リートリンの覚書

日本書紀 巻第四 磯城津彦玉手看天皇


日本書紀 巻第四 

磯城津彦玉手看天皇
(しきつひこたまてみのすめらみこと)
安寧天皇
(あんねいてんのう)


磯城津彦玉手看天皇は、
神渟名川耳天皇
(かんぬなかわみみ・綏靖天皇)の嫡男です。

母は五十鈴依媛(いすずよりひめ)命といい、
事代主神の少女(次女)です。

(安寧)天皇は、
神渟名川耳天皇の二十五年に、
皇太子となりました。
年は二十一歳でした。

三十三年の夏・五月、
神渟名川耳天皇が崩御なされました。

その年の七月三日に、
皇太子は天皇に即位しました。

元年、冬・十月十一日、
神渟名川耳天皇を
倭の桃花鳥田(つきだ)の丘の上(ほとり)
陵に葬りました。

(綏靖)皇后を尊び皇太后としました。

この年、太歳は癸丑(みずのとうし)

二年、
都を片塩に遷しました。
これが浮孔(うきあな)の宮といいます。

三年、春・正月五日、
渟名底仲媛命
(ぬなそこなかつひめのみこと)
(または渟名襲(そ)媛といいます)
を皇后としました。

一書では、
磯城の県主葉江(はえ)の娘・川津媛。

また別の一書では、
大間宿禰(おおますくね)の娘・
糸井媛と伝えています

皇后になるより先に、
二人皇子が生まれていました。
第一子は息石耳命(おきそみみのみこと)といい、
第二子は大日本彦耜友天皇
(おおやまとひこすきとものすめらみこと)です。


一書では、三皇子を生み。
第一子を常津彦某兄(とこつひこいろね)といい、
第二子を大日本彦耜友天皇といい、
第三子を磯城津彦命(しきつひこのみこと)
と伝えています。

十一年、春正月一日、
大日本彦耜友尊を皇太子としました。

弟の磯城津彦命は、
猪使連(いつかいのむらじ)の始祖です。

三十八年、冬十二月六日、
(安寧)天皇が崩御なされました。
ときに御歳は五十七歳。



・片塩(かたしお)
奈良県大和高田市三倉堂


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