リートリンの覚書

日本書紀 巻第十四 大泊瀬幼武天皇 七 ・国見の譖 ・枳莒喩、息子・武彦を殺す ・桍幡皇女の自死 ・一事主神



日本書紀 巻第十四 大泊瀬幼武天皇 七

・国見の譖
・枳莒喩、息子・武彦を殺す
・桍幡皇女の自死
・一事主神



三年夏四月、
阿閉臣国見(あえのくにみ)
(更の名は磯特牛(しことひ)

栲幡皇女(たくはたのひめみこ)
湯人(ゆえ)の
廬城部連武彦(いおきべのむらじのたけひこ
とを譖(そし)り、

「武彦が皇女を姧して妊娠させた」
といいました。

(湯人、これは臾衞(ゆえ)といいます)

武彦の父の枳莒喩(きこゆ)は、
この流言(りゅうげん)を聞いて、
禍が身に及ぶのを恐れました。

武彦を率(ひき)つれて、
廬城川(いおきのかわ)に誘いだして、

鸕鷀(ろじ)を水没させて魚を捕ると偽って、
因って、その不意を打ち殺しました。

天皇はこれを聞いて、
使者を遣わして、
皇女を案問(あんもん)しました。

皇女は答えて、
「妾は知りません」
といいました。

俄(にわか)に皇女は、
神鏡をとり持ち、
五十鈴川の河上に詣で、

人の行き来が無いこと伺って、
鏡を埋めて、
くびをくくり死にました。

天皇は皇女が不在なことを疑い、
恒に闇夜に東に西にとさがし求めました。

乃ち河上に虹が蛇の如く、
四、五丈ほどありました。

虹のたつ所を掘ってみると神鏡をえました。
さほど遠く移行せずに、
皇女の屍を得ました。

割って観ると、
腹中に物がありました。

それは水の如く、
その水の中に石がありました。

枳莒喩は、
これにより、
子の罪をきよめることを得ました。

還りて子を殺した悔いて、
報に国見を殺そうとしました。

石上神宮に逃げ匿(かく)れました。

四年春二月、
天皇は葛城山で射猟(かり)をしました。

忽然と長き人が来て
丹谷(たに)を望みました。

面貌(めんぼう)、容儀(ようぎ)が
天皇に相似していました。

天皇は、
これは神だと知りましたが、

なお故に問いて、
「何処の公か」
といいました。

長き人は答えて、
「現人之神(あらひとのかみ)である。
先に王の諱(いみな)を称しなさい。
然るに、後に応えましょう」
といいました。

天皇が答えて、
「朕はこれ、
幼武尊(わかたけのみこと)である」
といいました。

次に長き人が称して、
「僕、これ一事主神である」
といいました。

遂にともに狩猟(かり)をたのしんで、
一つの鹿を駆逐(くちく)し、
矢をはなつことを互いにゆずり、
轡(くつわ)をならべて馳騁(ちてい)し、
言詞(げんし)をうやうやしく謹み、
仙(ひじり)に逢ったようでした。

ここにおいて、
日が暮れ狩をやめました。

神は天皇を送り、
来目水(くめのかわ)に至りました。

この時、
百姓はことごとく、
「有徳天皇
(おむおむしくましますすめらみこと)
である」
といいました。



湯人(ゆえ)
皇子・皇女の養育者
・譖
そしる、中傷する、いつわる
流言(りゅうげん)
根拠のないうわさ
・廬城川(いおきのかわ)
三重県、雲出川
・鸕鷀(ろじ)
鵜の異名
・案問(あんもん)
取り調べ問いただすこと。審問
・面貌(めんぼう)
顔つき、面相
・容儀(ようぎ)
1・礼儀にかなった姿や態度2・顔だち
・駆逐(くちく)
1・追い払うこと。2・馬や車などで追いかけること
・馳騁(ちてい)
はしること。奔走すること
・言詞(げんし)
言葉、言辞




(感想)

雄略天皇3年夏4月、
阿閉臣国見が、
(更の名は磯特牛)

桍幡皇女と湯人の廬城部連武彦とをそしり、
「武彦が皇女を犯して妊娠させた」
といいました。

(湯人、これは臾衞(ゆえ)といいます)

武彦の父の枳莒喩は、
この根拠のない噂を聞いて、
わざわいが自身に及ぶのを恐れました。

武彦を率いて、
廬城川に誘いだして、

鵜を水没させて魚を捕ると偽り、
その不意を打ち殺しました。

親が子を殺す。
大変残念なことです。

私なら、
子を信じ、
疑いを晴らす努力をしますがね。

枳莒喩。
親として失格。

天皇はこれを聞いて、
使者を遣わして、
皇女を取り調べ問いただしました。

皇女は答えて、
「妾は知りません」
といいました。

皇女はにわかに、
神鏡をとり持ち、
五十鈴川の河上に詣で、

人の行き来が無いこと伺って、
鏡を埋めて、
首をくくり死にました。

桍幡皇女の自死。

廬城部連武彦が亡くなったのを知り、
桍幡皇女が後を追ったのか?

もしかすると、
桍幡皇女と廬城部連武彦は
肉体関係はなかったが、
お互いに惹かれあって
いたのかもしれませんね。

その様子を見た、
国見が軽い気持ちで噂したとか。

もしくは、
国見は桍幡皇女に恋心を抱いていて、
仲の良い廬城部連武彦に嫉妬して、
あらぬ噂を立てたとか…

しかし、
悲しいお話です。

天皇は皇女が不在なことを疑い、
長い時間、闇夜に東に西にと探し求めました。

そのとき、
河上に虹が蛇の如く、
四、五丈かかっていました。

虹のたつ所を掘ってみると
神鏡がありました。

そこからさほど遠くないところで、
皇女の屍が見つかりました。

彼女の腹を割って観ると、
腹中に物がありました。

それは水の如く、
その水の中に石がありました。

枳莒喩(きこゆ)は、
これにより、
子の無実であることが証明されました。

帰って、
子を殺したこと悔いて、
報復しようと、
国見を殺そうとしましたが。

石上神宮に逃げ匿(かく)れました。

国見の逃げ隠れた様子をみますと、
軽い気持ちで噂したように感じます。

…根の葉もない噂で人が死ね。
やっちゃいけませんね。

雄略天皇4年春2月、
天皇は葛城山で狩をしました。

忽然と背の高い人が来て
谷を望みました。

顔つき、姿が天皇に相似していました。

天皇は、
これは神だと気づきましたが、

なお、
それでも問いて、
「何処の公か?」
といいました。

背の高い人は答えて、
「現人之神である。

王よ、先に名乗りなさい。
そうしたら、
後に応えましょう」
といいました。

天皇が答えて、
「朕はこれ、幼武尊である」
といいました。

次に背の高い人が称して、
「僕、これ一事主神である」
といいました。

遂にともに狩を楽しんで、
一つの鹿を追いかけ、
矢を放つことを互いに譲り合い、

轡(くつわ)をならべて走り、
言葉をうやうやしく謹み、
仙(ひじり)に逢ったようでした。

ここにおいて、
日が暮れ狩をやめました。

神は天皇を送り、
来目水(くめのかわ)に至りました。

この時、
百姓はことごとく、
「有徳天皇である」
といいました。

有名なお話で、
あらすじは知っていましたが、
実際読んでみると…

一事主神は何しに来た?

単に雄略天皇は神様と仲良しだよーん、
といいたかったのかな?

さて、明日に続きます。

読んで頂き
ありがとうございました。


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