菊の御紋の由来
菊は、
音読みも訓読みもキクとよみます。
遣唐使などによってもたらされた
外来種ですが、
香り高く美しい菊の花は、
平安以降、
日本人にこよなく愛されてきました。
文学上は、
「万葉集」には読まれておらず、
「古今和歌集」、「源氏物語」
などから登場します。
特に鎌倉時代初期の後鳥羽天皇は、
若いころより菊を好まれ、
自ら菊紋を刻んだ
刀剣
(「菊作御太刀(きくづくりのおんたち)」
と称する)
を鍛造されたと伝えられています。
事実、
その当時描かれた「北野天神縁起絵巻」に
「恩賜の御衣(ぎょい)」箱に
菊紋が描かれています。
それ以降、
公家や武将などが使って例もありますが、
菊紋は主に皇室で用いられてきました。
これが明治4年(1871)から
皇室専用とされ、
大正15年(1926)
「皇室儀制令(ぎせいれい)」により、
天皇と皇后、皇太后、太皇太后、
皇太子、同妃、皇太孫、同妃の紋章は
十六葉八重表菊形
(じゅうろくようやえおもて)、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/da/c2c9b04ae67d9cebc90a222211837f74.jpg)
十六葉八重表
ほかの皇族は十四葉一重裏菊形
(じゅうよんようひとえうら)
と定められました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/77/e7e418e510a0233c4bac6b428abb86c1.jpg)
十四葉一重裏
その御紋は天皇だけではなく、
日本国のシンボルとして、
戦前から引き続き在外公館の玄関や
パスポートの表紙などに使われています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/31/999797dbd321a9d662f515bee8ceeef7.png)
感想
菊の御紋
ネットで調べてみると
世界の各地で
似たような紋様が使われているとあります。
とくに古代の中東の遺跡から😏
エルサレム城壁にある
ヘロデ門の紋章や、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/49/85c18320ce45962bbbc3eb436993e3df.jpg)
バビロン遺跡のイシュタル門・
ライオンの下に
菊の御紋にそっくりな図柄が描かれています。
(写真小さくてごめんなさい🙇♂️)
ミステリーですね
都市伝説好きには
たまりません🤩
以前、
出アフリカをした祖先が
東へと向かって行ったのは何故だろうと
疑問に思ったことがあります。
そこに、
太陽信仰の民は、
日出るところを求め、
東に向かって行くという説を聞きました。
なるほどと思いましたよ。
はるか西から日出る場所を目指し、
日本にたどり着いた人々が沢山いて、
その人々が菊の紋様を
日本に伝えたのかもしれませんね。
それは、
先に日本にきた、
饒速日命か?
それとも、
天皇家を支えてきた秦氏なのか?
それとも、神武天皇自らか?
この辺は、
もう少し詳しく調べてみたいものです😏
さて、
本日はこれで。
最後まで読んで頂き
ありがとうございました。
写真は、Wikipediaより出典しました。