リートリンの覚書

日本書紀 巻第五 御間城入彦五十瓊殖天皇 五


日本書紀 巻第五 
御間城入彦五十瓊殖天皇 五


十年、秋七月二四日、
群卿(多くの公卿)を集めて詔して、
「民を導く根本は、
教化にある。

今すでに、天神地祇を祭り、
災害はすべて消え去った。

しかし、
辺境の人々は、
まだ臣従していない。
いまだ王化の徳(天皇の考え)
習っていない。

そこで、
群卿を選び、
四方に派遣して、
朕の憲法を知らしめろ」
といいました。

九月九日、
大彦命(おおびこのみこと)
北陸に派遣しました。

武渟川別(たけぬなかわわけ)
東海に派遣しました。

吉備津彦を
西道に派遣しました。

丹波道主命(たにはのみちぬし)
丹波に派遣しました。

詔して、
「もし教化を受けない者があったなら、
すなわち兵を派遣して討伐せよ」
といいました。

共に印綬を授け将軍としました。

二七日、
大彦命が、
和珥坂の辺りに行き着きました。

その時、
少女があらわれて、歌って

別の伝えでは、
大彦命は、
山城(やましろ)の平坂に行き行き着き、
その時、道の側に少女がいて歌ったと、
伝えています。

御間城入彦はや
己が命を 弑(し)せむと 
(ぬす)まく知らに 
姫遊び(ひめなそ)びすも

(訳)
御間城入彦(崇神天皇)は 
己の命を 奪おうと 
うかがうのも知らないで 
姫と遊んでばかりいるよ

一伝では、

おきなとより うかがいて 
ころさむと すらくをしらぬに 
ひめあそびすも

と伝えています。

(訳)
大きな戸から うかがいて 
殺さんとしているを 気づかずに 
姫と遊んでばかりいるよ

大彦命はあやしんで、
少女に問いかけました。
「汝、今言ったことはどういうことだ」

「何も言っていません。ただ歌っただけです」
と答えました。

そして、
さきほどの歌を再び詠い、
忽然と姿を消しました。

大彦命はすぐに還り、
事の詳細を奏言しました。

このとき、
天皇の姑(おば)
倭迹々日百襲姫命
(やまとととひももそひめのみこと)は、

聡明で叡智があり、
未来を知る事ができる人です。

そこでその妖しい歌を知り、
天皇に、
「これは武埴安彦(たけはにやすひこ)
謀反を起こそうとしている前兆です。

私が聞いたところによると、
武埴安彦の妻・吾田媛(あたひめ)が、
密かにやって来て、

倭の香具山(かぐやま)の土を取り、
領巾(ひれ)の端に包み、
祈って、
『これは倭国の物実(ものしろ・実体)
といい、もどっていったそうです。

これにより、有事を知りました。

早急に対策を立てなさい、
必ず後れをとりますよ」
といいました。

そこで、
更に諸将軍を引き留めて、
(対策を)議論しました。



・教化
教え導き、よい方向に向かわせること

大彦命(おおびこのみこと)
孝元天皇皇子。開化天皇の兄

西道
ここでは山陽道

和珥坂
天理市和珥

山城(やましろ)
奈良市の北、木津川辺

姑(おば)
祖父の姉妹

領巾(ひれ)
薄く細長い布、婦人が肩にかけて左右に長く垂らした薄い布

有事
平常と変わった事件、戦争などの一大事

大彦命詳細はこちら

吉備津彦の詳細はこちら

・倭迹々日百襲姫の詳細はこちら


感想

前回は、
大物主神等を正しく祀ったら
疫病が消え去ったお話しでしたね。

今回は、
崇神天皇に新たな試練が迫ってくるお話です。

まだ、天皇の教えを受け入れない人々の
平定に乗り出すため、
四道将軍を立て派遣する、
崇神天皇。

そのひとり、
大彦命が道中、
妖しいげな歌を歌う、
不思議な少女に出会いました。

彼女の歌は
崇神天皇の命を狙っている者がいるのに、
天皇は姫と遊んでばかりいると、
いう内容でした。

大彦命は
戻りそのことを報告します。

不思議な少女の歌に、
武埴安彦の謀叛兆しありと感じとった
崇神天皇の叔母・倭迹々日百襲姫。

倭迹々日百襲姫は天皇に
対策をするように忠告します。

その武埴安彦は、
孝元天皇と妃・埴安媛の間に生まれました。

阿部臣、
膳臣(かしわでのおみ)
阿閉臣(あへ)
狭狭城山君(ささきのやまのきみ)
筑紫国造(つくしのくにのみやつこ)
越国造(こしの)
伊賀臣、
あわせて七氏の始祖といわれています。

さて、
崇神天皇は
この危機をどう乗り越えるのでしょうか?

明日に続きます。

最後まで読んで頂き
ありがとうございました。


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