リートリンの覚書

日本書紀 巻第二十 渟中倉太珠敷天皇 一



日本書紀 巻第二十

渟中倉太珠敷天皇
(ぬなくらのふとたましきのすめらみこと)

敏達天皇
(びだつてんのう)

・出自



渟中倉太珠敷天皇
(ぬなくらのふとたましきのすめらみこと)は、 

天国排開広庭天皇
(あめくにおしはらきひろにわのすめらみこと)
第二子です。

母は
石姫皇后(いしひめのきさき)といいます。

(石姫皇后は、武小広国押盾天皇(たけおひろくにおしたてのすめらみこと)の皇女です)

天皇は、
仏法を信ぜず、
文史(しるしふみ)を愛しこのまれました。

二十九年、
皇太子に立ちました。

三十二年四月、
天国排開広庭天皇が崩じました。



・天国排開広庭天皇
(あめくにおしはらきひろにわのすめらみこと)
欽明天皇
天国排開広庭天皇
(あめくにおしはらきひろにわのすめらみこと)
宣化天皇
・文史(しるしふみ)
文学と史学



(感想)

敏達天皇は、
欽明天皇の第二子です。

母は石姫皇后といいます。
(石姫皇后は、宣化天皇の皇女です)

天皇は、
仏法を信じず、
文学と史学を愛し好まれました。

欽明天皇29年、
皇太子に立ちました。

欽明天皇32年4月、
欽明天皇が崩じました。

本日より、
敏達天皇の条を読んでいきたいと思います。

お付き合い頂けたら幸いです。

さて、

仏法を信じず、
文学と史学を愛し好まれた
敏達天皇。

敏達天皇の御代は、
どのような時代だったのでしょうか?

明日に続きます。

読んで頂き
ありがとうございました。


ランキングに参加中!励みになります。
ポチッとお願いします。

にほんブログ村 歴史ブログ 神話・伝説へ  

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

最近の「日本書紀・現代語訳」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事