日本書紀 巻第二十 渟中倉太珠敷天皇 七
・皇后と妃と子どもたち
四年春正月九日、
息長真手王
(おきながのまてのおおきみ)の娘、
広姫(ひろひめ)を立てて
皇后としました。
一男二女を生みました。
その一は、
押坂彦人大兄皇子
(おしさかひこひとのおおえのみこ)
といいます。
(更の名は、麻呂古皇子(まろこのみこ))
その二は、
逆登皇女
(さかのぼりのひめみこ)
といいます。
その三は、
菟道磯津貝皇女
(うじのしつかいのひめみこ)
といいます。
この月、
一(人)の夫人を立てました。
春日臣仲君
(かすがのおみなかつきみ)の娘、
老女子夫人(おみなごのおおとじ)
といいます。
(更の名は、薬君娘(くすりこのいらつめ))
三男一女を生みました。
その一は、
難波皇子(なにわのみこ)
といいます。
その二は、
春日皇子(かすがのみこ)
といいます。
その三は、
桑田皇女(くわたのひめみこ)
といいます。
その四は、
大派皇子(おおまたのみこ)
といいます。
次に、
采女(うねめ)で
伊勢大鹿首小熊
(いせのおおかのおびとおぐま)の娘、
菟名子夫人
(うなこのおおとじ)
といいます。
太姫皇女(ふとひめのひめみこ)
(更の名は、桜井皇女(さくらいのひめみこ))と
糠手姫皇女(あらてひめのみこ)
(更の名は、田村皇女(たむらのひめみこ))
とを生みました。
明日に続きます。
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