日本書紀 巻第二十一 橘豊日天皇 四
・穴穂部皇子、守屋を討伐に派遣する
・蘇我馬子、穴穂部皇子を諫める
穴穂部皇子(あなほべのみこ)は、
即、
守屋大連(もりやおおむらじ)を遣わして、
(或本は云う、穴穂部皇子と泊瀬部皇子(はつせべのみこ)とが、相計りて守屋大連を遣わしたと)
「汝が往って、
逆君とあわせてその二子をころせ」
といいました。
大連は、
遂に、兵を率いていきました。
蘇我馬子宿禰(そがのうまこのすくね)は、
よそでこの計を聞いて、
皇子の所に詣でて、
即ち、門低で逢いました。
(皇子の家の門をいいます)
まさに、
大連の所に行こうとしていました。
時に、諫めて、
「王者は、刑人を近づけません。
自ら往ってはいけません」
といいました。
皇子は聞き入れずに、
行きました。
馬子宿禰は、
即ち、随行し、磐余に到って、
(行って池辺に至りました)
切に諫めました。
皇子は、
すなわち、
諫めに従い、止めました。
やはり、
ここにおいて、
胡座(あぐら)に腰かけて、
大連を待ちました。
大連は、
良久(ややひさしく)して至り、
衆を率いて、
報命(ほうめい)して、
「逆等を斬り終えました」
といいました。
(或る本は云う、穴穂部皇子が自ら行き、射殺したと)
ここにおいて、
馬子宿禰は、
惻然(そくぜん)し、
嘆いて、
「天下が乱れるのも久しくない」
といいました。
大連が聞いて、
「汝のような小臣の識(し)る所ではない」
といいました。
(この三輪君逆は、訳語田天皇(おさたのすめらみこと)が寵愛しました。ことごとく内外のことを委(まか)せました。これによりて、炊屋姫皇后と馬子宿禰とは、俱、穴穂部皇子を恨みはじめました)
この年、太歳は丙午(ひのえうま)。
・泊瀬部皇子(はつせべのみこ)
後の崇峻天皇
・良久(ややひさしく)
長らくの間、ややしばらくの間
・報命(ほうめい)
=復命・命令を受けた者が、その経過や結果を報告すること。
・惻然(そくぜん)
かわいそうに思うさま。同情するさま。惻惻
・譯語田天皇(おさだのすめらみこと)
敏達天皇
(感想)
(用明天皇元年)
穴穂部皇子は、
すぐに、守屋大連を派遣して、
(ある本では、穴穂部皇子と泊瀬部皇子とが、相談し計画して、守屋大連を派遣したといっています)
「お前が行って、
逆君とあわせてその二子を殺せ」
といいました。
大連は、
ついに兵を率いて行きました。
蘇我馬子宿禰は、
よそでこの計画を聞いて、
穴穂部皇子の所に行き、
すぐに、門のもとで逢いました。
まさに、
大連の所に行こうとしているところでした。
時に、馬子が忠告して、
「王たる者は罪人を近づけません。
自ら出向いてはいけません」
といいました。
しかし、
皇子は聞き入れずに、
行きました。
そこで、
馬子宿禰は皇子に随行し、
磐余に到着して、
(行って池辺に至りました)
さらに懸命に忠告しました。
皇子は、忠告に従い、
行くのを中止しました。
ここで、
馬子は胡座(あぐら)に腰かけて、
大連を待ちました。
大連は、
ややしばらくして到着し、
衆を率いて、
報告して、
「逆らを斬り終えました」
といいました。
(或る本は云う、穴穂部皇子が自ら行き、射殺したと)
ここにおいて、
馬子宿禰は、
かわいそうに思い、
嘆いて、
「天下が乱れるのもそう遠くはない」
といいました。
大連がこれを聞いて、
「お前のような身分の低い臣下の
知る所ではない」
といいました。
(この三輪君逆は、敏達天皇が寵愛しました。ことごとく内外のことを任せていました。これによって、炊屋姫皇后と馬子宿禰とは、ともに穴穂部皇子を恨みはじめました)
この年、太歳は丙午。
三輪君逆。
何の罪も無いのに、
殺されてしまいました。
こういうお話。
悲しくなりますね。
同族にも裏切られ、
罪も無いのに殺されてしまった…
主君の亡骸に世を平和にすると誓った
三輪君逆。
さぞかし、
無念だったに違いありません。
明日に続きます。
読んでいただき
ありがとうございました。
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