リートリンの覚書

日本書紀 巻第二十三 息長足日広額天皇 八 ・大臣の怒り ・大兄王の説得



日本書紀 巻第二十三 息長足日広額天皇 八

・大臣の怒り
・大兄王の説得



ここにおいて、
大臣は益々怒り、

乃ち、
群卿を遣わして、

山背大兄に請いて、
「この頃、
摩理勢(まりせ)は、

臣と違え、
泊瀬王(はつせのおおきみ)の宮に
匿(かく)れました。

願わくは、
摩理勢を得て、

その、
ゆえんを推(お)しはかりたいと思います」
といいました。

大兄王は答えて、
「摩理勢は、もとより、
聖皇が好んだところで、

しばらく、
来ているだけだ。

どうして、
叔父と違える情があるというのだろうか。

願わくは、
きずつけないでくれ」
といいました。

則ち摩理勢に語って、
「汝は、
先王の恩を忘れず、
来たことは、
甚だ愛おしい。

然るに、
汝一人によって、
天下が乱れてしまうだろう。

また先王が沒に臨んだとき、
諸子等に語って、

『諸々の悪を作るな、諸々の善を行い奉れ』

とおっしゃっていた。

余は、
この言を承り、
永く戒(いまし)めとして来た。

ここをもちて、
私情ありといえども、
忍んで怨みなしとした。

また、
我は、
叔父と違えることはできない。

願わくは、
今から以後、

憚(はばか)ることなく、
意を改め、

群に従い、
退くことがないように」
といいました。

この時、
大夫等は、
摩理勢臣に教えさとして、
「大兄王(おおえのみこ)の命に
違えるべきではない」
といいました。

ここをもちて、
摩理勢臣は、

進んで帰るところがありませんでした。

乃ち、
泣哭(きゅうこく)して還り、

さらに、
家に居ること十余日。

泊瀬王(はつせのおおきみ)は、
たちまち、病を発して
薨(みまか)りました。

ここに、
摩理勢臣は、
「我は生きているが、
誰をたよりにしたらいいのか」
といいました。



・大兄王(おおえのみこ)
山背大兄王
・泣哭(きゅうこく)
なき叫ぶこと



(感想)

前回のお話


境部臣は、
山背大兄を天皇に、
と推挙して
大臣と違えました。

その後、
蘇我氏一族は、
蘇我馬子大臣のために墓を造り、
墓所に泊まっていました。

ここで、
境部摩理勢は
墓所の廬(いおり)を破壊して、

従わず、
ついに斑鳩に赴き、
泊瀬王宮に住みました。

ここにおいて、
大臣は益々怒り、

すぐに、
群卿を派遣して、

山背大兄に請いました。

「この頃、摩理勢は、

私と違え、
泊瀬王の宮に隠れました。

願わくは、
摩理勢をとらえ、

その、
ゆえんを推問したいと思います」
といいました。

大兄王は答えて、
「摩理勢は、
もとより、

父・聖徳太子が好んだところで、

しばらく、
来ているだけだ。

どうして、
叔父に背く情があるというのだろうか。

願わくは、
きずつけないでくれ」
といいました。

すぐに、
摩理勢に語って、
「お前は、先王の恩を忘れず、

来たことは、
甚だ愛おしい。

しかし、
お前一人によって、
天下が乱れてしまうだろう。

また先王が臨終の時に、
諸々の子らに語って、

『諸々の悪を作ってはなりません、
諸々の善を行いなさい』

とおっしゃっていた。

私は、
この言葉を受け取り、

永く戒(いまし)めとして来た。

こういうわけで、
私情があるが、
忍んで怨みなしとした。

また、
私は、
叔父と違えることはできない。

願わくは、
今から以後、

ためらうことなく、
意を改め、

群に従い、
逃げることがないように」
といいました。

この時、
大夫らは、
摩理勢臣に教えさとして、
「山背大兄王の命に違えるべきではない」
といいました。

こういうわけで、
摩理勢臣は、
進んで帰るところがありませんでした。

その時、
なき叫んで戻り

さらに、
家に居ること十余日。

泊瀬王が、
たちまち、病を発症して、
亡くなりました。

ここに、
摩理勢臣は、
「我は生きているが、
誰をたよりにしたらいいのか」
といいました。

山背大兄王を天皇にと望む摩理勢臣。

しかし、
その山背大兄王は、
争いを避けたいとして、
摩理勢臣を拒みました。

さて、
拠り所を失った摩理勢臣はいかに。

明日に続きます。

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ありがとうございました。


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