リートリンの覚書

日本書紀 巻第三十 高天原廣野姫天皇 二十九 ・18氏族に墓記を献上させる



日本書紀 巻第三十
高天原廣野姫天皇 二十九

・18氏族に墓記を献上させる



秋七月三日、
天皇は吉野宮に幸しました。

この日、
伊豫国司の田中朝臣法麻呂
(たなかあそみのりまろ)等が、

宇和郡(うわのこおり)の
御馬山(みまのやま)の白銀・三斤八兩、
アラカネ一籠を献(たてまつ)りました。

七日、
公卿と宴(とよのあかり)をしました。

かさねて、
朝服を賜りました。

十二日、
天皇は吉野から帰りました。

十五日、
使者を遣わして、
廣瀬の大忌神と龍田の風神を祭らせました。

八月十三日、
十八の氏に詔して、

大三輪(おおみわ)、雀部(さざきべ)、石上(いそのかみ)、藤原(ふじわら)、石川(いしかわ)、巨勢(こせ)、膳部(かしわで)、春日(かすが)、上毛野(かみつけの)、大伴(おおとも)、紀伊(き)、平群(へぐり)、羽田(はた)、阿倍(あへ)、佐伯(さえき)、采女(うねめ)、穂積(ほずみ)、阿曇(あずみ)

その祖等の墓記(ぼき)を進上させました。

二十三日、
使者を遣わして、
龍田の風神、信濃の須波(すわ)、
水內(みぬち)等の神を祭りました。



・墓記(ぼき)
その氏族の系譜、事跡などをしるした文書。氏文(うじぶみ)。継文(つぎぶみ)
・進上(しんじょう)
目上の人に、差し上げること
・須波(すわ)
諏訪神社



(感想)

(持統天皇5年)

秋7月3日、
天皇は吉野宮に行幸しました。

この日、
伊予国司の田中朝臣法麻呂らが、
宇和郡の御馬山の白銀・3斤8両、
鉱石・一籠を献上しました。

7日、
公卿と宴会をしました。
かさねて、朝服を与えました。

12日、
天皇は吉野から帰りました。

15日、
使者を派遣して、
広瀬の大忌神と龍田の風神を祭りました。

8月13日、
18の氏に詔して、

大三輪、雀部、石上、藤原、石川、巨勢、膳部、春日、上毛野、大伴、紀伊、平群、羽田、阿倍、佐伯、采女、穂積、阿曇

その祖等の墓記を献上させました。

23日、
使者を派遣して、
龍田の風神、信濃の諏訪、
水内らの神を祭りました。

明日に続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。





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