リートリンの覚書

日本書紀 巻第六 活目入彦五十狭茅天皇 七 当麻蹶速と野見宿禰と捔力


日本書紀 巻第六 
活目入彦五十狭茅天皇 七 

当麻蹶速と野見宿禰と捔力


七年、秋七月七日、

近侍の者が、
「当麻邑に勇しく怖い人がいます。
当麻蹶速(たいまのけはや)といいます。

その者の行いは、
力が強く角(つの)を砕き
(かぎ)のように曲がったものを
まっすぐのばす能があり、

常に大勢の人々に、
『四方に求めても、
どうして我が力と同等の者がいるだろうか。
なんとか力の強い者にであい、
生死を予期せずに、
力競べできないものか』
と語っています。」
と奏言しました。

天皇はそれ聞き、
群卿に詔して、
「朕が聞くところによると、
当麻蹶速は天下の力士である。

もし、これに同等の者はいないのか」
といいました。 

ひとりの臣が進みでて、
「臣が聞くところによりますと、
出雲国に勇士がいて、
野見宿禰(のみのすくね)といいます。

試みにこの者を召して、
蹶速に当ててみたいものです。」
といいました。

その日、
倭直(やまとのあたい)の祖・長尾市を
派遣して、
野見宿禰を召しだしました。

野見宿禰が出雲からやってきました。

すぐに
当麻蹶速と野見宿禰に
捔力(すまひ)をさせました。

二人は向かい合って立ち、
おのおの足を挙げて蹴り合いました。

たちまち当麻蹶速の肋骨を蹴り折り、
またその腰を踏み折って殺しました。

故に、
当麻蹶速の地を奪って、
野見宿禰に下賜しました。

これが、
その邑に腰折田(こしおれだ)のある
起源なのです。

野見宿禰は留まり、仕えました。




・当麻邑
大和国の当麻邑。
現・奈良県葛城市當麻

・捔力(すまひ)
角力・すもう


感想

今日のお話は、

当麻蹶速と野見宿禰の捔力(すまひ)のお話です。

捔力とは、相撲のこと。

大和国の当麻邑に勇ましく怖い男がいました。
名は当麻蹶速。

彼は、
自分と同等な強さを持つ者と、
生死を問わない力比べがしたいと
言っていました。

それを聞いた垂仁天皇は、
群卿に

当麻蹶速と同等に強い者はいないか問います。

すると、ある臣が、

出雲国に野見宿禰という勇士がいますと
奏言しました。

早速。使いを派遣し、
野見宿禰を召喚しました。

そして、
相撲をとらせると、

野見宿禰は、
当麻蹶速の肋骨を蹴り折り、
さらに、腰骨を踏み折り殺しました。

そして、
当麻蹶速の土地を没収し
野見宿禰に授けました。

その後、
野見宿禰は大和に残り,
仕えました。

イヤ〜、

野見宿禰が強いのはわかりますが、

相撲をとって
蹴り殺すとは…おそろしい。

しかし、

当麻蹶速の土地を奪い、
野見宿禰に下賜したあたり…

もしかすると、
当麻蹶速は問題児だったのでは?
と思ってしまいます。

さて、本日はこの辺で。

明日に続きます。

最後まで読んで頂き
ありがとうございました。


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