サルサバンドLATIN FACTORYのブログ
EL WEBLOG DE LATIN FACTORY
ライブのお知らせ(被災地支援ライブ at GINZ)

既に今週末の企画となりましたが、ライブのお知らせを再掲します。今回は、3/11の東北関東大震災をうけて、当初の企画を変更して被災地支援ライブとさせていただきます。当日の収益は全て被災地への募金となります。皆様のご来場をお待ちしております。
今回、個人的にバタついたものですから、ついぞフライヤーの作成までは手が回りませんでした。この場をお借りしてお詫び申し上げます。
4/3(日) Live house GINZ
Charge : ¥2,000-
17:30
OPEN
18:00~
Big Band Session LIVE!!
19:00~
GeeNoiseゴスペルクワイア
20:00~
Latin Factory
お問い合わせ
GINZ(ギンズ)TEL&FAX 042-489-1991
またはこちらまで
昨晩はいつになく静かな夜を過ごしました。今後、これまであまり機能していなかった防音室の真価が問われます(笑)。とにかく収拾がつかなかった布団や衣類・荷物などを片付けて、本来の業務を全うする所存にございます。嗚呼、あと何回洗濯したら良いんだ orz...
Editor CABEZÓN


旅立ちの日

先月の転居は、当初2/18中に終わる予定だったのですが、清掃その他を含めて2/19の夜遅くまでかかってしまいました。座敷童たちは、その後CABEZÓNの新居に移り、夜遅く10時過ぎに近所の中華料理店で食事をしました。
あいにく座敷童2は腹痛を訴えていました。また、時間も遅かったので座敷童1が食べたかったごま団子の注文さえも出来なかったのです。
そのときに約束しました。「東京を離れる前に必ずここに連れてくる」。あれから一ヶ月あまり、学区外からバス通学、震災の夜を二人だけで過ごしたこともありました。先日の旅行も記憶に新しいところ。よく頑張ったと思います。
昨日はその東京で過ごす最後の夜。座敷童1が目の検査のために遅くなったのですが、なんとか約束をかなえてあげたいと、その遅い帰宅後に店に向かったのです。
いわゆる中華料理店となると、ライブの後に来る機会が一番多いような(笑)
今回は座敷童2も絶好調だったので、随分と食べていたなぁ。これ、ラーメン一杯を平らげた後w
その座敷童2が前回食べられなかった、中華おこげの牛肉何タラをリクエスト。
思い残すことなく沢山食べてくれたかな・・・
最後は座敷童1待望のごま団子
これでしつこいまでのリクエストが終了するw
今朝は良く晴れていました
出発点は新宿のバス乗り場
飛行機と違ってあっという間に準備が整った
あっさりした出発だったな・・・
座敷童たちよ、元気で
Editor CABEZÓN


時は流れる

震災報道も落ち着きを見せ始めていた3/17の夜、座敷童たちが寝静まった後に何気なくテレビをつけると、良く見慣れた店内の様子が映し出されていました。ちょっと見ただけで、すぐに国分寺の定食店のあかぎだとわかったのですが、なぜ取材されているかを知りたく、しばらく見続けたところ、寂しいことに閉店だということでした。飲食店の盛衰は激しく、かつて良く行った鷹が閉店したのは既に6年前のこととなります。
今思えば、公私を含めてよく利用したものです。その鷹が閉店したと知り、学芸大学での演奏後に入ったのもこの店でした。
ka-tanが企画した花見の後、モントゥナー家を経由して帰ったときに、座敷童たちを連れてぶらっと寄ったこともあります。
さらにはPTAの集まりでも。この時の自分の惨状は、その後現在に至るまでの予告だったような気がする(笑)。
監禁からの帰り道すがら、たまにはこんなところで夕食も良いなぁ、などと何度通り過ぎたことか。サイト「いちゃりばちょーでー」によると、自分が府中に移ったその日まで営業していたらしい。今となっては、帰りに寄ることも出来ない場所にいるばかりか、その店そのものが閉店してしまった。人間、やりたいことをやれるときにやっておいた方が良い、、、だろうな。うん、多分そうだ。
昨晩は座敷童たちのリクエストでカレーを。昨日のカシミール風は結構良い線を行った気がするぞw そして、何よりも自分の作ったカレーを食べたいとリクエストしてくれる座敷童たちに感謝。
Editor CABEZÓN


週末の過ごし方

3/26は、座敷童2のサッカー練習最終日
記念品や沢山のメッセージ
サイ★リアでお別れ会
3/27はごくごく身近な関係で中華料理屋へ
その後は寿司屋へ行って
看板寸前だったのに入れさせていただいた。気がついたら座敷童たちはこんな良いものを喰っているし(笑)
自分たちもと、イクラ・ウニを。新鮮なネタは良いですな~
Editor CABEZÓN


小さな旅 Vol.6

帰りも蒸汽列車の旅でした
座敷童1、食い過ぎで腹痛w
来るときの列車を引っ張ったC56
ちなみにこんな機関車が後押しをしています
ロイヤルエンジン C11 190
この機関車にはお召し列車を牽引するという輝かしい実績があります。今回の列車牽引はこの機関車。数多い国鉄制式蒸気機関車の中でも成功を収めた形式です。現場での使い勝手が良く、国鉄だけで381両、私鉄も含めると401両製造されました。同じ復活蒸気機関車ですが、こちらの調子はすこぶる良く、客車5両を引っ張る力があります。ですから、帰りの列車は補機の無い純粋な蒸汽列車。
乗務員の許可を戴いて運転室に。石炭をくべて蒸汽を上げると直視できないくらいの炎が上がるのだそうです。
小型の蒸気機関車は、コンプレッサーの排気も独特ですね。
それでは、出発します
機関車の次位の客車だったので、その音までもが良く聞こえました。行きの列車ではシンダで苦しんだ座敷童1、トラウマになりそうだったそうですが、帰りの列車で改めて蒸汽列車の旅を満喫。
気がついたら座敷童2の顔が煤でひどいことにw
千頭に着いたときには16時を回っていました
しかも、接続の良い列車が切符を手配している内に行ってしまった orz...
さすがに鈍行を乗り継ぐ気力もなくなり、静岡から新幹線に乗ることにしました。
蒸汽から新幹線、その時代の流れはすさまじい(笑)
品川経由でしたが、何とか21時前に到着しました。
帰宅後も興奮して話す座敷童たち、、、連れて行って良かったと思えるひととき
佳き想い出として座敷童たちの心に残りますように
Editor CABEZÓN


小さな旅 Vo.5

翌日の朝食も結構な量でした。座敷童2食べきれず・・・
部屋に戻ってから座敷童1に襲撃された(笑)
寸又峡温泉からのバスの便は1時間に一本。
しょうがないのでおみやげを買ったりソフトクリーム(抹茶ミックス)を食べたり。
千頭駅に着いてからSL資料館に入りました。
さらには座敷童1の要望で音戯の郷へ
最大級といわれるオルゴールはいまいちだったなw
そして昼食。座敷童1がどうしてもヤマメの塩焼きを食べたいというので・・・
ハイエナのようだ・・・
次は思い出深いSLの旅・・・
Editor CABEZÓN


小さな旅 Vol.4

宿は古ぼけた洋風のつくりでした。部屋は純和風でしたが(笑)
美肌効果があるといわれている寸又峡の温泉。CABEZÓN自身は、子どもの頃親に買ってもらった鉄道雑誌で、昔から名前だけはよく知っていました。しかし、全国に知れ渡ったのは金嬉老事件によってなのだそうですね。
小さいながら露天風呂もありました。何といっても泉質が良いです。少しつかっているだけで、肌がツルツルになります。もともとは、明治時代からの湯山地区にあった温泉地区が大間ダムの建設で沈んでしまったため、1962年にボーリングにより泉源を開発されたそうです。湯ノ花もたっぷりで、スーパーてぶろんまにあ以来の充実した気分に浸れました。
次はお食事・・・
山の幸たっぷりという御膳は・・・
こんな感じ
座敷童2は小学生なので
子ども用の中で大人に近い御膳をたのんだのですが
違いがあるといえば、デザートくらい
特にわさび漬けは旨かったな~
というわけで
CABEZÓNは米もたのんでいないのに
ハラ一杯になってしまいました
この展開は一昨年のガッシュ君みたいだw
リハがあるわけでもないので楽しく飲みましたが(笑)
ところが座敷童1は完食!こっちがビクーリしたw
というわけで、食後に部屋に戻ってからも・・・
また湯につかったりと楽しく過ごしたそうな・・・
Editor CABEZÓN


小さな旅 Vol.3

障害物が無くなってくると、こんな感じに編成全体を見渡すことが出来ました。旧型客車は、見た目もゴツいですが、車体重量も結構重いのです。車体に沢山木材がつかわれていますが、中には台枠より上側をほとんど木製で竣工した車両もあります。その昔におこったいくつかの事故で、車体が金属台枠で粉々に砕かれ、沢山の犠牲者を出した教訓から、それらの車両は鋼体化(金属で車体外側を作り直した)されました。近代車両のように、車体全体で強度を保つ技術が確立されていなかったのです。
そうこうするうちに、終点の千頭に到着
実は座敷童1、シンダが目に入って涙目w
(シンダとは煙突からはき出された石炭のカスのことです)
駅には全国各地で活躍した車両が留置され、博物館のよう(笑)。左側の電気機関車は西武鉄道をつい最近退役した車両、奥は元京阪電気鉄道のテレビカー。
そして、、、
C56 44
この車両は、太平洋戦争を語る生き字引のような存在。戦時中に、日本軍の鉄道連隊の配属下でタイに運ばれ(実際には部品で運ばれて現地で組み立てられた)、「戦場に架ける橋」という映画に出てくる鉄道を走っていたのです。戦争終末ともなると、生死を共にした機関車が敵軍に渡るのを潔しとせず、ボイラーに弾薬を詰め込んで、時には将兵自らも運命を共にするという「機関車の自決」が数多く見られたそうです。進駐軍が現地を訪れたときには、ほとんどの機関車が破壊、あるいは荒廃した状態だったといいます。
しかし、この機関車を含む数両は、再生した泰緬鉄道に引き継がれ、現地で1980年代まで活躍し続けました。そして、その後現地で動態保存されていたC56の内の二両が、日本に帰国することになったのです。もう一両のC56-31は、現在靖国神社に戦時中の姿で展示され、もう一両のC56-44は、ここ大井川鐵道で動態保存されることになりました。
悲しいことですが、この車両は戦時中の酷使がたたって、あまり状態が良くありません。ボイラーも痛みがひどく、蒸気機関車の命というべきボイラーを、他の機関車のものに交換さえもしているのです。そのために、この機関車は3両程度の客車を引っ張るのが限界だということです。先の列車で、補機(他の機関車の後押し)がついていたのも、そんな理由もあったからなのです(実際に7両牽引は新製時でも厳しいと思いますが)。
キャブ(運転室)では、若手の乗務員がベテランの指導を受けていました。火床(かしょう)を慣らすというやつですね。
こうして構内を入れ替え作業している姿も良いものです。座敷童そっちのけでしばらくかぶりついてしまいましてねw
千頭駅の駅前には、郵便差出箱1号が。さっそくCABEZÓNの写真コレクションにw 身の回りに現役で存在するのですが、観光地だとその存在感も何となく違うような・・・
大井川鐵道は、この千頭駅が終点ではなく、ここから先に井川線が低規格線(いわゆるトロッコ)で伸びています。残念ながら、落石の危険性があるために、現在は千頭~奥泉はバスによる代行輸送になっていました。子どもの頃から、雑誌で見てきた井川線はCABEZÓNにとって羨望の的なのです。
しかし、最初の列車に乗ってから、既に
7時間
が経過していました。さすがに座敷童たちも疲れを隠せなくなっていたので、素直に宿に向かうことにしました。とはいえ、ここから寸又峡までバスで、さらに一時間かかるのですが(笑)
でも、バスの中で熟睡したから、かえって元気になってしまってw
宿に着きました!
さぁ、温泉だ!
Editor CABEZÓN


小さな旅 Vol.2

何とか間に合って座席に着きました。予約が必要な列車なので、全ての座席は指定となります。この日は、翌日が祭日だったこともあり、お客さんが多かったようで、この鐵道としては長大な7両編成の列車でした。先頭に蒸気機関車、我々の乗る車両は最後尾。その蒸気機関車ですが、出力が足りないので一番後ろ(矢印)から電気機関車が後押しをするという状況。
座敷童たちが楽しみにしていた(自分もそうだが)蒸気機関車の姿を車窓から探してみましょう。。。
遠くてよく見えないばかりか、汽笛の音も良く聞こえません orz...
しかも補機(後押し)の電気機関車のモーター音ばかりが聞こえる(笑)
というわけで、もう一つの楽しみの食事を・・・
桜エビのにぎりめしは座敷童たちに大好評でした。
この時代の列車につかわれている連結器は、今の電車のそれと違って隙間だらけなので、先頭の機関車と後尾の機関車の速度がシンクロしないと、間の客車は前に行ったり後ろに行ったりw 激しい揺れを伴う中、黄色い炭酸飲料が倒れないかとヒヤヒヤの連続(笑)
さらに、こともあろうにトンネルの中で信号故障(をいをいw)
蒸気機関車はトンネルの外だったので煤は入ってきませんでしたが
せっかくなので、昔懐かしい客車の様子を見て回りました。
小学生の頃、現在の震災被害地のあたりをこれと同じ客車で移動しました。
あの頃は現役だったので、レトロという言葉が今ひとつしっくりしませんw
それでは車窓の様子をお楽しみください。
電気機関車のモーター音に隠れて、かすかに汽笛も聞こえるはずw
Editor CABEZÓN


小さな旅 Vol.1

生まれたときから見守ってきた座敷童たちとの生活も、残すところ一週間。昨年に磐越西線を訪れて以来、ことあるごとに「蒸汽列車の旅行に連れて行こう」と話していたのですが、何かと日常生活に追われてなかなか実現できないでおりました。その磐越西線ですが、先日の地震の影響で現在も運休が続いています。被災地の現状を考えると、旅行するだけでも心の中に少し後ろ髪を引かれる思いがしましたが、この機会を逃してはならないと思い立ち、ターゲットを大井川鐵道に変更し、さらに寸又峡に宿を取って温泉につかってこようと、宿の予約を入れたのが前々日、バタバタとした準備になってしまいました(笑)。
列車の予約は、その大井川鐵道の蒸汽列車のみ、往路は新幹線をつかわなくても楽しい旅になるだろう、などとのんきに、ただし朝5:30起きで出発したのです。
何となく先日のスーパーてぶろんまにあのイメージがあったので、登戸から小田急電鉄に乗り換え。とにかく移動するために、朝食に至ってはコンビニのおにぎりという、ちょっとヒドイ展開だ(笑)。
計画停電の影響もあり、ロマンスカーどころではなく急行での移動。さすがに朝早かったから、座敷童たちは電車の中でこんな状態に・・・。ガラガラでしたからね。ひとまず小田原までは予定通りの到着となりました。
ところが、JRに乗り換えたところ、当初予定していた直通電車が無くなっているじゃないですか・・・。金谷駅に着いてから30分以上余裕があるはずだった予定が、電車の接続で次々に浪費されていくという結果に・・・。一時期は、往路の蒸汽列車の旅をあきらめかけていたのです。
出発3分前に何とか到着(汗)
あわてて駅弁などを買い込んで乗り込みましたとさ・・・
しかもホームが短すぎて先頭の蒸気機関車が見えないし orz...
Editor CABEZÓN


人それぞれだな

こんな状況ですが、座敷童たちとの生活を締めくくるべく旅に出ます。
世界中から寄せられた日本への祈り - Pray for JAPAN
Editor CABEZÓN


いのるきもち

コンニチハ!カペラたまのりでーす☆
またCABEZÓN氏はかんきんだって
いつもみたいにかいたらばちあたるって
ボクてきにはていでんでぴっっくりしてまーす
「どおかいたらいいんですか」ってきいたら
「いのるきもちでかけ」ってゆうんでしよ
むづかしいことゆわれてもこまっちゃうなー
たぶん、こないだのきもちこねてかくってゆうのとおなじだよね
「ついでにエアコンとこたつはきんし」って
さむくてこまっちゃうよ~
だからふとんにはりました
おやすみなさーい
カペラたまのりでーす


ロシアンルーレット

昨日の早朝に発表された、計画停電のグループ分け表。この表によると、CABEZÓNの居住する地域は第二グループでした(2・3丁目は両方のグループが書かれていますが、1丁目は単一グループ)。その第二グループの停電予定時間は、15:10~18:10でした。なので、15:00を回った頃にPCをシャットダウンし、いつ停電が起こっても問題ないように、テレビを付けたまま様子を見ていたのです。
しかし、停電は起こりませんでした。
もしかしたら「一部の地域で」停電になっていて
自分の住んでいるところはそこから外れたかも、
と、勝手に思いこんで、PCの電源を再投入して残りの作業をやったのです。
夕方になると、夕食の準備や入浴などもあり、家の中は結構騒然としてきます。CABEZÓN自身も、夕食の準備で大わらわでした。
さて、最後のおかずをこれから調理しようかとしていたそのとき、、、
プチッと音がしたようなw
まさに暗転とはこのことを言うのでしょう・・・
CABEZÓNの居住地は第三グループだったという落ちでした・・・
まさにロシアンルーレットのような・・・
幸いだったのは、せがれが街角でろうそくをもらってきていたこと。町中では停電に備える買い占めなどで、懐中電灯はおろか電池さえも手に入らない状態です。停電したら腹をくくるしかないと思っていたのですが、わずかばかりの灯りを頼りに調理を終えて、厳かな晩餐を迎えることができました。座敷童たちも混乱に陥ることなく、言葉遊びなどをしている内に電力の供給が再開されました。時計は21時近くになっていたのです。一つだけ心配なのですが、重篤患者を抱えた病院に周知は徹底されたのでしょうか?でも、複雑に入り組んだ配電区分を詳細に至るまで把握して周知するのは相当困難なことだと思いますが。
停電も不便ですが、福島第一原発の状況はもっと深刻です。そのような中、東京電力の記者会見などで、時として攻撃的な質問を投げかける記者の姿を見ると、いかがなものかと思ってしまいます。マスコミの方々、あなたたちが国民の声を代表しているなどと勘違いしないでいただきたい。我々は、沢山の命が救われること、そして震災地のいち早くの復興を望んでいるのです。電力供給会社を攻撃することではありません。現場で命を顧みずに作業にあたっている沢山の人がいます。原子力発電所を作らせたのは国、その国を動かしたのは政治家、その政治家を選んだのは国民なのです。
諸外国では、その停電も当たり前のようにおこるようです。その国の人たちにとっては、「それがどうした?」ということらしいです。そんな気楽さをお伝えしたく、以下のリンクを貼り付けて本日は締めくくりたいと思います。
Editor CABEZÓN


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