慎みはありません。事実をありのままに見る、これですね。
そうでしたか。とてもお勉強になりました。
とはいえ、こういう風にしっかりとした日本の歴史、ならわしなどの背景を知っていたならば、説明も出来たのに・・・。