リートリンの覚書

日本書紀 巻第十四 大泊瀬幼武天皇 三 ・市辺押磐皇子を射殺 ・御馬皇子の思欲



日本書紀 巻第十四 大泊瀬幼武天皇 三

・市辺押磐皇子を射殺
・御馬皇子の思欲



冬十月一日、
天皇は、穴穂天皇が以前、
市辺押磐皇子(いちのへのおしはのみこ)を
もって、

国を傳(つ)かせようと、
遥かに後の事を囑(たの)み
ゆだねようと欲(おも)っていたことを
恨んでいました。

乃ち、
人を市辺押磐皇子につかわして、

いつわって、
狡(わるがしこ)く猟をしようと約束して、
野遊びを勧めて、

「近江の狭狭城山君韓帒
(ささきのやまのきみからふくろ)が、

『今、近江の来田綿(くたわた)の
蚊屋野(かやの)に、
猪や鹿が多くいます。

その頭上の角は、
枯樹の末に類(に)ていました。

その聚(あつ)まった脚は、
弱った木株のようです。

呼吸する氣息(いき)
は朝霧に似ていました』
といっていた。

願わくは、
皇子と、孟冬(かむなつき)の陰の月。

寒風が粛作(しゅくさく)の晨(よあ)けに、
野に逍遥(しょうよう)して、

さしあたって、
騁(は)せり射をもって
情(こころ)を娯(たの)しませよう」
といいました。

市辺押磐皇子は乃ち、
隨(したが)い馳猟(かり)をしました。

ここにおいて、
大泊瀬天皇は、
弓をひき、馬を驟(はし)らせ、

いつわって、
「猪がいた」といい、

即ち、
市辺押磐皇子を射殺しました。

皇子の帳内(とねり)、
佐伯部賣輪(さえきべのうるわ)
(更の名は仲子(なかちこ)は、

屍を抱いて、
駭(おどろ)き、
なげき、

どうしていいのかわからず、
反側(はんそく)し、

大声を出し呼び、
頭の方、脚の方と往還(おうかん)しました。

天皇は尚も誅(ころ)しました。

この月、
御馬皇子(みまのみこ)は、

以前から三輪君身狭(みわのきみむさ)と
善かったので、

故に、
思欲(しよく)をのべ
思いをはらしたいと行きました。

不意に道に待ち受ける軍に逢い、
三輪磐井の側で逆に戦いましたが、
ほどなく捉まりました。

刑に臨みて、
井を指して詛(のろ)い、
「この水は百姓だけが飲むことを得る。
王だけは飲むことができない。」
といいました。



・粛作(しゅくさく)
秋から冬のさむさで草木がかれしぼんださま
・逍遥(しょうよう)
気ままにあちこちを歩きまわること。そぞろ歩き
・騁(はせる)
馬を走らせるという意味を持った漢字
・反側(はんそく)
ころびまわること
・往還(おうかん)
ゆききすること
・思欲(しよく)
希望すること



(感想)

冬10月1日、
雄略天皇は、

安康天皇は以前、
市辺押磐皇子に、
国を伝え、
遥か後の事を頼み委ねようと
思っていたことを恨んでいました。

安康天皇は
履中天皇の第一子、市辺押磐皇子に
天皇位を委ねようとしていたみたいですね。

まぁ、
雄略天皇の妃を探したりして
弟を可愛がっていたように感じましたが、

雄略天皇、性格が強烈だからなぁ。

乃ち、
人を市辺押磐皇子に遣わして、

偽り悪賢く、
猟をしようと約束して、
野遊びを勧めて、

「近江の狭狭城山君韓帒が、

『今、近江の来田綿の蚊屋野に、
猪や鹿が多くいます。

その頭上の角は、
枯樹の末に似ていました。

その集まった脚は、
弱った木株のようです。

呼吸する息は朝霧に似ていました』
といっていた。

願わくは、
皇子と、孟冬(かむなつき)の陰の月。

寒風が吹き、
寒さで草木がかれしぼむ時の夜明けに、

野を気ままに
あちこちを歩きまわり、

さしあたって、
馬を走らせ、
弓を射して心を楽しませよう」
といいました。

市辺押磐皇子は乃ち、
従い狩りをしました。

ここにおいて、
雄略天皇は、

弓をひき、
馬を走らせて、

偽って、
「猪がいた」といい、

即ち、
市辺押磐皇子を射殺しました。

皇子の舎人、

佐伯部賣輪は、
皇子の屍を抱いて、
驚き嘆いて、

どうしていいのかわからず、
ころびまわり、
大声を出し呼び、

頭の方、
脚の方とゆききしました。

なお、天皇は彼も殺しました。

うーむ。
雄略天皇の性格からして、

狩の最中、偽って殺害。
こんな回りくどい殺し方するかな?

気に入らないことがあったら、
後先考えず、
正面から行きそうな感じ。

この月、
御馬皇子は、
以前から三輪君身狭と仲が善かったので、

故に、
希望をのべ思いをはらしたいと行きました。

御馬皇子は、
履中天皇の子で、
市辺押磐皇子の同母弟です。

御馬皇子の思いをはらすとは、
市辺押磐皇子の敵討ちでしょうか。

不意に道に待ち受ける軍に逢い、
三輪磐井の側で逆に撃ちましたが、
ほどなく捉まりました。

御馬皇子の行動は
先に読まれていたみたいですね。

刑に臨みて、
井を指して呪い、
「この水は百姓だけが飲むことができる。
王だけは飲むことができない。」
といいました。

怖、呪いの井戸。

さて、
次々と政敵になりそうな者を
殺していく雄略天皇。

下手をすると
万世一系が途絶えてしまう可能性があるのに、
雄略天皇は何故そのような行動をしたのか?

気になります。

雄略天皇の今後はいかに。

明日に続きます。

読んで頂き
ありがとうございました。


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