リートリンの覚書

日本書紀 巻第十四 大泊瀬幼武天皇 六 ・皇太后、機転 ・宍人部を置く ・史戸、河上舎人部を置く ・天皇が寵愛する人物



日本書紀 巻第十四 大泊瀬幼武天皇 六

・皇太后、機転
・宍人部を置く
・史戸、河上舎人部を置く
・天皇が寵愛する人物



これによりて、
皇太后と皇后がこれを聞いて
大いに懼(おそ)れました。

倭の采女、
日媛(にちひめ)を使わせて、
迎えさせ酒をささげて進めました。

天皇は、
采女の容貌が端麗で容姿が温雅なのを見て、

乃ち、
顔色を和ませよろこび、

「朕は、
どうして汝の美しくたおやかな笑顔を
見たいと思わなかったのだろうか」
といい、

乃ち、
手を取り後宮に入りました。

皇太后に語って、
「今日の遊猟で、
大いに禽獣を獲りました。

群臣と鮮(なます)をつくり
野饗(のあえ)をしようと思い、

群臣にひとりひとりに問いましたが、
能(よ)く答えるものがありませんでした。

故に朕は、
怒ったのです」
といいました。

皇太后は
この詔(ことば)の情(こころ)を知り、

天皇を慰め奉り、
「群臣は、
陛下が遊猟場(かりにわのあそび)に、
宍人部(ししひとべ)を置こうとして、
群臣に下問したとわからなかったのです。

群臣が黙っていたのは、
そういう理(わけ)です。

また答えるのが難しかったのです。

今、貢ぎしてもおそくはないでしょう。
我をもって初めとします。

膳臣(かしわでのおみ)長野は、
能(よ)く宍膾(なます)を作ります。

願わくは、
このものを貢じましょう」
といいました。

天皇は跪(ひざまず)いて礼をして、
受け、
「善いことです。
鄙人(ひなびと)がいう、

『貴は心を相知る』とは、
このことをいうのです」
といいました。

皇太后は、
天皇がよろこぶのを観て、
懐が歓喜で満ちました。

更に、
人を貢じたいと思い、
「我の厨人(くりやひと)の
菟田御戸部(うだのみとべ)、
真鋒田高天(まさきたたかめ)、
この二人をもって貢に加えて
宍人部とするように請います」
といいました。

これから以後、
大倭国造吾子籠宿禰
(おおやまとのくにのみやつこのあこごのすくね)
狭穂子鳥別(さほのことりわけ)を貢じて、
宍人部としました。

臣、連、伴造(とものみやつこ)、
国造もまた、
これに随いてつぎつぎと貢じました。

この月、
史戸(ふひとべ)、
河上舎人部(かわかみのとねりべ)を
置きました。

天皇は、
心をもって師とし、
誤って人を殺すことが多く、

天下は誹謗して、
「大悪天皇
(はなはだあしきすめらみこと)だ」
といいました。

ただ寵愛したのは、
史部(ふひと)の
身狭村主青(むさのすぐりあお)、
檜隈民使博徳
(ひのくまのたみのつかいはかとこ)等です。



温雅(おんが)
穏やかで上品なこと
・宍膾(なます)
魚や貝、獣などの肉を細かくきったもの
宍人部(ししひとべ)
鳥獣の肉を料理する職業部
・鄙人(ひなびと)
田舎のひと、里人
・厨人(くりやひと)
台所をつかさどる人。料理人
史部(ふひとべ)
古代の部(べ)の一種。朝廷において文筆にかかわる職務に携わったトモの集団。史戸(ふひとべ)とも書く。



(感想)

前回のお話は、
狩をした天皇は休憩の際に、

群臣に
「なますを自らつくるのはどうだろうか?」
と問いましたが、

誰も答えられず、
怒って、御者大津馬飼(うまかい)を
斬り殺してしまいました。

そのお話の続きです

これによりて、
皇太后と皇后がこれを聞いて
大いに怖れました。

倭の采女、
日媛に迎えさせ酒をささげて進めさせました。

天皇は、
采女の容貌が端麗で容姿が穏やかで上品なのを見て、
乃ち、顔色を和ませよろこんで、

「朕は、
どうして汝の美しくたおやかな笑顔を
見たいと思わなかったのだろうか」
といい、

そして、
手を取り後宮に入りました。

天皇の好みの女性を使い、
機嫌を直すとは…

さすが、皇太后。
息子の扱いが上手い。

皇太后に語って、
「今日の遊猟で、
大いに禽獣を獲りました。

群臣となますをつくり、
野で饗宴をしようと思い、

群臣にひとりひとりに問いましたが…
うまく答えるものがいませんでした。

ですから、
朕は怒ったのです」
といいました。

皇太后はこの言葉の心情を知り、

天皇を慰めて、
「群臣は、
陛下が遊猟場(かりにわのあそび)に、
鳥獣の肉を料理する、
宍人部を置こうとして、

群臣に問いかけしたのに、
気づけなかったのです

群臣が黙っていたのは、
そういう訳です。

また答えるのが難しかったのでしょう。

今から、
貢ぎしても遅くはないでしょう。
私をもって初めとします。

膳臣、長野は、
よく宍膾(なます)を作ります。

願わくは、
このものを貢じましょう」
といいました。

天皇は跪(ひざまず)いて礼をして、
受け、
「善いことです。

里人がいう、
『貴人は心を相知る』とは、
このことをいうのです」
といいました。

皇太后は、
天皇がよろこぶのを観て、
心が歓喜で満ちました。

更に、人を貢じたいと思い、
「私の台所をつかさどる人、
菟田御戸部、真鋒田高天。

この二人を貢に加えて
宍人部とするように請います」
といいました。

これから以後、
大倭国造吾子籠宿禰、
狭穂子鳥別を貢じて、
宍人部としました。

臣、連、伴造、国造もまた、
これに随いてつぎつぎと貢じました。

話しを聞いただけで、
天皇の意図を理解し的確な対応する。

やっぱり、母ですね。

しかし、
天皇の臣下にこのような人がいたら
天皇も無闇矢鱈に人を
殺さなかったことでしょう。

この月、
史戸(ふひとべ)、
河上舎人部(とねりべ)を置きました。

天皇は、
心をもって師とし、
誤って人を殺すことが多く、

天下は誹謗して、
「大悪天皇だ」
といいました。

ただ寵愛したのは、
史部の身狭村主青、
檜隈民使博徳等です。

信頼できる臣下が、二人だけとは…

実は、雄略天皇の周りは
敵だらけだったのかもしれませんね。

明日に続きます。

読んで頂き
ありがとうございました。


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