リートリンの覚書

日本書紀 巻第二十二 豊御食炊屋姫天皇 三十九 ・推古天皇27~28年の出来事



日本書紀 巻第二十二 豊御食炊屋姫天皇 三十九

・推古天皇27~28年の出来事



二十七年夏四月四日、
近江国が、
「蒲生河(かまうがわ)に、
物があります。
それは人の形のようです」
といいました。

秋七月、
摂津国に漁父(あま)があり、
網を堀江に沈めました。
網に物がかかりました。

その形は児のようでした。
魚でもなく、
人でもありません。
名付けようがありませんでした。

二十八年秋八月、
掖玖人(やくびと)二口が、
伊豆の島に流れて来ました。

冬十月、
砂礫(さざれいし)で、
檜隈陵(ひのくまのみさざき)の上を
葺きました。

すなわち、
陵の域外に土を積んで山にしました。

なお、
氏ごとに、
大柱を土の山の上に建てるよう科しました。

時に、
倭漢坂上直
(やまとのあやのさかのうえのあたい)が
たてた柱は、
すぐれてはなはだ高かく、

故に、
時の人は
大柱直(おおはしらのあたい)と
名付けました。

十二月一日、
天に赤い気(しるし)がありました。
長さ一丈余。
形は雉の尾に似ていました。

この年、
皇太子、嶋大臣(しまのおおおみ)が
共議して、

天皇記及び
国記、臣・連・伴造・国造・百八十部
あわせて
公民等の本記を録(しるし)ました。



・蒲生河(かまうがわ)
鳥取県の日野川下流
・檜隈陵(ひのくまのみさざき)
欽明天皇陵



(感想)

推古天皇27年夏4月4日、
近江国が、
「蒲生河に、物があります。
それは人の形のようです」
といいました。

秋7月、
摂津国に漁師がいて、
網を堀江に沈めました。
網に物がかかりました。

その形は児のようでした。
魚でもなく、
人でもありません。
名付けようがありませんでした。

何やら、
不思議な型の物が次々見つかっていますね。

これらは、
何だったのでしょうか?
気になります。

推古天皇28年秋8月、
掖玖人・二口が、
伊豆の島に流れて来ました。

冬10月、
さざれ石で、
欽明天皇陵の上を葺きました。

すなわち、
陵の域外に土を積んで山にしました。

なお、
氏ごとに、
大柱を土の山の上に建てるよう、
わりあてました。

時に、
倭漢坂上直が建てた柱は、
すぐれてはなはだ高いものでした。

故に、
時の人は大柱直と名付けました。

12月1日、
天に赤いしるしがありました。
長さ一丈余で、
形は雉の尾に似ていました。

空に
赤い、
長さが約3メートル、
キジの尾に似たもの…

流星?ほうき星?
気になりますね。

この年、
皇太子、嶋大臣が共議して、

天皇記および
国記、臣・連・伴造・国造・百八十部
あわせて公民らの本記を、
記録しました。

この時の記録が今も残っていたなら、
日本の歴史はかなり違うものに
なっていたことでしょう。

失われたのが残念です。

明日に続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。


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